毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

恐怖の半島完全非核化

2018-05-01 18:26:11 | Weblog

 平成26年1月の雑誌ウイルで、西尾幹二氏は、その1年ほど前に行われた韓国大統領選挙では、親北左派の大統領が誕生する工作がなされていたにもかかわらず、意外にも朴槿恵大統領が当選した。比較的高齢の保守層が危機感を持って巻き返した。その結果北朝鮮の政権の延命が困難になっていて、朴氏の五年の任期を待つことすら困難になった。

 北の選択肢は、中国流の改革開放路線で行くか、一挙に韓国内の親北勢力と北の軍事力が組んで韓国の共産化路線を実行するかの二択であるというのだ。ここで問題なのは平成28年に予定された、韓国の戦時作戦権放棄を米軍が実行するか否か、にかかってくるということだという。

 氏の読みは見事に当たりつつある。戦時作戦権の放棄が実行されなかった結果、北はもう待てなくなり、韓国内部の親北勢力を使って5年の任期を待たずに、朴氏は引きずり降ろされた。韓国の国会にまで、北の支持派が及んでいるというのである。西尾氏の予測通り北はもう持たないのである。

 4月には、南北首脳会談が行われて「半島の完全な非核化」だけが約束された。しかも既に、改革開放路線を計画していたといわれる、北のナンバー2の張氏が処刑された。金正恩の叔父ですらこれである。比較的開放的だと言われた正恩の兄も最近公然と暗殺された。既に改革開放路線は放棄されたのである。

 西尾氏の予想した筋書きに、当時起こっていなかったこれ等の情報を入れると恐ろしい予測がされる。半島の完全な非核化とは、北の核廃絶ばかりではない。セットで米軍の核兵器と米軍自身の撤退をも意味すると考えるのが普通である。ところが、日本のマスコミの多くは、北が、完全に核開発を放棄するか否かだけの問題に矮小化しているのにしているのには、呆れる。半島の完全な非核化とは、在韓米軍の核兵器ごとの撤去に他ならないから、韓国の共産化に他ならない。そうしなければ、北の政権維持は困難だと北自身が考えているのである。

 金正恩はもちろん飾りに過ぎないが、代わりとなり得る正男は殺され、もう一人の兄弟も、殺されるのを恐れてか、姿を現さない。北の指導層は使い勝手のよい、正恩を選んで他の選択肢を断ったのである。5月に正恩と会談を約束した、トランプ大統領は米軍の撤退はもちろん、核兵器の撤去も認めないだろう。

 すると米朝会談は行われないか、決裂するしかありえない。しかしここに米軍のジレンマがある。地上軍の派遣されない空爆だけで北の核無力化は不可能である。しかし、地上軍の派遣は数万の米兵の死傷が予測可能なので、実行は不可能に近い。しかも空爆だけにしても、反撃で在韓米軍に被害は予測される。小生はたとえ近距離用であるにしても、北は実用的な核弾頭を持ってはいないと考えるが、通常弾頭ミサイルだけでも相当な被害は出る

 絶望的貧困により訓練ができない北には、近代的な空軍や機甲部隊を運用する能力は喪失していると考えられるが、ソウルが国境に近いことから、最後の力を振り絞った地上戦やミサイル攻撃で相当な被害が出る。これらのことは、いかな韓国人も予想できるが、座して待つうちに、韓国内の北のスリーパーと、これに煽動された韓国人によって、統一運動が起こされるだろう。統一運動には、必ずしも北による武力攻撃は必要ではない点が恐ろしいのである。

 米国が、南の非核化まで容認しなくても、座して政権の崩壊を待つより、統一運動による共産化を実行するだろう。これを防ぐには、最低限米地上軍の侵攻は必要である。ジレンマはこれにとどまらない。まず中共軍の出動の可能性が大きい。そして米政府は日本の安全のため、と自衛隊の出動を要請する可能性が高くなる。

 小生は国益のために自衛隊の派遣には賛成する。しかし、元々中国の共産化を促進したのは日本に戦争をしかけた米軍にあり、半島の不安定化を招いたのも、中国やソ連の跳梁を招いた米国に責任があり、敗戦した日本にはない。支那事変以来の清算の貧乏くじの最後を引くのは米軍だけにしていただきたい。

 ただそこにも、日米同盟の不安定化を招くと言うジレンマがある。ただし、このジレンマは、日本は日本自身が守る、という意識を回復させる唯一の特効薬である。憲法論や法律論は、このジレンマを解く鍵になるかも知れないが、陸自以外の自衛隊は、装備も運用も、あまりに米軍に組み込みされてい過ぎる。しかし日本の国防が自立するためには、必ず通らなければならない道である。


モンスター官僚登場

2018-04-13 22:08:29 | Weblog

 モンスターペアレンツなどは、既に定着した言葉となっている。ここに新しいモンスターが登場した。文部科学省の事務次官だった、前川喜平氏である。「出会い系バー」なる、売春斡旋組織にも等しい場所に、教育行政をしていた現職当時、頻繁に通っていたのである。それを認めたばかりか、開き直って貧しい女性の調査をしていたなどと、のたまわった。もちろん調査報告もなければ、教育行政に反映した痕跡すらない。

 教育行政の調査と言うのだから、勤務時間中だと認めたのである。職務専念義務違反のみならず、教育行政にたずさわる官庁の幹部が、買春をしていたといわれても仕方ないことをしていたのだから、本来懲戒免職ものである。前川氏が退職後学校で講演をした内容を、文科省が調べたことを、自ら、教育に対する行政の介入だと、逆切れした。テレビの識者なる人は、前川氏が出会い系バーに行っていた過去をキャスターが問うと、良心的行為だと平然と言ったが、これに対する出演者の反論もない。安倍内閣批判ならどんな悪事も許すのである。一方で財務官僚の某幹部が、セクハラをしたから馘首せよ、と辻元議員がいうのだから、ダブルスタンダードの極致である。

 前川氏の座右の銘は「面従腹背」だそうである。表面はおべっかを使い、陰で裏切る、という不道徳の極地である。このような人物が教育行政官僚のトップにいたのである。前川氏は、道徳教育の批判をした。さもありなん。座右の銘が「不道徳」なのだから、道徳教育などとんでもない話なのであろう。

 出会い系バー通いも、面従腹背も公衆の面前で公言したのである。このような官僚トップがとうとう登場した。マスコミの大勢は批判どころか、前川氏の安倍内閣批判を称賛すらしている。日本の堕落もここまできたのである。前川氏をモンスター官僚と呼ばずして、どこにモンスターがいようか。

 


なぜ財務省は、国有地を格安で払い下げなければならなかったか?

2018-03-22 22:28:38 | Weblog

 産経新聞平成30年3月17日版の産経抄に面白い文章がある。17世紀末の米国の魔女裁判である。告発された女性は、証拠調べのために、重い石を縛り付け水中に放り込む。魔女でなければ、沈んだまま死ぬ。魔女なら浮かんで生き残るから、火あぶりの刑である。魔女と告発された瞬間から、どのみち死ぬ運命である。安倍夫妻を悪人と決めつけるのは、魔女裁判と同じだと言うのである。魔女裁判で、煽られて理性を失った大衆は熱狂した。一部野党とマスコミの追求方法は、魔女裁判である。

 付言すれば、近代法は「推定無罪」つまり、疑わしきは罰せずである。それは魔女裁判は疑われたら死刑となる、推定有罪である。それが悲惨な結果となった深刻な反省から、推定無罪という考え方となったのである。

 閑話休題。国会周辺ではマスコミに煽られた大衆が、昼夜熱狂的に安倍総理退陣を叫んでいるのは、常軌を逸している。野党、マスコミ、大衆のターゲットは安倍内閣を倒すことである。理由は明白である。森友学園が問題なのではない。「日本国憲法」を改正するタイムスケジュールまで公表したのは、安倍首相が初めてだからである。

 

 GHQによる弾圧と検閲によって、憲法改正反対に洗脳された政治家、マスコミと大衆は、自らの意志だと信じ込まされて、熱狂的に護憲を叫ぶ。彼らにとって、安倍総理は悪魔に見えるのである。加計、森友問題の淵源は、改憲問題である。前川前文部科学事務次官の退官後の学校の授業での講演活動を調査した文科省だけを、教育への不当介入だと非難している。この理由も明らかである。前川氏が安倍内閣に不利な証言をしたので、倒閣に利用できる人材だからである。

 森友問題で野党もマスコミも、「決裁文書改竄」問題にターゲットを絞って、安倍内閣を倒すつもりである。まだ不明な第1点は「決裁文書」が公文書かどうか、ということである。公文書ではない、手持ち文書、事務連絡の範疇の文書なら、改竄の違法性を問うことはできないからである。

