ここでは倉山氏の経済の見方に対する異論を述べる。「二十五年連続の不況に耐えながら世界第三位のGDPを保ち」(P35)なのだそうである。つまり倉山氏はバブル崩壊以来、日本は不況が続いている、というのである。これは政府の発表する、景気動向指数による景気動向判断によれば、明白な間違いである。時期についての正確な記憶はないが、戦後最長とされる、いざなぎ景気を超える長期の好景気がバブル以後に、確かにあったのである。
不可解なことに、その当時の報道の文言は「戦後最長のいざなぎ景気を超える、長期の景気回復」であった。いざなぎ景気は「好況」あるいは「好景気」である。それをなぜか「景気回復」と置き換えたのである。まさか倉山氏はそれに眩惑されたのではあるまい。とにかくバブル崩壊以後、好景気と言う言葉は使われなくなった。事実平成十一年には平均株価は二万円を超えていたときがあったのである。
ところで、倉山氏は「嘘だらけの日韓近現代史」で、景気について次のように書いている。
小泉政権によって景気は回復軌道にあったとはいえ、根本的にはデフレが続いていました。「史上最長の好況」と言われても、平常に戻るまでに時間がかかりすぎ、・・・日銀総裁が量的緩和の解除という形で裏切り、景気回復策を続けられなくなったのです。(P229)
これはどういう意味だろう。冒頭に引用した文では、二十五年連続の不況と言いながら、ここでは一転して好景気があったことを認めているのである。次の「平常に戻る」とは何のことだろう。それにしても、好況が長く続いたのは氏も認めているのである。しかも景気が良い状態を維持している時に「景気回復策」が続けられなくなった、というのは言葉の使い方として変ではある。好況が続いている時にすることは「景気回復策」ではなく、「好景気維持策」というのであろう。
さらに不可解なのは、「おわりに」で
しかし、二十年続いた不況がさらに二十年続いたら。私と同い年のロストジェネレーション世代は、人生の最も重要な四十年かを希望のない時代として過ごすことになります。(P247)
と書くのである。再びバブル以後、好景気はなかったと言っているのである。小生は揚げ足取りをするつもりではない。だが矛盾は明白過ぎる。前述のようにバブル崩壊以後、日本の景気報道は、「好景気」という言葉を使うことに極度に慎重になって「景気回復」という言葉で誤魔化している。戦後からバブル崩壊以前までの長い期間は、好況が来たと言ってどんちゃん喜び、不況になったと言って、政府何とかせいと文句を言った。戦後その繰り返しだったのである。それがバブル崩壊で人々の意識は確実に変わった。
変わったのは単に実態のないバブルという状況にはしゃぎ過ぎたことへの反省ばかりではない。バブル期より少し前から、日本経済と世界経済との関係が、それまでとは変わってきたのである。それまでは、戦後のどん底から好況不況の波はあっても、マクロには経済成長まっしぐらだったのである。
それがとうとう世界のトップランナーの一員になってしまったのである。賃金は上がって相対的に近隣諸国より遥かに高給取りになってしまった。しかも、中国が改革開放政策で、外国資本の導入を始めると、安い賃金で中国人が使えるようになって、国内の製造業は中国にシフトしていった。つまり戦後の高度成長期の日本を取り巻く環境は、バブルの直前から変わっており、バブルとは環境の変化の象徴である。つまり、バブルより前の好景気とは、製造業が、安くて品質のいいものを国内外に販売した結果である。
しかし、日本の賃金水準が高くなり、物価が高くなると、そのような好景気を作るのが簡単ではなくなった結果、土地の転売や株式投資という、生産ではなく金融で儲けるのが一番手軽な好景気の作り方となった。その結果がバブルである。バブルのきっかけは皆様忘れたろうがNTT株の公開である。プロしか株に手を出さなかったのが、主婦までが株を買い漁れば、株への投資資金が増加するから、株価が上がるのは理の当然である。倉山氏は政治や歴史についてのついでに経済を語っているので仕方ないが、それにしても、上述のような単純な矛盾を犯しているのは不思議である。