<信 仰>

2021年12月28日 | 神さまの言葉
 《信仰》
 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
昔の人々はこの信仰によって賞賛されました。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、
したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、
そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。
神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。
彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。
神に移されて、見えなくなりました。
移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
 
 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、
恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、
その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、
これに従い、どこに行くのかも知らないで、出て行きました。 
 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、
同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
彼は、固い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。
その都を設計し建設されたのは神です。
 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。
彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、
天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
 
 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、
地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、、帰る機会はあったでしょう。
 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
          ヘブル11章1-16