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Ep7をほどく(11)・そしてアンチミステリーへ
筆者-初出●Townmemory -(2010/09/28(Tue) 20:04:45)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=52924&no=0 (ミラー)
[Ep7当時に執筆されました]
※番号順に読まれる想定で書かれています。できれば順番にお読み下さい。
☆
細かいところをちょっと合わせて、まとめを書いて、ひとまずおしまいです。
●ヤスシャノン世界で起こっていない殺人
些細なことで、かつうまい検証もないのでサッと指摘だけ。
クレルとウィルの、白黒切り分け合戦で、言及されない殺人がいくつかありますね。
あれなんですが、
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェが犯行を行なう世界では、その殺人は起こってない」
という受け取り方はどうでしょう。発生してないんだから、言及されるはずもないっていう思い切ったとらえかたです。
Ep1で、紗音は、べつに儀式に必要もないのにあえて夏妃と決闘する必要はない。爆弾でふっとばせばすむのですからね。
だから、ヤス・シャノン・ベアトリーチェは、第9の晩に「夏妃を射殺していない」。
逆に、「ジェシカ・ベアトリーチェにはあえて夏妃と決闘する理由がある」とわたしは考えているわけです。それは長くなりますから、 ■目次(全記事)■ から「●犯人特定」の欄の「サファイア・アキュゼイション」というシリーズを読んで下さい。
●貴賓室のフランス人形のミステリー
朱志香が貴賓室に肝試しに行ったら、電気が消え、電話が鳴って真里亞が歌をうたい、フランス人形が消えます。
電気消し係と電話鳴らし係と人形係の3人が必要だってことになってます。
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェ世界」でそれをやったのは、源次・熊沢・紗音でいいんじゃないでしょうか。ヤス紗音が、源次・熊沢に命令を下し、「朱志香にベアトリーチェを信じさせる」目的でコトを起こしたっていう形です。とくにそれで困ることもないので、あまり深く考えないことにします。
「ジェシカベアト世界」ではどうでしょう。こっちはちょっと困ります。だってこの想定では、朱志香がベアトリーチェなんですからね。こっちの世界では紗音は当主様ではないので、源次への命令ができないのです。
ひとつの考え方は、朱志香が「そういう事件があったんだよ」と言い張っただけ、というミもフタもない推理。
けど、思い切ってこんな考え方もできる。
朱志香にドッキリを仕掛けたのは、源次・熊沢・「金蔵」。
まさかの金蔵生存説。じつはこっちの世界では、この段階で金蔵はまだ死んでなかったという想定です。
わたしは「金蔵生存説」は、「もう一回のどんでん返し」候補として、ちょっと本気で考慮してもいいと思ってるのです。
さて。以上はじつは前置き。ここからが言いたいこと。
貴賓室にフランス人形が置いてあるそうです。
このフランス人形が、もし「球体関節」を持ってたら、ちょっとおもしろいことになるなあと思うのです。
(フランス人形が球体関節を持つことはありえないのかな? その場合は人形全般のことを朱志香がよく知らなかったことにしますね)
フランス人形は、ベアトリーチェそのもののように扱われていたわけですね。
フランス人形は、ベアトリーチェさまである。
ベアトリーチェさまを粗末にあつかうと、罰があたって不幸になる。
だから、ベアトリーチェさまのお人形に、お菓子をおそなえして、熱心に拝みなさい。
そうすると、ベアトリーチェさまは平伏した者には優しいから、被害を与えないでくれるのである。
さて、そんな貴賓室に、「黄金を見つけてベアトリーチェになった朱志香」が現われた、と考えて下さい。
あ、べつに「黄金を見つけてベアトリーチェになったヤス」でも良いです。ようするにベアトリーチェの中の人、ほんもののベアトリーチェがそのフランス人形を見たと思って下さいな。
このフランス人形は、ベアトリーチェさまだと考えられているらしい。
いや、私がベアトリーチェだ。
私がベアトリーチェなのだから、この人形はベアトリーチェではない。
じゃあ、この人形は何だ?
「熱心に拝むと魔女の被害を受けなくなる」という機能を持つフランス人形が、ベアトリーチェでないとしたら、この人形の正体はいったい何になるんだ?
