「キリスト・イエスにある救い」
あなたがたは、以前は、自分の持っている罪のために、
神から離れ、道徳的に無力な死んだ存在であった。
その頃は、そうした罪の中で、悪魔の思うままにあやつられた生き方をしていた。
私たちも同じであって、信仰を持つまでは、自分の肉欲のままに生き、
生まれながらの利己的な性質まる出しの生活をしており、
ほかの人たち同様、神の怒りを受けなければならない者たちであった。
ところが、あわれみ深い神は、私たちをどんなに深く愛してくださったことか。
その大きな愛によって、罪の中で道徳的に無力になっていた私たちを、
キリストの復活の力によって生かし、キリストとともに勝利者としてくださった。
実に、あなた方が救われたのは、神の恵み以外の何ものでもない。
このすばらしい救いの恵みを、キリスト・イエスによって私たちに下さったことを思えば、
私たちはこの救いをいつまでも宣べ伝えずにはいられない。
あなたがたが罪から救い出されたのは、神の恵み以外の何ものでもなく、
それは、あなたがたが信仰をもって受け入れたからである。
そしてそれは、あなたがたが自分の力で獲得したものではなく、
神が賜物として下さったものである。
自分の行いによって得たものではない。
だから、だれ一人として誇ることはできないはずである。
しかし、私たちをこのように救い、キリスト・イエスによって造り変えて下さった神は,
私たちが救われてから善い行いをするようにと計画しておられたのである。
だから、このことをよく覚えておいてもらいたい。
あなたがたは、以前には神の民ではなく、ユダヤ人からは、神を知らぬ者たちと軽蔑されていた。
その当時、あなたがたはキリストとかかわりのない人生を送っており、
神の選民としての特権から除外され、神の素晴らしい約束にあずかれず、
希望のない毎日であり、なによりも生ける唯一のまことの神を知らなかった。
このように、神から遠く離れた以前の生き方をしていたあなたがたも、
今ではキリスト・イエスを信じ、キリストの身代わりの死によって神のみもとに近づくことができた。
というのは、キリストこそ私たちを和解させてくださるお方であって、
ユダヤ人と異邦人との間にあった敵対という壁を打ち壊し
ご自分の死によって、律法に起因している憎しみと敵意を取り除かれたのである。
これは、ユダヤ人もそうでない者も一つにしてしまい、そうして平和をつくりだすためであり、
十字架にかかるという、いのちがけの業でこの両者を一つの体である教会とし、
そうして神と和解させ、両者の間にあった憎しみと敵意を十字架によって滅ぼしてしまうためである。
このようにしてから、キリストは、その教会を通して、ユダヤ人にもそれ以外の人たちにも、
平和の福音を宣べ伝えられた。
こうして、わたしたちはこのキリストと御霊の助けによって、
両者ともに父なる神のみもとに近づくことができるのである。
こういうわけで、あなたがたはもはや神の恵みに関係のない人々ではなく、
ほかのクリスチャンと一緒に神の家族を構成している者たちである。
また、あなたがたは使徒や預言者たちが教えた教えの上に立っている者たちであり、
その中心はイエス・キリストである。
キリストの教会は、ちょうど建物のように、このキリストを土台とし、
その上に建て上げられるものであって、主の聖い宮になるものである。
これは、御霊が住まわれる生きた主の宮であって、
あなたがたお互いは、生きた交わりのうちに、教会を形成していくのである。
「エペソ書 2章」
「現代訳聖書・尾山礼仁師」
あなたがたは、以前は、自分の持っている罪のために、
神から離れ、道徳的に無力な死んだ存在であった。
その頃は、そうした罪の中で、悪魔の思うままにあやつられた生き方をしていた。
私たちも同じであって、信仰を持つまでは、自分の肉欲のままに生き、
生まれながらの利己的な性質まる出しの生活をしており、
ほかの人たち同様、神の怒りを受けなければならない者たちであった。
ところが、あわれみ深い神は、私たちをどんなに深く愛してくださったことか。
その大きな愛によって、罪の中で道徳的に無力になっていた私たちを、
キリストの復活の力によって生かし、キリストとともに勝利者としてくださった。
実に、あなた方が救われたのは、神の恵み以外の何ものでもない。
このすばらしい救いの恵みを、キリスト・イエスによって私たちに下さったことを思えば、
私たちはこの救いをいつまでも宣べ伝えずにはいられない。
あなたがたが罪から救い出されたのは、神の恵み以外の何ものでもなく、
それは、あなたがたが信仰をもって受け入れたからである。
そしてそれは、あなたがたが自分の力で獲得したものではなく、
神が賜物として下さったものである。
自分の行いによって得たものではない。
だから、だれ一人として誇ることはできないはずである。
しかし、私たちをこのように救い、キリスト・イエスによって造り変えて下さった神は,
私たちが救われてから善い行いをするようにと計画しておられたのである。
だから、このことをよく覚えておいてもらいたい。
あなたがたは、以前には神の民ではなく、ユダヤ人からは、神を知らぬ者たちと軽蔑されていた。
その当時、あなたがたはキリストとかかわりのない人生を送っており、
神の選民としての特権から除外され、神の素晴らしい約束にあずかれず、
希望のない毎日であり、なによりも生ける唯一のまことの神を知らなかった。
このように、神から遠く離れた以前の生き方をしていたあなたがたも、
今ではキリスト・イエスを信じ、キリストの身代わりの死によって神のみもとに近づくことができた。
というのは、キリストこそ私たちを和解させてくださるお方であって、
ユダヤ人と異邦人との間にあった敵対という壁を打ち壊し
ご自分の死によって、律法に起因している憎しみと敵意を取り除かれたのである。
これは、ユダヤ人もそうでない者も一つにしてしまい、そうして平和をつくりだすためであり、
十字架にかかるという、いのちがけの業でこの両者を一つの体である教会とし、
そうして神と和解させ、両者の間にあった憎しみと敵意を十字架によって滅ぼしてしまうためである。
このようにしてから、キリストは、その教会を通して、ユダヤ人にもそれ以外の人たちにも、
平和の福音を宣べ伝えられた。
こうして、わたしたちはこのキリストと御霊の助けによって、
両者ともに父なる神のみもとに近づくことができるのである。
こういうわけで、あなたがたはもはや神の恵みに関係のない人々ではなく、
ほかのクリスチャンと一緒に神の家族を構成している者たちである。
また、あなたがたは使徒や預言者たちが教えた教えの上に立っている者たちであり、
その中心はイエス・キリストである。
キリストの教会は、ちょうど建物のように、このキリストを土台とし、
その上に建て上げられるものであって、主の聖い宮になるものである。
これは、御霊が住まわれる生きた主の宮であって、
あなたがたお互いは、生きた交わりのうちに、教会を形成していくのである。
「エペソ書 2章」
「現代訳聖書・尾山礼仁師」