<苦難のしもべイエスさま>
「 しかし、このことを信じる人はなんと少ないことでしょう。
いったい誰が耳をすまして聞くでしょう。
神さまはだれに、救いの力をお示しになるのでしょう。
神様の目から見れば彼は柔らかな若芽のようで、
不毛の地の根から芽を吹き出したのです。
ところが私たちの目から見れば、人目をひくものは一つもなく、
好意をいだかせるものも一つもありません。
私たちは彼をさげすみ、のけ者にしました。
彼は悲しみの人、人生の苦しみをなめ尽くした人でした。
私たちは彼に背き、傍を通ってもそっぽを向きました。
彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。
ところが、彼が背負い込んだのは、実は私たちの悲しみであり、
彼を押しつぶしたのは、私たちの嘆きでした。
私たちは、彼がそんなに苦しむのは、
罪を犯して神様に罰せられているからだと考えていました。
しかし実際は、私たちの罪の為に傷つき、血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、進んで凝らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。
私たちは神様の道を踏みはずし、羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いて来ました。
ところが神さまは、私たち一人ひとりの罪を彼に負わせたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ、悩みました。
それでも、ただの一言も口にしませんでした。
子羊のようにおとなしく屠殺場へ引いて行かれ、
毛を刈り取られる羊のように、
非難を浴びせかける者たちの前に黙って立ちました。
人々は彼を裁判にかけ、死刑場へ引き立てました。
はたして、彼が死ぬのは自分たちの罪のためであり、
身代わりに刑罰を受けて苦しんでいることを知っていた者が、
その当時いたでしょうか。
彼は罪人扱いを受け、金持ちの墓に葬られました。
しかし実際は、悪いことなど何一つしたわけでもなく、
悪いことばを一度でも口にしたわけではありません。
彼を傷つけ、悲しみで押しつぶすのは、実は神さまの計画だったのです。
罪が許されるためのささげ物として、そのたましいをささげる時、
彼は多くの子孫を見ることができます。
しかも彼は復活するので、神さまの計画は彼の手によって陽の目を見ます。
彼は、自分のたましいが苦しみもだえた末、
神様のみわざが実現するのを見て、すっかり満足します。
「わたしの正しいしもべは、このような苦しみを経験して、
多くの者を神様の前に無罪とする。
彼が人々の罪をいっさい負うからだ。
わたしは彼に、偉大な勝利者としての栄誉を与える。
彼は進んでいのちをささげたのだ。」
彼は罪びとの一人に数えられ、多くの者の罪を負い、
罪びとのために神にとりなした。
イザヤ書53章
「 しかし、このことを信じる人はなんと少ないことでしょう。
いったい誰が耳をすまして聞くでしょう。
神さまはだれに、救いの力をお示しになるのでしょう。
神様の目から見れば彼は柔らかな若芽のようで、
不毛の地の根から芽を吹き出したのです。
ところが私たちの目から見れば、人目をひくものは一つもなく、
好意をいだかせるものも一つもありません。
私たちは彼をさげすみ、のけ者にしました。
彼は悲しみの人、人生の苦しみをなめ尽くした人でした。
私たちは彼に背き、傍を通ってもそっぽを向きました。
彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。
ところが、彼が背負い込んだのは、実は私たちの悲しみであり、
彼を押しつぶしたのは、私たちの嘆きでした。
私たちは、彼がそんなに苦しむのは、
罪を犯して神様に罰せられているからだと考えていました。
しかし実際は、私たちの罪の為に傷つき、血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、進んで凝らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。
私たちは神様の道を踏みはずし、羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いて来ました。
ところが神さまは、私たち一人ひとりの罪を彼に負わせたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ、悩みました。
それでも、ただの一言も口にしませんでした。
子羊のようにおとなしく屠殺場へ引いて行かれ、
毛を刈り取られる羊のように、
非難を浴びせかける者たちの前に黙って立ちました。
人々は彼を裁判にかけ、死刑場へ引き立てました。
はたして、彼が死ぬのは自分たちの罪のためであり、
身代わりに刑罰を受けて苦しんでいることを知っていた者が、
その当時いたでしょうか。
彼は罪人扱いを受け、金持ちの墓に葬られました。
しかし実際は、悪いことなど何一つしたわけでもなく、
悪いことばを一度でも口にしたわけではありません。
彼を傷つけ、悲しみで押しつぶすのは、実は神さまの計画だったのです。
罪が許されるためのささげ物として、そのたましいをささげる時、
彼は多くの子孫を見ることができます。
しかも彼は復活するので、神さまの計画は彼の手によって陽の目を見ます。
彼は、自分のたましいが苦しみもだえた末、
神様のみわざが実現するのを見て、すっかり満足します。
「わたしの正しいしもべは、このような苦しみを経験して、
多くの者を神様の前に無罪とする。
彼が人々の罪をいっさい負うからだ。
わたしは彼に、偉大な勝利者としての栄誉を与える。
彼は進んでいのちをささげたのだ。」
彼は罪びとの一人に数えられ、多くの者の罪を負い、
罪びとのために神にとりなした。
イザヤ書53章
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