そこで「世界が変更」されたんじゃないかと思うのです。
昨日まで「拝めば慈悲心を起こしてくれるベアトリーチェさま」だった人形。
それが今日からは、
「ベアトリーチェを撃退してくれる守り神」
なのである、という整合がとられたんじゃないか。
守り神は、ベアトリーチェを追っ払ってくれるので、魔女の被害を受けなくなる。
祇園さんとして知られる牛頭天王という神様は、もとは「疫病をもたらす神様」だったそうです。だから人々は熱心にお参りして、「うちには疫病を運ばないで下さい」とお願いしていた。
ところが、何かの拍子に、解釈が変わってしまった。
「祇園さんを拝んだら、病気にかからない」
というところだけが伝わっていった結果、牛頭天王は、
「疫病を打ち払ってくれる荒ぶる神様」
というふうに属性が変化してしまったそうです。聞いた話なんですが、そういうことがあるそうです。
そんなふうに、お人形は、「魔女狩りの神」という属性で解釈されるようになる。ベアトリーチェの中の人は、そういう設定で整合をとる。
たとえば……。
十個の戒律を必殺技として持ち……
魔女幻想を赤と青の剣で打ち破る……
天界の裁判官。
ドラノールは、Ep5では「大理石で出来た球体関節人形」のようだと描写されたり、Ep6ではヱリカに「お黙りなさい殺人球体関節人形」となじられたりしています。
つまり、ドラノールや、その他の天界キャラクターは、すべて「ベアトリーチェの中の人」が創造した幻想キャラクターだったんじゃないかと思っているのです。
ヤスは、もしくは朱志香は、ようするにベアトリーチェの中の人は、このドラノールという新キャラクターを得て、
「天界大法院ミステリー」
というフィクションの推理シリーズを構想したんじゃないかな。
彼女の中には、最初から、
「密室の魔女ベアトリーチェ」シリーズ
という構想があって、ベアトリーチェが密室を作って人々を翻弄するミステリーシリーズを考えていた。
それと同じ世界観を使って、立場を逆転させ、魔女を追いかけて捕まえるシリーズも展開できるじゃないかと気づいた。
魔女シリーズは、魔女ベアトリーチェが鮮やかに犯罪を犯すシリーズ。
天界シリーズは、裁判官ドラノールが魔女を逮捕するシリーズ。
怪盗キッドの『まじっく快斗』と、江戸川コナンの『名探偵コナン』の関係みたいな。
●ウィルの中身
ミスター・ヴァンダイン。ウィル君の中身は、じゃあいったい何なんだという話になりますね。
これ、戦人でいいと思います。ベアトリーチェの中の人が、戦人を「モデルにして」、ウィラード・H・ライトというキャラクターを創造した。
そして、ホワイダニットを重要視する“かっこいい”ヒーロー探偵として、「天界大法院シリーズ」の中に配置した。
大好きだからヒーロー役にするわけです。
ホワイダニットに異常にこだわる性格。髪の毛の赤メッシュ。すぐにお腹をこわすかんしゃく持ちの小さな生き物との生活。
「ベルンカステルのミステリーが気に入らないから、そいつをファンタジーにしてやる!」
というのと、
「古戸ヱリカの推理が気に入らないから、そいつを不成立にしてやる!」
というのは、まったくおんなじ構図です。
「共通点があるから、ウィルと戦人は同一人物なんじゃないか」みたいなことを想定するよりは、いったんフィクションの世界を設定して、
「戦人をモデルにしたキャラクターを幻視して、配置した」
というほうが、通りがいい気がするのですね。
●「No Dine,No Knox,No Fair」
ドラノールが「ベアトリーチェの創造物だ」というのには、ちょっとした傍証があります。
Ep5で、「ベアトが許可した者しか入れない薔薇庭園」に、ドラノールがやって来て、ワルギリアや戦人とお茶会をするのです。
ワルギリアと旧知の仲だという設定も明かされました。
そして、「心を閉ざしたベアトがあえてドラノールをここに呼び寄せたのだ」「それは戦人とドラノールを会わせるためだ」ということが語られます。
これは「ドラノールは私が作ったキャラだから、悪いことはしない」「私がドラノールに付与したものの考え方や情報は、戦人の役に立つはずだ」という取り方をすると、なんとも整合感があるのです。
そこで。「No Dine,No Knox,No Fair」という、OPムービーの宣言文の話になるのです。あれにはベアトリーチェの署名が入っていた。
「私の作った世界観の中には、ノックスやヴァンダインというキャラクターも存在していて、彼らなりの論理や特殊能力を持っている。けれども、今回の事件には、ノックスやヴァンダインは登場しない。登場しない範囲のルールで事件を起こすものである。すなわち、十戒や二十則から逸脱するような条件もゲームに含まれることを宣言する」
という意味に読めるような気がする。
ところがベアトリーチェがゲームマスターをやめたとたんに、ノックスが出てきて、ヴァンダインまで出てくる。