 また、財務省が根拠の怪しい値引きをしたであろうことは、既に明らかになりつつある。しかし、後述するように「改竄」前の文書や巷間の情報を聞いても、政治家等が購入価格を値引きするように圧力をかけた、という話はないのである。野党やマスコミは、安倍総理が森友問題に関与している、文書改竄の責任は安倍総理にあり、というイメージ操作をしてる。初手から安倍総理の責任ありき、という魔女裁判である。魔女であろうとなかろうと、野党やマスコミは安倍内閣の命脈を断とうとしているのである。

 

〈公文書とは何か〉

 公文書である最低限の条件は、文書番号があることである。文書番号とは財務省理財局作成のものであれば、1ページ目の右端には、1行目に「平成○年○月○日」と決裁日付けが書かれている。2行目には「財理第△号」とあり、これが文書番号である。△は当該年度の理財局の文書番号が、決裁順に1から番号を当てられる。日付、文書番号と、文書の表題は文書課などの文書担当課の文書台帳に記載される。文書台帳は永久保存だと思う。

今回の開示された資料で不明なのは、1ページ目にあるはずの、文書番号等の記載があるはずのページが存在しないから、改竄された文書が公文書か否かは判断できないのである。公文書でなければ、書き換えしようが違法性を問えないのだから、公文書か否かは重大である。また公開された「改竄文書」のように、「別紙1」のように書かれていれば、解釈は次のようになる。

「別紙2」などとあるのは、当該文書が他の文書に引用(引用元文書)されているものであることを示している。もし、「引用元文書」が公文書であれば、別紙2の文書は公文書の一部であり、引用元文書が公文書でなければ、別紙2の文書は公文書ではない、ということになる。例えば、後に分析するNHKの公表文書の「5.特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに係る特例処置について」(平成27年4月30日)」のようにタイトルが枠外に書かれている文書は、これが全文であれば、公文書ではないことは明らかである。

公文書は開示請求ができるから、野党もマスコミも開示請求すればよいのである。多数インターネットに公開されている、NHKの公表文書に公文書と断定できる文書がないのは、公文書自体を入手していないからであると考えて間違いなかろう。

 

〈決裁とは〉

 「公文書」という用語と異なり、「決裁文書」という用語は正規のものではないと思う。単に決裁を受けた文書、という意味でマスコミに報道されているのであろう。正規の決裁とは公文書の決裁を言う。ところが、上司に印鑑をついてもらった文書を「決裁文書」と呼ぶとすれば、公文書以外にも決裁文書は多数存在する。これは公文書管理の立場から言えば「決裁もどき文書」という他はない。

 例えば本省の官僚は、ある政令の運用方法を「事務連絡」と称して、出先機関に通知することがある。本省のある課で事務連絡を係長が作成したとする。課内はもちろん関係各課とも下打ち合わせして決めた事務連絡である。係長が独断で作成した文書ではないことを証明するために、文書の頭に決裁用紙を付け、係長→課長補佐→課長→関係各課関係者、のように印鑑をついてもらう。

単なる事務連絡だから通常は軽微な文書であるが、中には運用上重要な内容のものである。重要な内容だからこそ、自分が勝手にやったのではなく、上司の了解があったことを、証明するためである。つまり官僚の自己防衛本能である場合もあろうと思う。これは一例であるが、今回改竄されたとされる文書が「決裁もどき文書」であるか、公文書の決裁文書であるかは不分明であるが、この点は後述する。

 

〈NHKの公表文書について〉

 インターネットで「森友学園 改竄文書 NHK」を検索すると(平成30年3月18日現在)、14通の「改竄文書」が改竄前と改竄後の比較対比表がpdで公開されている。これについて見てみよう。

①「1.貸付決議書①「普通財産決議書」(平成27年4月28日、平成27年5月27日)」

表の枠外にこう書かれた文書が最初にある。「1.~14.」まであるから、番号は元の文書ではなく、公開者が便宜的につけた番号であろう。これを利用して、以下文書1のように呼ぶこととする。ページ番号が表の枠外の下方に文書の「1.~14.」まで通しでつけられているが、文書は日付順に並べられていないことから、これも公開者が便宜的につけたものであろうが、以下には断りがない限り、ページ番号はこれを引用する。なお各文書のページ番号は表の枠内に書かれている。つまり枠内が、文書作成者が作成したもので、枠の外に何か書かれていても、それは公開者などが後で便宜的につけたもので、役所の責任外のものである。

 

a.文書1(平成27年4月28日、平成27年5月27日)は公文書なのか

文書1だけが、2種類の日付の文書の各々の文書の冒頭の右肩1枚目に別紙2と書かれている。文書の冒頭に「別紙○」と書かれているのは、この文書だけである。つまり、文書1の2通だけが、別紙2として公文書の本文に引用されている文書である可能性が残る。それ以外の文書は、その文書単独で存在するものであり、文書番号がないことから公文書の可能性はない。

文書1に含まれている2通の文書だけが別紙2として公文書の一部を構成している可能性があるのだが、別紙2の引用元の文書は公開されていない。野党やマスコミは公文書なら開示請求でき、公文書ではなくても、今の勢いをもってすれば、財務省も拒否はできまい。ところが、引用元が公文書でない、とすれば文書改竄の道義性を問うことはできても、違法性を問うことはできない。つまり野党やマスコミが安倍内閣を批判するネタにするには、その点が不明瞭な方が都合がよいから、あえて引用元文書を開示請求しないのだろうと邪推する。

 

b.文書1(平成27年4月28日)の改竄内容

 文書1だけが、公文書の可能性があると前述した。すると改竄の内容に問題性があるか否か、は文書1が重要である。削除された部分を閲してみる。特に問題となりそうなのは、

P3.「特例的な内容となることから」削除。

P7.「本件貸付料は・・・主張がなされた。」削除。

P8.「・・・本件の特殊性を踏まえて・・・」削除。

P10~13.「標準書式に追加」という文言を多数削除。

P13.「学園提出の要望書について」を内容ごと全文削除。

 

c.文書1(平成27年5月27日)の改竄内容

 P17.{見積り合わせ以後の経緯}この表題の内容を全文削除

 

d.文書1(平成27年4月28日、平成27年5月27日)から分かること

 文書1には、特殊性等の怪しい文言や詳しい経緯が削除されている。しかし、森友学園という固有名詞や学園の概要などと、学園と交渉した、ということは削除されていないから、森友学園だけを相手にしたこと自体を、財務省は問題ありとは考えてはいないことが分かる。要するに特にマスコミが問題にしそうな点を薄めていることと、佐川氏の国会答弁との不整合部分の削除である。人間の本能として、佐川氏の答弁との整合に直接かかわりなくても、広めすなわち安全側に削除するのは自然である。

 しかし文書1には安倍夫人やその他の政治家の名前は一切書かれていないから、改竄は、安倍夫人らへの配慮ではない。安倍夫人やその他の政治家の名前が書かれているのは、後述するように、文書1ではない別の文書だからである。

 

②「5.特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに係る特例処置について」(平成27年4月30日)」(以下文書5.と呼ぶ)

 マスコミに報じられた、安倍夫人と政治家の名前のある文書を探した。すると文書5にあった。文書5で見つけたものだから、面倒になって残りの12通の文書をチェックするのは止めた。だから、他の文書にないとは断言できず、政治家たちのかかわりも、この文書限りのものであることを付言する。

 

a.政治家等のかかわり

 「改竄後」の文書では以下の個人名は全て削除されている。「出た順に紹介する。

鴻池議員:秘書から「森友学園が・・・購入するまでの間、貸付けを受けることを希望して・・・」いるとの希望を伝達した。→削除

 

安倍総理夫人:なお、「打合せの際(森友学園との打ち合わせとは記載なし)、・・・夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり。→削除

 

森友学園:森友学園が・・・・北川イッセイ副大臣秘書に、「・・・概算貸付料が高額であり、副大臣に面会したい」と要請したが、国土交通省は意味がないと拒否。→削除

 

平沼赳夫議員:秘書が財務省に「概算貸付料が高額であり、何とかならないか」と相談があった。→削除

 

鳩山邦夫議員(故人):議員秘書が近畿財務局に来て「概算貸付料が高額であり、何とかならないか」と相談があった。→削除

 

b.文書5は公文書ではない

 文書1のように「別紙○」のような、親の文書から引用された形跡がないから、独立した文書である。しかも文書の冒頭には文書番号がないから、公文書の可能性はない。文書5の途中には「別紙1」という文書がある。もし、文書5が他の文書から引用されているのなら、文書5自体が、別紙1となるのであって、この点からも文書5は独立文書かつ、公文書の一部を構成し得ない。

