櫻花は、日本初と言うよりは、世界で初の体当たり攻撃専用機として開発され、なおかつ実際に使用されたものとしては、おそらく唯一の存在である。最初の実用機である櫻花一一型は、昭和二十年三月二十一日、十六機が一式陸上攻撃機に搭載され出撃し、全機戦果なく撃墜された。(日本航空機総集による)米艦隊は援護の戦闘機を待機させ迎撃することに成功した。
櫻花は固体燃料ロケットを補助動力として滑空する爆弾のため、航続距離が20浬しかなかったために、米防空戦闘機の防空網に阻止されたのである。これを改良するために、ジェットエンジンのコンプレッサをガソリンエンジン(4気筒の初風)で駆動して航続距離を70浬に増加させたものが二二型である。後部空気取り入れ口の左舷下部にあるのが初風エンジンの排気孔である。このキットはこの実用化されなかったその二二型である。実用化されなかったというのは、実戦に投入されなかったという意味で、ほぼ実用域に達しており、本土決戦があれば使用されたであろう。
「特攻」を正式に命令したとされる、大西瀧治郎がいうように「統帥の外道」と言われようと、日本が戦史上希な体当たり攻撃を組織的に実施したというのは、まぎれもない事実である。御覧のように櫻花の照準器は小銃のような、照門と照星による簡素なものであるが、資料を見ながら自作した。木製と思われる台車はキットのものそのままであるが、外国人がよく調べたものと感心する次第です。ちなみにメーカーはチェコのブレンガンという珍しい会社であるが1/48だけに細かいところまでリサーチがされている。
とは言っても、プラモの世界では結構キットがでているんですよね。私も、同じキットを持っていますし、1/72のキットもあります。ファインモールドからも48で出ているし、古くはホークのキットもありましたね。(完成済) ハセガワの一式陸攻のおまけキットもあります。 こう言う狂気兵器はプラモの世界だけに留めておいて欲しいものですが、かつてこう言う兵器が存在したと言う事実を伝えて行くのも大事かと思います。1/48でB-29の新型キットでないですかね?
についてたのを作りました。特攻仕様の隼Ⅲ型とか
ありますが、クラブに持って行くと、こう言うキットは
作らないようにしているとか言われたことがあります。
それぞれの思いがあるのでしょうが、実際に作戦に
投入されたのは間違いないですから。
大津島の回天記念館に、行きましたが、将来ある
若い人をこんなふうに失う事に、何も感じなかったの
でしょうか。
特攻ではないですが、呉の先の海上に戦時急造のコンクリート船が波よけの堤防代わりに使われているのを見ると、戦時の日本人の苦しさが分かる気がしました。