これは、ベルンカステルかラムダデルタが後付けで連れてきた。
ベアトの作った設定を隅々まで調べたベルンかラムダが、
「ベアトったら、こんなにおもしろいギミックも用意してあるんじゃない。どうして使わないの? え? 今回のトリックと矛盾するの? いいじゃない、面白いから出しちゃいましょうよ。戦人が混乱する顔が見たいわ」
とかいって、無理矢理つっこんだ。わたしは「このゲームはノックスには準じていない」という説をずっと採っています。
●何度めかの「赤字」
わたしは、Ep1~4の犯人を朱志香だと考えています。
朱志香がEp1~4の犯人であるためには、いくつかの赤字を盛大にキャンセルしなければなりません。
ですから、「右代宮朱志香は殺人を犯していない」という赤字をキャンセルして、右代宮朱志香が犯人であることにしています。
わたしは、「赤字は真実でないことも言える」という説を提唱しています。
人を騙すというのは、つきつめれば、
「真実でないことを真実だと思いこませる」
ことなんだ。
「この条件下で、どう考えたら、正解にたどり着けるだろうか」という思考法を、わたしはとりません。
「この条件下で、もっとも効率的に、大量の人間を騙す方法は何か」
という考え方です。
「ありもしないルールを、あると思いこませる」
たったこれだけで、ほとんどの人間を真相から遠ざけることができる。
このギミックに騙されなかった人のために、セカンドトリック、サードトリックを撒いていけばいいのです。そうして最終的には、ゼロにしぼりこむ。
みんな「未知の薬物を出してはならない」とか「犯罪組織が犯人であってはならない」とかいった、ありもしないルールをあると思いこんでひぐらしを読んでいましたからね。これが効くのは保証付きです。
そんなルールないんです。みんなが「そういうルールがあるものだ」と思いこんだだけです。「エスカレーターに立つときは右(左)側をあけなければならない」というのはちょっとそれに近いかも。「みんなたいていそうしている」という現象の観測が、「そうでなければならない」にすりかわったのです。夢枕貘さんの安倍晴明なら、「ミステリーのお約束という呪にかかっている」とでも言いそうなところ。
かくいうわたしも、「そういうルールがあると思いこんで」ひぐらしを読んで、盛大に騙され、呪がとけました。中禅寺先生に憑き物を落として貰った気分だ。
少なく見積もっても万単位のユーザーを、4年間にわたって、手掛りを出し続けながら騙し続けなければならないのです。しかも半年ごとに、平均3個の不可能殺人を提出しつづけるという難題。
そんな無茶な条件が与えられたら、騙す側は全力でなければならない。もっとも高効率な手が選ばれねばならない。
「赤字を真実だと思いこませ、しかし真実ではない」
わたしが出題者の立場だったら、これを思いついた瞬間、絶対に採用します。
わたしがこの「合理性」を語ると、それはもう、みなさんモニターの前で嫌な顔をされる。
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
解明はできるように出来ているはずだから、基準はあるはずであり、その基準となる赤字は本当であるはずだ。
まあそういったことを百万回くらい言われております。(いや、百万回は大げさすぎですね。「千年の魔女」というのも言い過ぎだ)
百万回くらいいろんな答え方をしましたが、新しい答え方を開発しましたので、披露します。
このシリーズの最初の話題に戻ります。『うみねこ』はミステリーなのかファンタジーなのかアンチファンタジーなのかアンチミステリーなのか。
●残されたキーワード
この物語は、魔女が現われて、密室殺人を「魔女のしわざだ」と言い張るところから始まりました。
魔女犯人説という「ファンタジー」から始まった。
それに対して戦人が、そんなわけはない、人間が物理法則の範囲で犯行したはずだと主張して、対立のゲームになりました。
戦人は、人間の犯行で物理法則内であれば、どんなナンセンスな主張でもするというアプローチをとりました。これは作中で「アンチファンタジー」の態度だと説明されました。
ファンタジー対アンチファンタジー。
さらにそれに対して、ベルンカステル(古戸ヱリカ)がとったアプローチが「ミステリー」。
ミステリーにはさまざまなルールが所与のものとしてあるのであって、すべてはそのルール内で行なわれているはずだ、と、彼女は決め打ちします。
これはファンタジーに対抗する立場なので、アンチファンタジーに近いですが、より狭く限定するアプローチです。アンチファンタジーが許容していたナンセンス主張も否定します。
この、ベルンたちの「ミステリー」が、戦人は非常に気に入らなかった。戦人は彼女たちのミステリーを撃退したいと願望しました。
そこで彼が取った方法は、
「魔術師になって、超自然の方法で手に入れた手掛りを使って、ミステリー説を否定する」
