「私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に
誇りとするものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、
私も世界に対して十字架につけられたのです。」
ガラテヤ6:14
「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。
新しい人は、造り主のかたちに似せられて
ますます新しくされ、真の知識に至るのです。
そこには、ギリシャ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、
スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。
キリストがすべてであり、
すべてのうちにおられるのです。」
コロサイ3:9-11
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。」
ガラテヤ2:20
<聖書の中心はイエス・キリスト>
もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、
わたしの証言は真実ではありません。
わたしについて証言する方がほかにあるのです。
その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。
あなたがたは、ヨハネの所に人をやりましたが、彼は真理について証言しました。
といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。
わたしは、あなたがたが救われるために、そのことを言うのです。
彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、
その光の中で楽しむことを願ったのです。
しかし、わたしにはヨハネの証言よりも優れた証言があります。
父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、
すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、
父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。
また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。
あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。
また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。
父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。
ヨハネ5:31-39
「自分の十字架を負ってわたしについて来ないものは、
わたしにふさわしい者ではありません。
自分の命を自分のものとした者は、それを失い、
わたしのために自分の命を失った者は、それを自分のものとします。」
マタイ10:38-39
<真理の助け主>
わたしは父にお願いします。
そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。
その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は真理の御霊です。
世はその方を受け入れることができません。
世はその方を見もせず、知りもしないからです。
しかし、あなたがたは知っています。その方はあなたがたとともに住み、
あなたがたのうちにおられるからです。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
わたしはあなたがたのところに戻って来るのです。
いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。
しかし、あなたがたはわたしを見ます。
わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、
わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
ヨハネ14:16-20
「私の救いの神。
私の父、私の母が、私を見捨てるときは、
主が私を取り上げてくださる。」
詩篇27:9、10
<祈り>
「神よ。あなたは私の神、
わたしは切にあなたをたずね求め、
わが魂はあなたを渇き望む。
水なき、かわき衰えた地にあるように、
わが肉体はあなたを慕いこがれる。
それでわたしはあなたの力と栄とを見ようと、
聖所にあって目をあなたに注いだ。
あなたのいつくしみは、命にもまさるゆえ、
わがくちびるは、あなたをほめたたえる」。
「主よ。あなたの大路を私の知らせ、
あなたの道をわたしに教えてください。
あなたのまことをもって、わたしを導き、
わたしを教えてください。
あなたはわが救いの神です。
わたしはひねもすあなたを待ち望みます」。
J・ベイリー
「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。
地上では、あなたのほかに私は
だれをも望みません。」
詩篇73:25,26
<終わりの日に>
「終わりの日に、
主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、
国々の民はそこに流れてくる。
多くの異邦の民が来て言う。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、
エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は多くの国々の民の間をさばき、
遠く離れた強い国々に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いの事を習わない。
彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、
いちじくの木の下にすわり、
彼らを脅かす者はいない。
まことに、すべての国々の民は、
おのおの自分の神の名によって歩む。
しかし、私たちは、世々限りなく、
私たちの神、主の御名によって歩もう。」
ミカ書4:1-5