毎日のできごとの反省

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コンクリート船・武智丸

2020-09-26 16:23:51 | 日本の風景

  珍しいものといえば、これほど珍しいものも中々なかろう。戦時中、日本は鋼材の不足に悩んだ。船などはその典型的なものである。コンクリートは純国産の資材である。ならば、コンクリートで船を作ってしまったら。コンクリートで船を作る。いかにも泥船じみていて、浮かぶかどうか疑問を感じる。しかし、実際に造ってしまったのである。大東亜戦争当時の日本人がいかに苦労を重ねたか、という象徴でもある。

 ここにあるのは二隻である。写真に写っているのが一隻の船首から船尾までである。右が船首。現在は二隻が防波堤として使われている。場所は広島県安浦町。呉線の安浦駅下車で真東に1km位行ったところである。グーグルマップでも確認できる。

 

 ここには船のスペックと経緯等がきちんと看板に記されている。大東亜戦争の遺品の展示に説明板をつけているのは、案外珍しく、多くは説明もなく、放置されているのであるから感心する。説明板によれば、海軍の技術者の設計で土木工事会社が建造にあたり、船は4隻が造られ、3隻が瀬戸内の航路などで使われ、1隻は南方にまで派遣されている。船は「武智丸」と総称され、個別には武智丸、第二武智丸、第三武智丸などと呼ばれていた。排水量2300トンというからそれなりの大きさである。

 

 

二隻が船尾を突き合わせて配置されている。グーグルマップによれば手前が武智丸で奥が第二武智丸。船体の途中で色が変わっているところが喫水線だから、泥船にしては、乾舷(水面より上の船体)が案外高かったのである。イギリスでは、第二次大戦機に木製機が活躍した。英国は、複葉機の木製技術を絶やさなかったのである。そこにヨーロッパの技術の深さを感じる。ところがコンクリート船などを考えたのは日本だけだったろう。日本人は必要に迫られれば独創を発揮する証拠である。

船尾には、甲板からの出入り口がある。

 

 船首であるが主要部には鋼材が使われている。もちろん鉄筋は入っているのだろう。コンクリートは引っ張りに弱いので、曲げには弱く、波が荒くなくても乗っていて不安だったろう。

 

船尾方向を見たものだが、甲板に開口部があり、このあたりにブリッジがあったものと思われる。見物は手摺の内側だけだが、手摺はオリジナルではないだろう。

 

防波堤になっているから、船の向こう側が瀬戸内海であり、手前に漁船がいる。生きて市民の役に立っているのである。

 

 

「水の守り神武智丸」という看板があるところをみると、大切に扱われているのだろう。それでも、保護もなく波に洗われて劣化するだろう。ダムもコンクリート製ではないかと言われればその通りであるが、靖国神社あたりで保存するのがいいのだろうが、全長64mは大きすぎる。鹿児島の鹿屋基地に展示館があるが、そのあたりが最適といったところであろう。とにかく防波堤の代用ではなく、永久保存させてあげたいものである。


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2 コメント

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コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2020-09-28 20:32:15
すぐそばにちいさな牡蠣の加工工場があるだけで、なにもないところなので、出張のついでに途中下車するか江田島の海軍兵学校跡地見学とセットにするといいと思います。呉市にも大和ミュージアム、てつのくじら館その他海軍関係の施設とか、戦艦大和を作ったドックの跡地もあります。船の状態は案外いいようにおもわれますので、防波堤ではなく、しかるべき場所で保存展示できればよいのですが。
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グーグルマップで見てみました (あほうどり)
2020-09-28 17:21:50
「日本人は必要に迫られれば独創を発揮する証拠である。」ほんとうに素晴らしいですね、現地で是非見てみたいものです。驚きました。
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