というものだったのです。
つまり、アンチファンタジーだった戦人は、ミステリーを撃退するために、自らファンタジーになったのです。
ファンタジー対ミステリー。
そして今回のEp7。
ミステリープロパー、ベルンカステルが、再び謎を仕掛けます。すべてが「ミステリー」でした。
それが気に入らないミステリー探偵のウィルは、ベルンカステルを撃退しようと試みました。
ミステリー対ミステリー。
最後にひとつ、キーワードがまだ使われていないのです。
ミステリー探偵のウィラードには、ベルンカステルを倒せなかったのです。
「そんな手掛りはない以上、その結論をとることを禁ず!」
といった、いかにもミステリー的な戦い方では、彼女には勝てないらしい。
ベルンカステルのミステリーを撃退するもの。
それはきっと、
「アンチミステリー」。
●そしてアンチミステリーの世界へ
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
という疑念への答え。
そうです。
それで良い。
それではミステリーにならない。
なりません。
それで良い。
解けないじゃん。
なぜいけない?
つまり、ミステリー的な構えで物語が始まっていながら、
ひとつの真相が最終的に解明されることなく、
さまざまな考え方ができるという状態のままで放り出され、
想像力にたよるほかなく、
真実はただ、無限の可能性のなかに拡散しつづけていく、
たとえるならそう、『ドグラ・マグラ』みたいな作品になる。
そういうのを、「アンチミステリー」というのです。
「赤字の真実性を疑う」
というアプローチを取った瞬間、
この物語は、急激に、「アンチミステリー」的な様相を呈してくるのです。
*
この物語が、ミステリーであってほしいなら、ヤスが犯人で良い。
この物語が、ファンタジーであってほしいなら、魔女が犯人で良い。
この物語が、アンチミステリーであってほしいなら、物語をミステリーたらしめているものを拒否しなければならない。
この物語が、アンチファンタジーであってほしいなら、人間の誰かを犯人として提示しなければならない。
だからわたしの推理は、「そういう前提」をとり、「そういう結論」になっていってるらしいのです。
*
小冊子をみると、竜騎士07さんは、アンチミステリーという言葉を、
「ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、自らの存在を否定するに至ったこと」
というふうに説明しています。これが「竜騎士用語」としての「アンチミステリー」なのですね。
「ミステリーがミステリー自身を否定する……」
赤字というのは幻想混じりの物語の中で、ミステリーを成立させるギミックなわけですね。
それを作中で自ら否定していく。
自己内のミステリー性を自ら瓦解させてしまうことになる。
そういうのを何と呼ぶのか。
赤字を疑ったら、ミステリーになりません。ミステリーの否定です。
ミステリーが依って立っている「手掛り」それを全部、疑わしいものに変えてしまうのだからです。
つまりそれは、ベルンカステルの足場をぜんぶ奪ってしまうことができるということ。
赤字という、ミステリーが依って立つ根拠を奪う。
ミステリーが自らのミステリー性を否定する、アンチミステリーなら、ベルンカステルの提示する「ミステリー的な真実」をまるごとリジェクトすることができそうなんです。
「これは全て真実」なんていう赤字も、リジェクトだ。だって赤字だから。
赤字がないのなら、無限の可能性がある。
誰だってベアトリーチェになりうる。誰だって殺人犯になりうる。
霧江犯人説なんて、無限のなかのひとつにすぎないのだ。
すべては猫箱の無限可能性のなかに。
赤字が真実でなかったら。
あらゆる可能性をその手に取ることができる。
閉ざされて決して開かない猫箱のように。
わたしはこのシリーズを通して、ベルンカステルがほのめかす真相とは異なる、「もうひとつの真相」を、なんとか提示できているんじゃないかと思うのです。
この「別の真相」は、赤字を疑わない限り生まれてこないんです。
ファンタジーと戦っていた戦人は、自ら「ファンタジー」になることによって、ミステリーを撃退したのでした。
わたしたちのほとんどは、基本的にミステリー寄りの人間です。ミステリーではベルンを倒せない。
牽強付会な言い方かもしれないのですが、
赤字を疑い、自ら「アンチミステリー」になることによってのみ、ベルンカステルの真実を撃退できる――彼女の真実を「さいごから2番目の真実」に、「並列に存在する無限の真実のたったひとつ」に変えることができる。
可能性が無限なら、真実をひとつに特定できません。
けれども、たとえばわたしは、その条件でも犯人をひとりにしぼりこんでいます。
アンチミステリー作品で、真相にたどり着けるかどうかは、出題者のさじ加減で決まるのではなく。
読む人の想像力しだいで決まる。