 

c.政治家等とのかかわりについての解釈

 鴻池、平沼議員は、秘書と言う間接的なものであり、内容も、貸付料が高額であり、何とかならないか」ということで、購入金額ではなく貸付のことに過ぎない。北川イッセイ議員に至っては、面会を希望しただけの上、断られている。議員が秘書を通じて役所に働きかける、などということは日常茶飯のことであり、伝えた内容も大したものではない。その上、議員秘書は、議員の意志ではなく、点数稼ぎの個人プレーをすることもある、というから議員を問題にする根拠すらない。

 安倍夫人に至っては、森友学園による伝聞に過ぎず、証拠能力はない。もし安倍総理が安売りに関して、森友学園から賄賂をもらっているのなら、せりふは、議員秘書の例にならえば「購入金額が高額なので何とかして下さい」であろう。それに森友学園側に言うのではなく、財務省関係者にいうべきことである。しかも伝達はせめて、総理秘書が言うべきであり、夫人が言うものではない。その上安倍夫人の言ったことが事実しても、夫人は買って下さいと森友学園に言っているのであって、賄賂を貰っているせりふとは、論理的に真逆である。値切って買おうと思っている相手に、買って下さい、と言うはずはないのである。夫人の言葉を真実と仮定し、かつ最大限悪意に解釈しても、夫人はおべんちゃらを言ったのに過ぎない。

 以上のように、この文書が公文書ではなければ、単なるメモに過ぎず、それに政治家等の名前があったとしても、法的に何等問題もあるはずはない。しかも政治家等の名前が出ているのはメモの、さらに添付の別紙と言う軽いものに過ぎない。

 

③決裁文書改竄と理財局長との関連

 公開された、改竄文書は文書1を除き、公文書である可能性は極めて少ない。文書1ですら、供覧という形で、理財局内部の関係者だけの印鑑をついてもらっただけの、「決裁もどき」文書の可能性可能性がある。NHKで公開している14通の文書が全て、決裁もどきだとすると、改竄とその後の理財局の対応が良く分かることがある。そこで全て決裁もどきと仮定した、小生の推測を説明する。

 決裁もどき、とすれば作成したのは理財局の担当課の係長ないし、課長補佐であろう。印鑑をついのは、作成した本人はもちろん、担当課および関係課の課長補佐、○○官、課長であろう。課長を超えて理財局次長や理財局長には、印鑑をついた可能性はない。それどころか、文書について内容を協議したのは、担当課と関係課の課長どまりで、理財局次長や理財局長は相談どころか、文書の存在も知らなかった可能性が高い。

 この決裁もどき文書の一部がリークされ、朝日新聞が公表したのである。その事を国会で追及された理財局長は、決裁文書に問題となる内容はない、と答弁した。答弁の準備をした時点で佐川前理財局長は、文書の内容を担当課に問い合わせたのは間違いないが、見せられたのが改竄されたものか、改竄前のものかわからない。どちらも見た可能性もあるが、このとき佐川氏は、少なくとも改竄前の文書を見て、野党に問題とされる可能性のある箇所は把握していたはずである。

 ここまでの経緯は自民党では知らされておらず、理財局からは朝日新聞にリークされた文書は問題ない、と騙されていたのである。でなければ正直な麻生氏が平然と答弁てきるはずはない。国会答弁で理財局長は問題とされる野党の追及を否定した。遅くともこれ以後、すみやかに答弁の内容にそった改竄は開始されたのである。

 しかし、改竄前の文書は、国土交通省から会計検査院に送られていた、というからいずれリークされたのに違いない。結論から言えば、公文書でなければ、公文書管理の違法性は問えず、道義的責任を問われるだけである。改竄が全くないかと言えば、公文書についてはあり得ないと思う。公文書でなければ、珍しくもないであろう。単なるメモの位置づけだから、内容がどんなに重要なものであろうと、印鑑をついた人たちに了解をとればいいのである。改竄ではなく修正である。理財局長は、改竄前の文書について作成時点では、存在すら知らなかった。改竄について指示したか否かは不明であるが、マスコミに公表される以前に改竄の事実は知っていたであろう。

 公文書は、公式なことしか書けないから、交渉の経緯など本質的なことは、メモとして非公開でしか書き残せないのである。そのように表と裏を使い分けをするのは、民間会社組織でも同様であろう。同様どころか、海外案件などに極端に見られるように、裏工作や賄賂なとは必要悪として、非公開のメモでしか、残せないものは、民間の方が甚だしいと考えられる。そんなことは組織人として10年も過ごせば理解できる。それでも、後述する「なぜ財務省は値引きしたか」の真相については、よほどの事が無い限り、判明することは考えられない。

 また、公文書は、物事の決定を承認したり決定事項等を通知したりする、特定の機能を伝達するものであって、交渉の経緯等の付随的なことには一切触れないし文書番号があることから、これらの公開された文書のうち、政治家や安部夫人の名前か記載されること箱あり得ない。

 またキャリア官僚は若いうち数年しか公文書の作成などの事務手続きをすることはなく、ほとんどの経歴はメクラバンを押すか、政策立案に専念するから、事務手続きには案外頓着しない。従って、元キャリア官僚の高杯洋一氏などが、軽々に公文書とか決裁文書と言っているのは、案外正確とは言えないのである。

 

〈なぜ財務省は値引きしたか〉

 前項までに、「改竄」文書からは、財務省が森友学園に国有地を値引きした理由は、政治家の圧力である、という証拠は出てこない。にもかかわらず、世論の安倍内閣非難の声は熱を帯びている。まさに安倍氏は魔女裁判にかけられたのである。逃げ道はない。万一総理の意向があったとしても、なぜそんな意向を持ったのか全く不明である。篭池氏と総理が仲が良かったとしても、それで8億もの値引きの意向を持つとは信じられない。せめて、政治資金などの賄賂をもらっていた、などの具体的な証明が必要だが、それもない。

財務省が総理の意向を「忖度」して8億の値引きしたなどとは、主張するものがいたとしたらまともではない。マスコミは、安倍総理が潔白でなければ、総理も議員も止めると強く発言したから財務省は改竄したのかもしれない、とさえ言う。ここまでくれば邪推と言うよりは、何としても安倍総理を辞任させたいために、あらゆる言辞を尽くして、イメージ操作をしているとしか考えられない。マスコミは大衆の理性を馬鹿にして、煽っているのである。

思うに可能性は唯一である。土地の価格評価は画一的に行われるから、実態とは必ずしも一致しない。土地によっては、この公式評価と実態の差が小さいものと、大きいものがあるのだろう。また、差は実態が高いケースと、実態が安いケースが考えられる。問題の土地は評価額に対して実態価格が、極端に安いとなると納得する。国有地評価額と相場との差があれば、買う者はいない。まして、乖離が大きかったとすれば、売れないからようやく森友学園、という買主を見つけて大幅値引きして売らざるを得なかったと想像するのである。

今、マスコミは8億円の値引きの根拠がインチキである、と報道している。前述のように相場との乖離によって、財務省が過大な値引きをしたなら、理由があるはずである。土中のごみが故意に過大評価されている、と批判するマスコミは多くても、そこまでしなければならない理由を追及するマスコミは皆無である。地元の不動産関係者なら事情を知っているはずである。しかし、不動産関係者も黙して語らない。日本のマスコミは、伝統的に強き者につく。安倍総理批判などは、権力への批判でもなんでもない。マスコミが強き者の位置に立ったのに過ぎない。

 

〈総括〉

 安倍総理が森友学園に国有地を格安で売り払う動機は存在しない。にもかかわらず、財務省が文書を改竄したことと、改竄のため、安倍夫人の名前が消えたことを好機として、安倍内閣の倒閣を画策している。マスコミに煽られた大衆は、冷静に考えれば、安倍内閣に責任がないことは明白であるにも拘わらず、熱狂的に安倍批判に不和雷同している。

 野党やマスコミが熱狂的に安倍総理を追求するのは、改憲が具体化しそうだからである。日本国憲法の批判を弾圧して護憲派の種を撒いたのはGHQである。しかし、育てたのは、日本国憲法の権威であった、宮澤俊義や教科書裁判で有名な家永三郎ら、日本人自身であった。彼らは戦前、積極的な帝国憲法体制支持者であったにもかかわらず、GHQが権力を持つと素早く変身して、日本国憲法の熱烈な支持者となった。保身である。

