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バブルがはじけて以後好況の現在でもバブルの意味をはっきり言ったのを聞いたことがない。まず現在の好況を景気の回復と控え目に言っているのが姑息である。神武景気を超える最長の「景気回復」というのである。神武景気と比較するなら「好況」というべきである。そして最長の好況ならいつ不況に転じてもおかしくないのである。振り返ればバブルがはじけたはずの平成2~3年にもまだみんな好況と言っていたではないか。
閑話休題。バブルとは「金融関係を中心にした好況である。かつて石炭産業、造船産業で好景気があったように、好景気は特定の産業を中心に起きる。かつては全てが第二次産業であった。戦後初めてサービス産業に突然好景気が起きたのである。
引き金は忘れもしないNTTの株式公開だった。株が異常に上昇した。通常は平均株価はGDPに比例する。それはGDPがトータルでは会社など産業の生産力の評価指標だから、同じく産業の評価指標たる株価とは比例するはずである。これは経済の原則である。だが経済の専門家はそれを教えてくれない。株が上がっているときこれは異常だと水を差すのをいやがって原則を無視する。私は勝手にこの原則を立てた。
当時日本と米国の株価とGDPの推移のグラフを見たが米国のものがきれいにGDPに比例するのに、日本のは昭和60年頃から突如株価だけが異常に上がっている。そこでこの原則を思いついたのである。それはなぜか。周囲を見ればわかる。今まで株に目もくれなかった人たちが次々に株を買っているではないか。
NTT株公開をきっかけに素人が多数株を買ったのである。株の数に急変はないからそこに多数の資金が流入すれば、単純な割り算で平均株価が上がる。土地も同様である。要するに投資にいままで関心がなかった人たちまで資金を投入したのである。住みもしない土地を買って儲けようとする。だから地価も上がる。しかし住むことがないのだからバブルがはじけて売る時期を失した人は悲惨である。私の近所でも千葉の田舎に使わない土地を持って都内のマンションに住んでいる人がいる。
これがバブルである。実体がないのに株や土地に投資する。投資は土地の利用価値があるから買うのでも、会社の業績がいいから買うのでもない。確かに価値があったり業績がいいということはある。だがそれは本質ではない。土地や株が上がると予測する口実に過ぎない。どの株や土地が儲かるか推定する根拠に過ぎない。
不思議なもので好況のイメージが広がると、実際には給料が大して上がっていないのに好況感から気前よくものを買う。だから消費が増えて好況の輪が投資以外にも広がる。ところがバブルがはじけても皆の価値観は株価にへばりついている。
たとえ生産が増加しても株価が上がらない限り不況を脱したとは経済評論家は言わなかった。それは評論家が経済を専攻しているために、銀行や証券会社を経済の中心と見がちだからである。身内びいきなのである。平成11年ごろ平均株価が2万円にまで上がっても景気が回復したとは決して言わなかった。バブル期の3万円を越える異常な株価が脳裏にあったのである。
過去の好況不況の経験を見るがよい。石炭でも造船でも不況がその後回復しても、好況を引っ張っていたこれらの産業が元に戻ることはなかった。もちろんこれらの産業の需要が激減したこともあるが、ある産業が好況を引っ張ったとすれば、次の好況が来た時にはその産業がこの好況の牽引者になることはないというのが過去の好不況の波の経験が教えている。
少なくともバブルの次に来る好況には金融業は牽引者とはなれないのである。もちろん金融業のニーズは激減するわけではなく、産業を支える任務は重要だから金融業が没落することはない。だからバブルの次の好況にあっても、金融業は普通の経営状態を期待できれば充分である。好況のおこぼれにあずかろうとはおこがましいのだ。
バブルの投機に懲りた庶民は株などの投資を控える。だから株投資に投入される資金は減少する。するとさきの計算の逆で、株価は下がるのは当然である。バブルに懲りた人たちの多くは二度と株に手を出さないから、少なくとも当分はバブル期の株価を回復することはない。まして平均株価の計算法が変わって低めに算定されるのである。
ところでバブルという言葉の乱用をITバブルに見てみよう。前回の好況をバブルと言ったのは、かつての好況が全て製造業すなわち生産という実態のあるものであったのに対して、バブルでは株や土地取引といういわば生産の実体のない投機的ばくち的産業に起きたからである。泡のように空虚だと言ったのである。人の気分で急に上がった好況は気分の変化であっという間に下がる。だから不況になるとバブルと命名したのである。
だがITバブルは異なる。IT産業にはソフトやハードと言った産業としての実態はある。だからバブルではないのである。それをバブルといったのは、今はIT産業の景気はいいが、すぐにだめになるという意味に過ぎない。バブルに懲りた経済評論家の好景気産業の警戒心に過ぎない。だからバブルという言葉の乱用である。