香港国家安全維持法が全人代で可決された。これによって香港の一国二制度が崩壊し、香港の自由と民主主義が失われたと嘆く声は多い。しかし、これは大いなる矛盾と皮肉であることを伝える声が全くないのは、不可解ですらある。
そもそも香港がなぜ英領であったかを何故考えないのかが不可解である。英国はろくな輸出品がないために清朝にアヘンを売りつけた。それを無法だと怒った清朝の役人が、アヘンを没収したために起こったのがアヘン戦争である。アヘン戦争は、英本国議会でも恥ずべき行為だと言う議員がいたほど、「恥ずべき戦争」だったのである。
敗北した清朝は香港を英国に永久割譲した。香港は永久に英国の領土となったはずである。しかし、隣接する新界は99年の租借期限が設けられた。共産中国になって香港の返還交渉が行われた。香港は永久割譲されたのだから、法的には英国に返還の義務はないのであった。ところが問題は租借期限がある新界であった。
香港の水は新界を通じて供給される。新界が条約通りに99年で返還されることになれば、香港は水を止められることになる。その脅し文句に乗って香港は中共に返還されることになったのである。香港は英領であったから支那人は徹底的に差別された。公共施設には「犬と支那人は入るべからず」という看板が立てられたと言う、嘘か真実か分からない噂まであったと言われたのである。
皮肉、と言うのはそのことではない。最後の香港総督となったクリス・パッテン氏は任期中の五年間、自由選挙など香港統治に民主的制度を取り入れたのである。ここに、犬並みだった香港人は民主主義の人民となった。もちろんその功績はパッテン氏だけに起因するものではなく、英本土の民主的傾向は、それ以前から香港に流れこんだのである。
そればかりではない。英領になる以前は寒村に過ぎなかった香港は、英国支配によって都市化すると同時に支那の金融の中枢にもなっていった。香港に流入した支那人は自由と民主主義ばかりではなく、豊かさも求めてきたのである。
本来は搾取されるべき植民地香港が、自由と民主主義のみならず、豊かさの象徴となった。このことは、鄧小平の改革開放の遥以前のできごとであった。ここまで書けば「香港の皮肉」の意味は理解していただけであろう。小生は記憶に頼って書いているから正確ではない。しかし、哀れな植民地の民であった香港の住民は、ちっとも中共に併呑されることを望まなくなったのである。これが皮肉ではなく何であろう。
ちなみに、香港最後の総督となったパッテン氏のことを、中共幹部のひとりは、あの野郎だけは生かして帰さない、とつぶやいたそうである。支那人の英国植民地支配に対する怨恨は、かくまでも大きい。しかし、それが香港住民の気持ちを代弁しているかは別の話である。
寒村だった香港ですから生粋の香港人と言うのは僅かで、皆支那本土から来たわけで、その人たちが支那と一緒にして欲しくないというのですから。おかげで台湾の独立が確固たるものになりつつあるのは、いいおまけです。沖縄で反米反日運動をしている人たちは、そのことを考えた方がいいと思います。
小平次です
>>そもそも香港がなぜ英領であったかを何故考えないのかが不可解…
おっしゃる通りだと思います
この辺のことを私も記事にしようかと思っておりましたが、色々調べなおすのも大変なので、いずれ猫の誠さんのブログをご紹介させて頂くにとどめます(笑)
仮に返還義務があったとしても、返還すべき清王朝はすでにこの世にないことなど、こういったことの事実関係を我々日本人がよく理解していなければ、先人がだれと戦ったのかもわからなくなりますし、現代支那王朝がどれほど無茶な理屈を振りかざし、台湾、やがて沖縄まで飲み込もうとしているかも理解できないと思います。
まあ、メディアには期待できませんね
ありがとうございました