 宮澤は、当初は穏健な体制派であった。しかし、天皇機関説事件などを経て、帝国憲法の熱心な支持者となった。宮澤は常に強きものに、こびへつらったのである。家永が亡くなった時、マスコミは信念を曲げない人、と讃えた。しかし、事実は信念を真逆に変えたのである。彼ら学者と変節したマスコミの力で、多くのマスコミも学者も、そして大衆も、憲法は変えてはならないもの、と言うようになった。改憲を明示した安倍総理は、魔女として魔女裁判にかけられたのである。魔女として告発された女性は、魔女であろうとなかろうと、殺される運命にある。

 

追記

 森友学園に関する文書書き換え問題で、安倍内閣が辞職したとする。すると、日本の政治史に恐ろしい前例を作ることになることに気付いたので一言する。

 今後も、安倍内閣の関係者が、官僚に指示して文書を改竄したという明白な証拠は出てこないだろう。最大限に見ても、忖度があったという心証だけで野党やマスコミに追及され、自民党内でも反安倍勢力の離反によって倒閣されるのである。これは悪しき前例となる。北朝鮮問題や経済問題なと現代日本は、もっと重要な課題はいくらでもある。愚かなワイドショウは、金太郎飴のように、どのチャンネルでも毎日、安倍内閣批判に熱狂している。

 今後自民党内閣を倒そう、と言う意志を持った役人がいたとする。高級官僚ではなくても良い。いわゆる「ノンキャリ」の平職員でもいい。公文書ではないメモ程度で、上司に供覧して印鑑をついてもらうものはいくらでもある。印鑑をついてもらってから、書きかえる。そのことを朝日新聞なりのマスコミにリークする。

そうすれば、森友学園文書改竄事件の再演となる。時の自民党内閣を倒す権力を、一役人が持つことになる事を、今回の事件は教えてくれる。倒閣の意図を持つ人間は、一役人ではなくてもよい。野党やその他の政治勢力でも、一役人を利用すれば可能なことである。一役人が内閣の命運を決する、というのは恐ろしいことではないか。

 野党やマスコミの姿勢には、明白なダブルスタンダードがある。引きずり下ろす対象の政治家は、拉致問題などの北朝鮮問題、憲法改正派などの保守勢力であって、反保守の政治家は、どんなに役所に対する政治介入を行っても、批判のターゲットにはならないのである

 保守政治家批判に利用できる者は、誰でも利用する。違法な天下りの責任で文科省事務次官を馘首されたはずの、前川氏は、文科省が学校に不当介入した案件で取材され、政治家の不当介入だとテレビに登場した。天下り問題で辞めた人が何故登場するのか、という批判に、過去の罪を償ったひとをいつまで追求するのか、とテレビのコメンテーターが擁護していた。これに対して他のコメンテーターからは何の反論もない。安倍内閣倒閣に利用できるのなら、誰も善人になる。

 前川氏は、出会い系パーに入り浸ったことを批判されると、貧しい女性を調査していたのだと開き直った。反安倍ならこのようなことも不問に付す。前川氏は調査報告もしていない。勤務時間外ならば、単なる道義的問題で、タレントのスキャンダルと同様にくだらない問題である。しかし、自ら仕事で調査していた、というから勤務中である。公務員の職務専念義務違反の違法行為である。

 この点では処分されるどころか、社会的制裁すら受けていない。それどころか前川氏は座右の銘が面従腹背だと公言している。面從とは人前では媚びへつらうこと、腹背とは、心底で背くこと、すなわち媚びへつらう裏で裏切る、という信頼のできないことを言う。それが座右の銘、すなわち信念であるというのだから恐れ入る。かつて前川氏をトップとして仰いだ、文科官僚は恥じ入るしかないであろう。

 前川氏の信念によれば、氏を取り上げるマスコミに対しても、面従腹背なのであろう。自分を擁護するマスコミに媚びへつらいながら、心では愚かな奴ら、とせせら笑っているのに違いないのである。かなりの社会的地位にある人物で、不道徳である事を身上とする、特異な人物が公然と登場したこと、正義の味方を演じているはずのマスコミも、その人物を持ち上げて利用して恥じないとは、日本の堕落もここに極まれり、である。

 

 


書評・この世界の片隅に・こうの史代 双葉社

2017-07-02 17:17:06 | Weblog

 平成29年の正月、暇つぶしに映画を見に行った。候補は三つあって、アニメの「君の名は」と「この世界の片隅に」と洋画の「バイオハザード・ファイナル」である。結局、日本映画のようなわざとらしい平和主義がないのをかって、バイオハザード・ファイナルにしたのだが、意外にもハッピーエンドに近かったのと、主人公のそれまでの剃刀のような切れ味鋭い容貌が、ややぽってりし味だったのには少し失望したが、見るには充分耐えた。

 残りのアニメには、宣伝の画のやさしそうな主人公「すず」の姿と、なんと敗戦時の巡洋艦青葉がクライマックスに登場する、というので、この世界の片隅の方に興味を持った。そこで、本屋に行くと、オリジナルのコミックと、映画の場面集とノベライズ本の三種があった。それで、オリジナルのコミックを買った。映画化されたアニメには、製作の都合で原作の画が壊されているケースが多いからである。

 画は期待通りだった。ストーリーも日本の戦争映画によくみられるような、後知恵の平和主義がないのが良い。しかもあとがきのように「戦時の生活がだらだら続く様子が」描かれているのが好ましい。主人公のすずの幼馴染みの水原とは、二人とも何となく惹かれるところがあったのに、親が決めた見合い結婚を素直に受け入れたのも、むしろ時代のリアリティーを感じさせた。

 雑誌にも紹介があったが、玉音放送を聞いたすずが「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」と怒るシーンも、うまく描かれたひとつの真実であろう。評判になった巡洋艦青葉の、実写真をもとに描かれた、大破着底した画も風雅である。すずが呉湾を航走する軍艦の名前を全てきちんと識別できたのは、意外だが、ストーリーの展開上はむしろ自然に思える。ただし、

 長門などは、絵葉書などでも庶民にも広く知られていた。しかし戦艦大和の名前が出てくるのは、不自然である。大和は呉の海軍工廠で作られたが、最後まで名称が秘匿されていたから庶民が知るはずもない。不思議なのは、広工廠で作られた海軍機の中に「13式艦上爆撃機(製造のみ)」と書かれた絵である。一瞬、あれっ、と思った。これは一三式艦攻の間違いである。少し知識があれば、艦爆は大正時代にはない機種だから、このような間違いはしない。

 予備知識が少なく、調べて描いたから起こる間違いである。それにしても懐かしい飛行艇や大攻まで描かれているのには恐れ入る。しかも資料によれば一三艦攻は三菱で設計製造され、少数が広工廠で作られたから、正確である。それにしても良く調べたものだし、海軍機や軍艦なども、簡単なスケッチで雰囲気を正確にとらえているのは、やはり好きなのだろう。そんな意味で、このコミックは面白い。

 軍事用語の知識の少ないのは、青葉の説明書きで知れた。青葉は「・・・負傷して帰港・・・」「・・・呉沖海空戦に参戦、切断・着底。」とある。「負傷」は「損傷、中破、大破」のいずれかで、「切断・着底」は「大破・着底」であろう。いずれにしても、現代女性が戦時をこのように描けたのには感服した次第である。


書評・「カエルの楽園」が地獄と化す日・百田尚樹・石平共著

2017-04-20 17:45:29 | Weblog

 実は、百田氏のカエルの楽園はまだ読んでいないのだが、この日中関係をテーマとした寓話小説について、実際に起きていることが、如何にこの寓話小説の通りになりつつあるか、ということを両氏が対談したものである。カエルの楽園は、中国であるウシガエルの国が、日本であるナバージュというカエルの楽園をいかに侵略していくか、という物語である。

日本の多くのマスコミ、特にテレビでは、中国軍艦や軍用機が尖閣付近で挑発行為をしても、自衛隊を出動させて中国を刺激してはならず、対話をすべきだと一方的に日本の自重を求めるだけなのだが、これらのセリフが、カエルの楽園に登場するディスブレイクというナバージュのカエルの言葉にそっくりで、石平氏によれば、一種の予言の書となってしまっている、という。

国際法では、軍用機がレーダー照射を受けた場合、攻撃を受けたものとみなして、反撃撃墜することが一般的権利なのに、自衛隊は絶対そのようなことをしてはならない、と法的にも政治的にも規制されているし、多くのマスコミもこれに同調している。また、他国の侵略を受けても話し合えばいいし、最後は降伏すればいいのだ、と多くの左派言論人は主張しているし、テレビマスコミも本音はこの論調である。