「このゲームに、ハッピーエンドは与えない」
ベルンカステルはそう宣言しました。
真実が、ベルンカステルの持っているひとつしかないのなら、そうなるでしょう。
真実が、無限の可能性の中に拡散していくものならば。
「辛い話でも、悲しい話でもない」ものを、無限の中から好きなだけ取り出すことができるでしょう。
ひとつの真実が欲しいのか。
無限の真実の中から、好きなものを取る自由が欲しいのか。
真実は、ひとつなのか。
真実は、無限にあるのか。
お好きなほうを取れば良いと思います。どっちも猫箱に入っています。
Ep7をほどく(11)・そしてアンチミステリーへ
筆者-初出●Townmemory -(2010/09/28(Tue) 20:04:45)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=52924&no=0 (ミラー)
[Ep7当時に執筆されました]
※番号順に読まれる想定で書かれています。できれば順番にお読み下さい。
☆
細かいところをちょっと合わせて、まとめを書いて、ひとまずおしまいです。
●ヤスシャノン世界で起こっていない殺人
些細なことで、かつうまい検証もないのでサッと指摘だけ。
クレルとウィルの、白黒切り分け合戦で、言及されない殺人がいくつかありますね。
あれなんですが、
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェが犯行を行なう世界では、その殺人は起こってない」
という受け取り方はどうでしょう。発生してないんだから、言及されるはずもないっていう思い切ったとらえかたです。
Ep1で、紗音は、べつに儀式に必要もないのにあえて夏妃と決闘する必要はない。爆弾でふっとばせばすむのですからね。
だから、ヤス・シャノン・ベアトリーチェは、第9の晩に「夏妃を射殺していない」。
逆に、「ジェシカ・ベアトリーチェにはあえて夏妃と決闘する理由がある」とわたしは考えているわけです。それは長くなりますから、 ■目次(全記事)■ から「●犯人特定」の欄の「サファイア・アキュゼイション」というシリーズを読んで下さい。
●貴賓室のフランス人形のミステリー
朱志香が貴賓室に肝試しに行ったら、電気が消え、電話が鳴って真里亞が歌をうたい、フランス人形が消えます。
電気消し係と電話鳴らし係と人形係の3人が必要だってことになってます。
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェ世界」でそれをやったのは、源次・熊沢・紗音でいいんじゃないでしょうか。ヤス紗音が、源次・熊沢に命令を下し、「朱志香にベアトリーチェを信じさせる」目的でコトを起こしたっていう形です。とくにそれで困ることもないので、あまり深く考えないことにします。
「ジェシカベアト世界」ではどうでしょう。こっちはちょっと困ります。だってこの想定では、朱志香がベアトリーチェなんですからね。こっちの世界では紗音は当主様ではないので、源次への命令ができないのです。
ひとつの考え方は、朱志香が「そういう事件があったんだよ」と言い張っただけ、というミもフタもない推理。
けど、思い切ってこんな考え方もできる。
朱志香にドッキリを仕掛けたのは、源次・熊沢・「金蔵」。
まさかの金蔵生存説。じつはこっちの世界では、この段階で金蔵はまだ死んでなかったという想定です。
わたしは「金蔵生存説」は、「もう一回のどんでん返し」候補として、ちょっと本気で考慮してもいいと思ってるのです。
さて。以上はじつは前置き。ここからが言いたいこと。
貴賓室にフランス人形が置いてあるそうです。
このフランス人形が、もし「球体関節」を持ってたら、ちょっとおもしろいことになるなあと思うのです。
(フランス人形が球体関節を持つことはありえないのかな? その場合は人形全般のことを朱志香がよく知らなかったことにしますね)
フランス人形は、ベアトリーチェそのもののように扱われていたわけですね。
フランス人形は、ベアトリーチェさまである。
ベアトリーチェさまを粗末にあつかうと、罰があたって不幸になる。
だから、ベアトリーチェさまのお人形に、お菓子をおそなえして、熱心に拝みなさい。
そうすると、ベアトリーチェさまは平伏した者には優しいから、被害を与えないでくれるのである。
さて、そんな貴賓室に、「黄金を見つけてベアトリーチェになった朱志香」が現われた、と考えて下さい。
あ、べつに「黄金を見つけてベアトリーチェになったヤス」でも良いです。ようするにベアトリーチェの中の人、ほんもののベアトリーチェがそのフランス人形を見たと思って下さいな。
このフランス人形は、ベアトリーチェさまだと考えられているらしい。
いや、私がベアトリーチェだ。
私がベアトリーチェなのだから、この人形はベアトリーチェではない。
じゃあ、この人形は何だ?
