生麦事件は、現在横浜となっている生麦村で起きた事件である。島津久光らの一行に、英国人の商人らが騎馬で大名行列に正対して、通過しようとして殺傷された事件である。結局、日本は賠償金を取られたが、果たして国際的に見て違法な事件だったのだろうか。
アメリカ大統領が自動車に乗ってパレードをしていたとする。ケネディー大統領の暗殺時のパレードのシーンを思い出せばよい。大統領と警護の車の列に、正面から数台の自動車が正対して走行し、パレードの車の間をすり抜けて行ったとする。この時何が起こるか。警護の車や周辺の警察官が、これらの車の乗員を、警告もなしに全員射殺してしまうだろうことは、火を見るより明らかである。
これを米国では、正当な警護と看做す。他の西欧諸国やロシアで類似な事件が、現在起きたとしても同じことである。生麦事件では、警護の侍たちは、英国商人たちに馬から降り、立ち去るよう、身振りで警告すらしたのである。それを無視した英国商人で、殺害されたのは、たった一人に過ぎない。
当時の日本の警護というのは、現在の世界的常識と比較してすら、かくも微温的だったのである。日本では今でも生麦事件は、侍の横暴であった、と言うのが普通の意見であろう。だが、かく言うように、当時の一藩の幹部の列に突っ込む人たちを成敗するのは、警護の義務ですらある。
御定法に照らすまでもなく、緊急措置として合法である。当時、他にも類似の事件が発生しているが、同様である。西欧の横暴がまかり通ったのは、当時の日欧の力関係に過ぎない。