このことを二人は、日本が米国に負けたときの占領で残虐な行為を行わなかったし、平和憲法という有難いものさえ与えてくれた経験から、中国などの他の国の占領も同様だろうと思っている日本人が多いからであろうというのだ。米軍の占領が比較的平和的だった原因は、特攻隊や硫黄島などの日本人の勇敢な戦いを経験した米国は、非道な占領をすれば日本人は決死の戦いを挑んでくるから、平和的に占領し日本人の精神を改造してしまうしかないと考えたからである。

だが、小生は一見平和的な占領だったかに見えても、米占領軍による強姦、略奪、殺人などの不法行為は今伝えられているよりも、遥かに多かったのだが、GHQによるマスコミ検閲や、嘘の日本兵の残虐行為の宣伝などで、日本人が騙されているために、日本の被害が矮小化されている、というのが真実だと考える。もっとも中国に侵略されたら、これより遥かに非道な行為が行われる、というのは両氏の言う通りである。

その例として本書では、チベットやウイグルで行われ、現在進行形で行われつつある残虐行為を具体的に書いているが、おぞましいものである。これらのことが信じない日本人が多くいる。インターネットでチベットを調べたら、「解放」前のチベットがいかに野蛮な風習に満ちていたことが書かれていたサイトがあった。ダライ・ラマがCIAの手先として働かされている、という本さえ書店にあった。

チベットやウイグルで実際に起きたことを信じない、反日日本人は、常に中共からのこのような情報を教え込まれて、信じこまされているのであろう。中共のプロパガンダと言うのは、昔から物凄いものがあることは自戒しておかなければならない。

「南京大虐殺」などの嘘宣伝がいきわたった結果、日本が反撃さえしなければ、中国は侵略するはずがないし、仮に占領されても中国人による残虐行為もない、というのが「ディスブレイク」のような日本人の精神の根底にあるのだ。侵略や残虐行為をするのは日本人の軍隊だけだ、という思い込みが牢固としてある。

たまたま「歴史群像」平成29年4月号に「尼港事件」の記事があった。シベリア出兵の際に、ニコラエフスクで、白軍兵士や現地ロシア人、日本軍守備隊や民間人などが赤軍パルチザンに数千人が惨殺された事件である。この顛末は日本が自重すれば安全である、というのがいかに間違いかを証明している典型である。

尼港は、主要海産物の鮭を日本に輸出するために、約400人の日本人が居留していた。そこを後のソ連軍となる、赤軍パルチザンが2000人で包囲した。北海道にいた師団長は、救援に行くのはできないので、無理をせずに平和的に解決し赤軍と和平しろ、と現地部隊に命令した。これに対して、日本に味方した白軍の指揮官は、赤軍との合意は必ず裏切られる、と反対したのだが、現地の指揮官は師団長命令を拒否できるわけもなく、尼港を開城し停戦した。

開城の条件は日本軍が白軍の武装を解除すること、白軍元将兵の過去の行動は免責する、市民の財産と安全を保障する、赤軍入城後も日本軍が居留民の保護を続けること等であったそうである。警告通りこの約束はすぐに反故にされた。白軍の将兵の拷問虐殺はもちろん、一般市民も殺害された。

尼港の住民の訳半数の6000人が殺害され、そのうち日本人(守備隊も含む)は分かっているだけで、730人が惨殺された。筆者は結局は力の裏付けのない約束は無意味、と結論している。このような赤軍の蛮行は、ロシア各地で行われたが、隠蔽されて白日の下にさらされはしなかった。

この事件だけが有名になったのは、生存した日本人が証言したからである。ひどい話はまだ続く。この蛮行の指揮官のトリアピーツィンは、日本による非難で責任をとらされ、「共産主義に対する信頼を傷つけた反逆者」として銃殺されたそうである。小生は子供の頃、雑誌で尼港事件の顛末を読み、壁に「共産主義はわれらの敵」というような意味の血書が犠牲者によって残されていた、とあったことが忘れられない。これ以来、小生は共産主義は残虐非道なものだと知った。

いずれにしても、日本が反撃さえしなければ、中国は侵略するはずがないし、仮に占領されても中国人による残虐行為もない、というのが「ディスブレイク」のような日本人の言い分が間違っていることは、尼港事件の例でも明瞭である。不可解に思えるのは、同じロシア人でも赤軍(共産党系)が約束を守らず残虐行為を平然とするのに、白軍は必ずしもそうではない、と思われることである。

同じ支那人でも、毛沢東率いる共産党の残虐非道や民族絶滅政策は、必ずしも全て清朝などの王朝の慣行を引き継いだものではない。少なくとも中共以前の多くの支那王朝は残虐行為は珍しくはないが、宗教や民族言語に関しては比較的寛容であったように思われる。ベトナムやカンボジアなど、共産主義の直系政権は、やはり残虐行為をしているから、共産主義教育そのものにも問題があると思われる。

それは必ずしも、マルクス・エンゲルスの主張ではなく、それを敷衍して実現した、トロッツキー、レーニン、スターリンあたりに淵源を発しているのだろう。敢えてトロッツキーを例に入れたのは、彼が亡命してソ連政府により暗殺されたから、日本人はトロッツキーを同じ共産主義者でも、比較的自由主義的である、という誤解があるようだからである。トロッツキーは単に政争に負けたのに過ぎない。

百田・石平の両氏は「反中分子たちの一斉逮捕」と「共産党に入党して、苗字も一字に変えて中国風にし、中国語を操ってうまく生き延びる。いまマスコミで活躍している反日文化人はそうやって転身を図る人が続出するでしょう。」(p246)と書くが、これはあまりに甘い考え方であろう。

確かに日教組や左派知識人や左翼マスコミは、日本侵略の過程では活用できるであろう。支那には漢奸という言葉がある。支那人を裏切った支那人のことであり、平和になれば極刑にされる。同様に日本を裏切った反日本人などは、自らの祖国を裏切る到底信頼できない人物である。中共に言わせれば、漢奸ならぬ日奸というべき、最も信頼できない人たちである。真っ先に処刑しなければならない。

いずれにしても、中共の日本侵略は、日本を不幸(地獄)にするばかりではない。永遠に支那大陸に住む人々も幸せにはしない。中共幹部は子弟や親戚を欧米に送り込んで国籍を取得させている。いざとなったら大陸から逃げ出す算段である。中共の幹部自身が中共政府を信頼していないのである。


ウラナミシジミ

2016-10-06 14:52:21 | Weblog

 運に見放されない日と言うものはあるものです。ある休みの日の、午後一番に出かけると、駅の途中の花が植えているところに舞っているシジミチョウを見て、ただのヤマトシジミではないと直感しました。花にとまったのを観察すると、珍しいシジミチョウです。見覚えはありますが、図鑑でだったか標本か、はたまた実物か記憶が定かではありません。ところが、いつものデジカメがありません。それどころか携帯すらありません。残念無念と思って電車で出かけると、降りた街のビルの間に、何と同じ蝶がいるではありませんか。

 しかもさっきの蝶のように翅が痛んでいないし、二匹です。ますます残念です。三時間ほどして家に帰ってから、まだ明るいのでデジカメを持って最初の場所に行くと・・・もちろんいるはずがありません。しかたなく、いつもの公園のキバナコスモスの畑に行くと、二人のオジサンが蝶を撮影しています。ツマグロヒョウモンのオスメスが乱舞とはいかないまでも、けっこういるのです。散々撮ったものですが、仕方なく撮影しました。


 注意して見ると、最初に見たシジミチョウが二匹ちょこんとおとなしくとまっていたのには驚きました。もちろんこの写真がそれです。飽かず撮り続けること約20分。その中のベストがこれです。二人のオジサンはマニアと見えて一眼レフの立派なもので、羽ばたいていても連写してしまいます。小生の安物とは桁が違うのです。帰ってインターネットで検索すると、ほぼウラナミシジミに間違いありません。この名前に憶えがあるのは、子供の頃、飽かず蝶の図鑑を見ていたせいでしょう。デジカメを忘れてきた時は、正直二度と見ることはできないとガックリしていました。ともかく諦めないことです。いつかアサギマダラを撮影しそこなってから、何十回も同じところに通いましたが、未だに見られません。ところが今回はその日のうちです。運に見放されない、いい日でした。


ムラサキツバメ

2016-09-11 16:04:19 | Weblog

 とみに最近は運がいいようてす。この数年、都会ですが、川と公園に囲まれたマンションに転居してから、公園を散歩すると、生まれて初めて見る蝶に3種類も出会いました。最初はウラギンシジミ、次はアカボシゴマダラ、今年は何とこの写真のムラサキツバメです。昨年はあこがれのアサギマダラに出会いましたが、写真は撮れずでしたのが、悔しかったのです。いまでは都会になってしまいましたが、、小生が子供のころの実家の街は、通学途中の半分が林のなかで、突然視程1mもない濃い霧に覆われることも珍しくない田舎でしたが、今の都会住まいの方がよほど野生の珍しい蝶が多いのです。