「熱心に拝むと魔女の被害を受けなくなる」という機能を持つフランス人形が、ベアトリーチェでないとしたら、この人形の正体はいったい何になるんだ?
そこで「世界が変更」されたんじゃないかと思うのです。
昨日まで「拝めば慈悲心を起こしてくれるベアトリーチェさま」だった人形。
それが今日からは、
「ベアトリーチェを撃退してくれる守り神」
なのである、という整合がとられたんじゃないか。
守り神は、ベアトリーチェを追っ払ってくれるので、魔女の被害を受けなくなる。
祇園さんとして知られる牛頭天王という神様は、もとは「疫病をもたらす神様」だったそうです。だから人々は熱心にお参りして、「うちには疫病を運ばないで下さい」とお願いしていた。
ところが、何かの拍子に、解釈が変わってしまった。
「祇園さんを拝んだら、病気にかからない」
というところだけが伝わっていった結果、牛頭天王は、
「疫病を打ち払ってくれる荒ぶる神様」
というふうに属性が変化してしまったそうです。聞いた話なんですが、そういうことがあるそうです。
そんなふうに、お人形は、「魔女狩りの神」という属性で解釈されるようになる。ベアトリーチェの中の人は、そういう設定で整合をとる。
たとえば……。
十個の戒律を必殺技として持ち……
魔女幻想を赤と青の剣で打ち破る……
天界の裁判官。
ドラノールは、Ep5では「大理石で出来た球体関節人形」のようだと描写されたり、Ep6ではヱリカに「お黙りなさい殺人球体関節人形」となじられたりしています。
つまり、ドラノールや、その他の天界キャラクターは、すべて「ベアトリーチェの中の人」が創造した幻想キャラクターだったんじゃないかと思っているのです。
ヤスは、もしくは朱志香は、ようするにベアトリーチェの中の人は、このドラノールという新キャラクターを得て、
「天界大法院ミステリー」
というフィクションの推理シリーズを構想したんじゃないかな。
彼女の中には、最初から、
「密室の魔女ベアトリーチェ」シリーズ
という構想があって、ベアトリーチェが密室を作って人々を翻弄するミステリーシリーズを考えていた。
それと同じ世界観を使って、立場を逆転させ、魔女を追いかけて捕まえるシリーズも展開できるじゃないかと気づいた。
魔女シリーズは、魔女ベアトリーチェが鮮やかに犯罪を犯すシリーズ。
天界シリーズは、裁判官ドラノールが魔女を逮捕するシリーズ。
怪盗キッドの『まじっく快斗』と、江戸川コナンの『名探偵コナン』の関係みたいな。
●ウィルの中身
ミスター・ヴァンダイン。ウィル君の中身は、じゃあいったい何なんだという話になりますね。
これ、戦人でいいと思います。ベアトリーチェの中の人が、戦人を「モデルにして」、ウィラード・H・ライトというキャラクターを創造した。
そして、ホワイダニットを重要視する“かっこいい”ヒーロー探偵として、「天界大法院シリーズ」の中に配置した。
大好きだからヒーロー役にするわけです。
ホワイダニットに異常にこだわる性格。髪の毛の赤メッシュ。すぐにお腹をこわすかんしゃく持ちの小さな生き物との生活。
「ベルンカステルのミステリーが気に入らないから、そいつをファンタジーにしてやる!」
というのと、
「古戸ヱリカの推理が気に入らないから、そいつを不成立にしてやる!」
というのは、まったくおんなじ構図です。
「共通点があるから、ウィルと戦人は同一人物なんじゃないか」みたいなことを想定するよりは、いったんフィクションの世界を設定して、
「戦人をモデルにしたキャラクターを幻視して、配置した」
というほうが、通りがいい気がするのですね。
●「No Dine,No Knox,No Fair」
ドラノールが「ベアトリーチェの創造物だ」というのには、ちょっとした傍証があります。
