浮世絵の春画はえっちの光景をもろに描写したものとして広く知られている。十数年以上前は、公刊される春画は肝心の部分に修正がかけられていた。しかし現在では全く修正なしに公開されている。このことをどう考えるべきか。現在でも写真によるえっちの場面は肝心の部分が修正されている。無修正のものは裏本と呼ばれて、違法出版物である。
一方では露骨にえっちシーンを表現した春画は堂々と公表されている。線描であるだけに丁寧に分かりやすく描かれている。しかも春画について妙齢の女性評論家までが批評する。このようなことは裏本にはあるまい。春画が芸術として批評されても、裏本は芸術として批評されることはない。暗闇の存在である。だが同時代の人たちにとっては、裏本も春画も他人のえっちシーンを見ることが出来るという点において、その価値には変わりはないのである。
江戸時代の人たちには、単に写真という表現手段がなかったために、春画でえっちシーンを表現するしかなかったのである。つまり当時の春画はえっちシーンをリアルに再現し、多くの人たちが見ることのできる唯一の手段だったのである。現代人がそのことを忘れているのは、浮世絵が芸術として高貴な価値を認められたからである。だからえっちな心で春画を見ているのではない、芸術を見ているというわけである。
だが江戸時代の春画作者も大衆もそのような気持はなかった。現代人がえっちな心で裏本を見るごとく春画を見ていたのである。歌麿などの浮世絵師は現実に男女がえっちするところを見てスケッチして春画を制作しているのである。そうでなければ、デフォルメはあるものの、あれほどリアルなえっちの光景は描けない。
浮世絵は単に裏本と同等なのではない。もし春画を描いた歌麿が現代に生きていたなら、裏本が単なる写真であることに満足しない。実際のえっちのように男女が動き、声が出るものを求める。すなわちアダルトビデオである。さらに無修正の裏ビデオである。歌麿の前でえっちシーンを演じていた江戸時代の男女は現代ではアダルトビデオの男優女優である。そういうえっちな目で春画をとくとご覧あれ。私の言うことが本当だとわかるはずである。
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