 子供の頃の夏休みの宿題で昆虫採集して、標本を作っていましたが、今では短い命を絶やすのに忍びなくて写真だけにしています。実はこの蝶、は種類が分からなくて困りました。最小タテハチョウかと思いきや、似たものはいるもののスパリはありません。色からジャノメかと思いましたが、肝心の蛇の目がありません。

 大きさがウラギンシジミとヤマトシジミの中間だという事でシジミチョウにまとをしぼりました。するとムラサキツバメだという事に落ち着きました。後翅の尾美状突起が一対あることと模様が決め手でした。しかし、とまると絶対翅を開きませんから雌雄の区別は分かりませんし、100%の自身はありません。どなたか専門家の方、ご教示下されば幸甚です。ちなみに最近二度見ましたが止まっていたのはキバナコスモスの花です。しかも一度止まると、近くに行っても翅を閉じて絶対動きません。

 

 

 

 

 

 

 


書評・「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド 文春新書

2016-09-10 13:20:40 | Weblog

 読もうと思っているうちにもう一年以上がたってしまった。ぱらぱらとめくって、読む前の内容を下記のように想像をしてみた。{ }内。 

{ロシアはソ連が崩壊して普通の国になった。要するにロシア帝国の時代のヨーロッパに戻ったのである。違いは、大英帝国が見る影もなくなった代わりに、強大なアメリカと言うイギリスの庇護者が登場した。英国が考えるのは昔日と同じく、大陸と一線を画し、大陸に強大な一国が登場することを防ぐことである。

だが西欧は相変わらずロシアを強大なソ連と同じと錯覚して、対抗のためにNATOとともにECをEUに発展させて、ソ連圏だった東欧も取り込もうとした。大陸と一線を画す英国は通貨統合にはのらなかったために、ヨーロッパ経済の中心は図らずもドイツになったのである。EUでドイツは一人勝ちしている。EUはドイツ帝国のヨーロッパ支配の道具になったのである。

以上である。

筆者は英国はEUを離脱する、と予言しているが実現しつつある。筆者はフランス人である。だから伝統的思考に従えば、普通の国ロシアとフランスの親近感は普通であるし、フランス人がロシアより強大なドイツを恐れるのも自然である。

ただ本書にないと思われる視点がふたつある。域外からの移民問題で一番悩まされているのはドイツである。ドイツ国内は移民問題で荒廃している。またイスラムの勃興にもヨーロッパは悩まされている。イスラムとの確執の歴史は長い。イスラムによるヨーロッパ支配と、ヨーロッパによるイスラム圏蹂躙で、お互い様なのだが、結果は確執を生んでいる。

内容を大雑把に見よう。やはり「新冷戦ではない」(P22)というタイトルがあるように、ロシアはソ連の再現ではない、と考えているのだ。そこで「紛争が起こっているのは昔からドイツとロシアが衝突してきたゾーンだ・・・アメリカが、クリミア半島がロシアに戻ったことで体面を失うのを恐れ・・・ドイツに追随した」という。要するにソ連以前の伝統的な独露関係に戻ったと言うのだ。

ただ「言語と文化とアイデンティティーにおいてロシア系である人びとが東ウクライナで攻撃されており、その攻撃はEUの是認と支持と・・・武器でもって実行されている。(P33)」というのは、ウクライナだけではなく、バルト三国など旧ソ連に支配された国々には看過できないだろう。これらの国々にロシア系住民が多いのは、ソ連帝国支配のため、ロシア人が政策的に送り込まれているケースがあるからだ。

その犠牲としてバルト三国などでシベリアに強制移住させられた人々が多数いるのだ。不思議なのは筆者が「一九三二~三三年にかけてウクライナで旧ソ連が行った人工的大飢饉により数百万人が殺された。(P96)」とウクライナの被害を知っているのに、前述のようなことを書くことだ。ソ連がロシアに変身した途端にソ連時代のこれらの行為が免責されるとでもいうのだろうか。

これに対してドイツについては「・・・二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国であり、人間の非合理性の集積地の一つだ。(P142)」と断ずる。これはドイツに対する偏見が強すぎまいか。確かに今の常識では第一次大戦はドイツの、第二次大戦は日独の責任に帰されている。いかにヒトラーが狂気を秘めた人物であるにしても、両大戦をドイツの責任に帰するのはあまりに単純化し過ぎ、それ故今後の政治の糧とはなりにくいであろう。

ソ連の崩壊については、「ロシアはかつて人民民主主義諸国を支配することによって却って弱体化したのであった。軍事的なコストを経済的な利益によって埋め合わせることができなかったのだ。アメリカのおかげで、ドイツにとって、軍事的支配のコストはゼロに近い。(P41)」これは米国を軍事的盟主としたNATOのことを言っている。しかしその反面として、いくら軍事コストが少ないため、経済的利益を得てドイツが強くなったとしても、軍事の後ろ盾のない経済と言うのは脆い。だから今のドイツをドイツ帝国とは言いにくいであろう。

米独の比較においても筆者の見方はバランスを欠いていると思われる。「大不況の経済的ストレスに直面したとき、リベラルな民主主義国であるアメリカはルーズベルトを登場させた。ところが権威主義的で不平等な文化の国であるドイツはヒトラーを生み出した。(P63)」というのも図式が単純過ぎる。リベラルな民主主義国である「にもかかわらず」、と言い換えるべきであると思われる。

大恐慌の克服は、リベラルで民主的な政策により実現したのではない。米国の理念とは相いれない共産党独裁ファシズム国家のソ連と組むことさえ辞さないことによって、大戦争に国民を扇動して克服したからだ。ニューディール政策で恐慌を克服したのではない。

EU内でドイツが有利なのは、ドイツ国民間の経済的不平等は小さいが、「・・・東ヨーロッパの低賃金や南ヨーロッパにおける給与の抑制を加味して考察すれば、現在英米に見られるよりも断然いちじるしく不平等な支配のシステムが生まれつつある(P64)」

つまりEUではドイツ人が支配する側にあるというのである。EU域内ではドイツ人は高賃金を維持しながら、低賃金の周辺国国民を使って利益を上げるシステムとなりつつある、というのはその通りだろう。

日独仏の比較論は面白い。「日本社会とドイツ社会は、元来家族構造も似ており、経済面でも非常に類似しています。産業力が逞しく、貿易収支が黒字だということですね。差異もあります。日本の文化が他人を傷つけないようにする、遠慮する・・・のに対し、ドイツはむき出しの率直さを価値付けます。(P157)」経済面についての類似性は高度成長以後のことで、戦前の日本の経済基盤は弱いものであった点がドイツと違う。遠い国日本の過去を見ない近視眼であるのは仕方ないだろう。日本への評価は本書の論旨には影響ないからである。

フランスは「遺産は男女関係なく子供全員に平等に分け与えられました。このシステムが培った価値は自由と平等です。(P158)」と手放しで賛美しているようにしか思われない。フランスの自由と平等は国内の白人にしか適用されないように思われる。現在フランスでは女性イスラム教徒が着る水着を禁止する動きさえある。いくらテロにさらされているにしても、日本人から見れば不寛容に過ぎるとしか思えない。

EUについては、筆者は単一通貨にはもともと反対で、容認するに至ったのは、ヨーロッパが保護主義を採用することを促す可能性があるからだ(P217)という。正しいのであろう。単なる通貨統合と自由貿易は矛盾するからである。著者のこの主張について小生には充分読解する能力がないが、ヨーロッパ保護主義とは、EU域内における経済統制と、域外に対する半鎖国政策のことであろうか。

全体的には伝統的なフランスの親露感情とドイツ危険視が根底にあるように思われる。またアメリカについてはかなり書かれているのに、英国にはあまり書かれていない。これは英国のEU離脱を予言しており、そもそも帝国ではなくなって、ヨーロッパに対する影響力が少なく、他方で米国は軍事力等でヨーロッパに対する影響力が大きいという現状認識からだろうか。なお、編集後記には編集部によって、全体がうまく要約されていることを付記する。


書評・習近平よ「反日」は朝日を見習え・変見自在・高山正之

2016-07-14 15:38:48 | Weblog

 高山氏の持論は中国人も欧米人も、日本人に比べれば異常に残忍な民族である。ある日本人漫画家は「中国人が攻めてきたら戦わずに素直に手を上げる。中国人支配の下でうまい中国料理を食って過ごした方がいい」といったそうな(P33)。ところが「中国人は逆に無抵抗の者を殺すのが趣味だ。蒋介石も毛沢東も村を襲って奪い、犯し、殺し尽す戦法をとってきた。クリスチャンの蒋は毛と違って、時には村人全員の両足を切り落とすだけで許した。毛より人情味があると言いたいらしい。ただ相手が日本人だと彼らの人情味は失せる。盧溝橋事件直後の通州事件では中国人は無抵抗の日本人市民を丸一日かけていたぶり殺した。(P35)」

 この後通州事件の凄惨な殺人方法が、具体的に書かれているのだが、転記するに忍びないほどひどい。なるほど憲法九条改正に反対し、自衛隊は憲法違反だと言う輩の本音は、絶対中国が攻めてくるはずがない、万一せめて来たとしても、降伏して安穏に暮らせばよい、というものである。それもこれも、かつての戦争は全て日本の侵略が原因であって、日本が侵略さえしなければ戦争は起きない、という思い込みが骨の髄まで染み込んでいるからである。

 ついでに改憲反対論者の嘘をもうひとつ。朝日新聞は中米のコスタリカは「・・・憲法で軍隊放棄を規定し、その分を教育に投資し、おかげで中南米では最も安定した国のひとつになった。隣国にも働きかけて今ではパナマも軍隊を廃止した(P117)」この文章自体には「隣国に働きかけ」という箇所以外に間違いがないからたちが悪い。

 コスタリカは内戦を収めた独裁者フィゲレスが、軍隊はクーデターを起こし反抗する可能性があるから、軍隊を廃止してしまった、というのだ。その上、この地域は米国の裏庭で、国境侵犯が起きたら米国が許さないことを見込んだ悪知恵だというのだ。

 パナマはもっと悲惨である。パナマは米軍に奇襲攻撃された。「奇襲の目的はCIAで昔働いていて米国の秘密を知る実力者ノリエガ将軍の拉致だった。米軍は将軍を捕まえると、パナマが無作法な米国の侵攻に怒って武力報復に出ないようパナマ国軍そのものを解体してしまった。広島長崎の報復権を留保する日本から軍隊を取り上げたのと同じだ。(P119)」

 日本の改憲反対論者は、このようなパナマとコスタリカの例を本当の事情を隠して、自衛隊廃止論を主張するから、本質的には哀れな存在なのである。軍隊廃止を押しつけてくれてありがとう、と日本市民を大量虐殺したアメリカに感謝するのである。

 ノリエガの件は日本では、独裁者ノリエガは米国に麻薬を密輸出した件で、アメリカ国内法で裁くため米軍が急襲し、アメリカに拉致して裁判にかけて懲役刑に処した、という説明がなされている。ノリエガが独裁者で麻薬の密輸の件も事実である。だが、裏に前記のような事情があるとすれば、アメリカの無茶なやり方も腑に落ちる。

 また米国によるパナマの無力化は、パナマ運河の存在も大きいだろう。また、パナマ運河拡張工事は、経済的意味ばかりではなく、米国の軍艦の大型化による運用拡大と言う意味もあるのだろうと、小生は思っている。戦艦大和のライバルだった、アイオワ級の戦艦の幅はパナマ運河の運用限界によって決まったし、46cm主砲の大和級の開発もパナマ運河の制限からアメリカが、同級の主砲の戦艦を開発できないと目論んだからである。

 イラク戦争の発端となった大量破壊兵器の存在の件は、もっとややこしい。イラン・イラク戦争の当時、高山氏はイラン軍野戦病院に行ったそうである。(P121)そこにはイラク軍のマスタードガスを浴びたイラン軍兵士が治療を受けていた。毒ガス弾は使われていたのである。「ブッシュが『イラクには化学兵器がある』とあれほど言い切ったのは、当の米国がそこでずっと製造に当たってきたからである。」

 ところが、化学兵器は発見されなかった。ところがところが、ずっと後になってISがサリン弾を使った。何と米国の指導で作られた毒ガス弾が使われたのである。イラク戦争はこの痕跡を潰すために行われたのだが、手落ちで残ってしまった。米国はイラクで毒ガス弾を作ったのをばれないようにするために、恥を忍んで大量破壊兵器はなかったと発表したのだが、何とISが隠されていた兵器廠を見つけて再利用していたので、ばれてしまったというのだ。

 毒ガス弾本体の製造は西ドイツで行われていた、というのも驚きだが、それを敵なら平気で使うフセインもISもどういう神経だろう。高山氏はアメリカ政府が、イラクは「毒ガスなど大量破壊兵器を持っている」と発表したとき、イラク軍による毒ガスの被害を現認していたから「丸っきりの当てずっぽうとも思えなかった」という。さもありなんである。

 国際法で捕虜や非戦闘員の殺害を禁止する、陸戦条約を提議したのはアメリカだそうである。「しかし同じ時期フィリピンの植民地化戦争をやっていた米国はすぐ抜け道を作った。『陸戦条約は正規軍のみが対象でゲリラには適用されない』と(P148)」米西戦争に協力したらフィリピンを独立させる、という約束を反故にされて、反抗したアギナルド軍をゲリラと認定し、捕虜を拷問し、処刑したのである。

 フィリピン人を殺すには「1週間銃殺」を発明したそうである。月曜から木曜まで毎日1か所づつ撃ち、苦痛と恐怖を味あわせたうえで、ようやく金曜に心臓にとどめをさすのである。以前も書いたが、映画「ロボコップ」でも警官が同じことをされて殺されている。それが再生利用されて、主人公ロボコップが誕生するから怖い話だ。ただし、1週間もかけず、数時間でとどめをさされている。やはりアメリカ人は同じ残虐行為をした記憶があるからフィクションの映画でも同じストーリーを書くのである。

 同じ項に、中国人の残虐な処刑も書かれている。日清戦争や支那事変ばかりではなく、戦前の多くの日本人が兵士民間人を問わず、同じように苦しんで処刑されている。それを大抵の日本人は忘れさせられたのである。

 P151の欧米人が好きな「性器の破壊」はボスニア紛争などにまつわる、性的残虐行為の話だが、人間とはここまで非道になれるものか、と驚いた、とだけ紹介する。ただ朝日新聞がボスニア紛争におけるこのような問題を「慰安婦問題は今日的な性の問題でもある」と引用したのはあまりにもバランスを欠いている。おぞましい性的残虐非道の行為を売春と同等に扱うのだから。それならば、今でも日本で行われている、売春すなわちソープランドの廃止運動をしなければならない。

 最近でも白人警官による無抵抗の黒人射殺など、アメリカは人種問題で揺れている。日本の服部君がハローウィンで間違えて白人の家に入って射殺されたが、無罪どころか逮捕もされなかったとして、日本人は驚いた。(P160)日本ではアメリカの銃社会の怖さが話題になったが、本質はそこにないことを証明するエピソードが紹介されている。

 ドイツからの女子留学生が忍び込んできたのを発見した家人が射殺した。モンタナ州には「身の危険を感じた者は非難したり警察に通報する前に銃を使っていい」という法律がある。にも拘わらず射殺した家人は、最も重い謀殺罪で刑期70年の有罪となった。

 理由は服部君と違い、被害者が白人で、加害者がモンゴロイド系のモンタナ・インディアンだったから。「ABC放送は判決の瞬間、正義が勝ったと喜ぶ白人の声を伝えていた。(P162)」アメリカでは今後も人種問題による殺人などの混乱は続く。白人が少数になる趨勢からすると、混乱は収束するどころか拡大するだろう。黒人が公民権を獲得してから何十年もたつのにこの有様なのだから。

 

 


書評・サンデルよ、「正義」を教えよう・高山正之・新潮社

2016-07-09 14:41:55 | Weblog

 高山氏の「変見自在」シリーズは意外な視点で、特に白人の悪辣さをえぐり出しているのが面白い。この本は比較的おとなしいのだが、その中ではアウンサン・スーチー女史の話は白眉ものである。目についた話をいくつか書いてみる。

 アメリカのO.J.シンプソンの白人妻殺人事件は、刑事裁判で無罪、民事で有罪と言う捻れ判決で有名なのだが、彼の高校時代までは米国には「異人種間結婚禁止法」があった(P50)。この法律が廃止されていなければ、事件は起きなかったから皮肉である。自由の国アメリカなどという標語がいかに空疎なものかが分かる。自由と民主主義は常に白人間にだけしか適用されないと分かれば納得できるのである。

 米国が昔は油を採るためにだけ鯨を捕獲していたのに、必要なくなると鯨は人間に近いから、捕鯨は禁止すべきだと日本を非難し始めた。米国流の捕鯨は「のたうつ抹香鯨の頭をかち割り、中から脂を汲み出し、胴体は吊るして『オレンジの皮を剥ぐように』皮下脂肪層をはぎ取り、赤裸の胴体はそのまま海に捨てた(P67)」という無残なものだった。

 ところが石油が利用できるようになると捕鯨を止めたと思っていたのだが、実は量は大きく減ったのだが、「・・・酷寒でも凍らない潤滑油として一九六〇年代まで」捕鯨は続けられていたのである。白人の自己都合による反捕鯨がいかにインチキなものか。

 生協は「今でこそ『配達するスーパー』のふりをしているが、本性は共産党系の資金集め組織だ(P84)。」小生は何の根拠もなく直観的にそう考えてきたのだが、高山氏のつっこみがそこで終わってしまっているのが残念だ。もっと真相を知りたい。昔官公労系の労働組合員から、選挙があるたびに組合費の特別徴収がある、と愚痴ったのを聞いた。

当時これは社会党と共産党の選挙資金になったと思っている。今でも共産党は政党交付金に反対し、受け取りを拒否している。その癖選挙のたびに落選確実でも多数の候補を擁立している。何故か共産党だけには潤沢な政治資金がある。それは新聞赤旗の売り上げだけではあるまいと思うのである。

当時、奥さんが近所付き合いで赤旗の日曜版を一年ばかり購読した。そこには、ソ連とその「衛星国」を薔薇色に描いていたのを覚えている、奥さんに赤旗を勧めた女性は記事を読んで、是非素晴らしいブルガリアに行ってみたい、と言っていた。五年ほどして、ソ連が崩壊して衛星国の悲惨な国情が明らかとなった。ブルガリアに憧れていた女性は何を思ったのだろうか。

米西戦争の発端となったメイン号事件は、米国の陰謀説が消えない。米西戦争の開戦は「・・・一万キロも離れたマニラ湾で米艦隊とスペインの極東艦隊」が戦って始まった(P110)。メイン号沈没から二か月後に米国は宣戦布告した。そのわずか十二日後にマニラ湾で戦争が始まった。

それはおかしい、と高山氏は言う。米国からマニラ湾に攻撃に行く準備だけでも、最低一か月はかかり、補給などを考えれば最低三か月前にはマニラ湾攻撃計画を策定開始しなければならない。メイン号爆沈は、その間に起ったと言う奇妙なことになるというのである。

ある本の紹介で、戦前の米国人のブロンソン・レー氏が書いた「満洲国出現の合理性」という本を読んだが、そこに興味深い記述がある。「・・・米国はメイン号爆沈の際に、スペインが共同調査を求めたのを拒絶して「『メーン』号を記憶せよ」(P208)と叫んで戦った。その後本著を書いている時期までメイン号爆沈の原因は不明だそうである。著者はなんとメイン号が燃えている際に乗船して、発火する可能性がある、特殊なヒューズが入った箱を発見し、スペインの友人が高額で買いたいと言ったのに断ったのだそうである。この話はレー氏はメイン号爆沈が米国の仕業に違いないと断定できる物証を発見しながら、米国のために隠した、ということであろう。つまりメイン号爆沈が米国のやらせだという物証はあったのである。

レー氏は著書で満洲国の建国の正義を説いている。しかし決して日本の味方をするためではないことは、通読して分かった。レー氏が満洲国の誕生を擁護するのは、建国以来の米国の理想に合致しており、反対に満洲国を否定する米国政府は理想に反すると考えているからである。

レー氏がメイン号爆沈の真相を明らかにする物証を隠したのは、メイン号爆沈がただちにスペインの仕業だと報道された時点で、米国の謀略を明らかにするのは、たとえそれが正義であれ、米国の国益に適さないと考えたからである。つまり戦争に反対する立場であっても、戦争が始まれば祖国の勝利を願うのが正しい、というのと同根である。レー氏は単なる偽善者ではなく現実家で愛国者であり、その立場から満洲国を擁護していることは明白であった。

閑話休題。朝日新聞は奇妙な新聞である。「ひと」欄で関西空港建設の理由について伊丹の周辺の住民問題だと書いたそうである(P134)。それは、「ここの住民は『戦前、空港拡張のため朝鮮半島から集められた人々』で『戦後一転して不法占拠者にされた』と」書き、伊丹周辺の朝鮮系住民は、いかにも強制連行(徴用)の朝鮮人のように書くが「それは嘘だ。現に朝日自身が徴用朝鮮人はほぼ全員が半島に帰ったと書いている。」コメントはいるまい。

かのダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサーは米国からの独立の約束を反故にされて反抗したアギナルド軍の討伐司令官である。米軍はアギナルド軍一万八千人と家族など二十万人を殺害した(P172)。戦中マッカーサーは、パトロール中の米軍に被害が出た報復としてサマール島とレイテ島の島民の皆殺しを命じた

「ただし十歳以下は除けと。・・・作戦終了が伝えられた。『十歳以下は一人もいなかった』と報告している。」何というブラック・ユーモア。ある精神科医は「苛めは反発を呼ぶが、徹底した残忍な殺戮や拷問の恐怖は逆に従順さを生む」(P173)と書いたそうだ。

「原爆や東京空襲、戦犯処刑と、これでもかというほどの無慈悲を見せつけた米国に対し、朝日新聞が見せる恭順の姿勢『マッカーサーさんのおかげです』はその典型だろう。フィリピン人もこの一連の米軍の無差別殺戮で反発から服従に転換していく。」

フィリピン討伐の先頭に立たされた、黒人米兵の脱走者の一人はフィリピン人に首を切られ米軍基地に送り届けられた。その時のフィリピン人は「裏切り者を処刑しました」と米軍に言ったそうである。西欧の植民地だった世界中の国々が、未だに欧米の植民地支配の非をならさないのは、裏に白人の無慈悲な殺戮に対する恐怖の記憶があるのであろう。

ただし、朝日がマッカーサー様と言ったのはもっと低俗な話であるのは有名である。朝日新聞は米軍による戦後の強姦事件や原爆投下などを、批判する記事を書いた。すると二日間の発刊停止を命ぜられ、逆らうと廃刊にすると脅されたのだ。命を賭しても言論の自由を守るなどと言うマスコミの言葉は信じるものではない。

何回でも書く。有名な朝日の緒方竹虎副社長は、戦時中軍に抵抗しなかった理由として「何か一文を草して投げ出すか、辞めるということは、痛快は痛快だが、朝日新聞の中におってはそういうことも出来ない。それよりも何とかひとつ朝日新聞が生きていかなければならない」(五十人の新聞人)と書いて左翼の人士からも痛烈な侮蔑の批評を受けた。

さて苛酷な支配に対して、戦後非をならした例外の国が「ビルマ」なのだそうである(P189)。「まず大英連邦から脱退し、英国式の左側通行も、英語教育もやめた。・・・英国がビルマから奪ったものの返還を訴えた。英国は奪った国王の玉座や宝石を渋々返したが、ビルマは英国の植民地統治の責任も国連の場で糾弾を始めた。その中にはアウンサンの暗殺もあった。表向き彼は元首相ウ・ソーに殺されたことになっているが、国民の多くは英国が仕組んだことを知っていた。」

ちなみにウ・ソーはアウンサン殺害の罪で処刑されている。つまり英国に都合の悪い者二人をまとめて処分できたのである。英国に逆らったビルマつまりミャンマーのその後は悲惨である。アウンサンの娘、有名なアウンサン・スーチーは十五歳の時に英国に連れ出され、英国式教育を受け、英国人と結婚した。外見以外は心根まで英国人になったのである。スーチー女史が見事なクイーンズイングリッシュを話すのをテレビで見たことがあるだろう。

何と彼女は「植民地支配の糾弾」事業を潰した。米英はミャンマーを軍事政権と非難して、世界中から経済制裁させた。スーチー女史は軍事政権非難の先鋒に起ち、軍事政権への抵抗と民主化のシンボルとなったのを我々は知っている。

経済制裁により、ミャンマーは貧困にあえぎ、中国に助けを求めた。悪魔に救いを求めたのである。ミャンマー経済は中国のカモにされ、政治は腐敗し賄賂が蔓延する。中国化したのである。この後欧米植民地支配を糾弾する国はあらわれないだろう。スーチー女史の役割は終えたのだそうである。

小生は何故ミャンマーが突然軍事政権と欧米の非難を浴び、日本まで経済制裁に加わり、ろくに自国のことも政治も知らないはずのスーチー女史が、ミャンマー民主化の英雄となったのか、納得できなかったが、高山氏の説で充分に腑に落ちた。日本の敢闘にもかかわらず、白人の世界支配はまだ終えていないのである。