Ep5で、「ベアトが許可した者しか入れない薔薇庭園」に、ドラノールがやって来て、ワルギリアや戦人とお茶会をするのです。
ワルギリアと旧知の仲だという設定も明かされました。
そして、「心を閉ざしたベアトがあえてドラノールをここに呼び寄せたのだ」「それは戦人とドラノールを会わせるためだ」ということが語られます。
これは「ドラノールは私が作ったキャラだから、悪いことはしない」「私がドラノールに付与したものの考え方や情報は、戦人の役に立つはずだ」という取り方をすると、なんとも整合感があるのです。
そこで。「No Dine,No Knox,No Fair」という、OPムービーの宣言文の話になるのです。あれにはベアトリーチェの署名が入っていた。
「私の作った世界観の中には、ノックスやヴァンダインというキャラクターも存在していて、彼らなりの論理や特殊能力を持っている。けれども、今回の事件には、ノックスやヴァンダインは登場しない。登場しない範囲のルールで事件を起こすものである。すなわち、十戒や二十則から逸脱するような条件もゲームに含まれることを宣言する」
という意味に読めるような気がする。
ところがベアトリーチェがゲームマスターをやめたとたんに、ノックスが出てきて、ヴァンダインまで出てくる。
これは、ベルンカステルかラムダデルタが後付けで連れてきた。
ベアトの作った設定を隅々まで調べたベルンかラムダが、
「ベアトったら、こんなにおもしろいギミックも用意してあるんじゃない。どうして使わないの? え? 今回のトリックと矛盾するの? いいじゃない、面白いから出しちゃいましょうよ。戦人が混乱する顔が見たいわ」
とかいって、無理矢理つっこんだ。わたしは「このゲームはノックスには準じていない」という説をずっと採っています。
●何度めかの「赤字」
わたしは、Ep1~4の犯人を朱志香だと考えています。
朱志香がEp1~4の犯人であるためには、いくつかの赤字を盛大にキャンセルしなければなりません。
ですから、「右代宮朱志香は殺人を犯していない」という赤字をキャンセルして、右代宮朱志香が犯人であることにしています。
わたしは、「赤字は真実でないことも言える」という説を提唱しています。
人を騙すというのは、つきつめれば、
「真実でないことを真実だと思いこませる」
ことなんだ。
「この条件下で、どう考えたら、正解にたどり着けるだろうか」という思考法を、わたしはとりません。
「この条件下で、もっとも効率的に、大量の人間を騙す方法は何か」
という考え方です。
「ありもしないルールを、あると思いこませる」
たったこれだけで、ほとんどの人間を真相から遠ざけることができる。
このギミックに騙されなかった人のために、セカンドトリック、サードトリックを撒いていけばいいのです。そうして最終的には、ゼロにしぼりこむ。
みんな「未知の薬物を出してはならない」とか「犯罪組織が犯人であってはならない」とかいった、ありもしないルールをあると思いこんでひぐらしを読んでいましたからね。これが効くのは保証付きです。
そんなルールないんです。みんなが「そういうルールがあるものだ」と思いこんだだけです。「エスカレーターに立つときは右(左)側をあけなければならない」というのはちょっとそれに近いかも。「みんなたいていそうしている」という現象の観測が、「そうでなければならない」にすりかわったのです。夢枕貘さんの安倍晴明なら、「ミステリーのお約束という呪にかかっている」とでも言いそうなところ。
かくいうわたしも、「そういうルールがあると思いこんで」ひぐらしを読んで、盛大に騙され、呪がとけました。中禅寺先生に憑き物を落として貰った気分だ。
少なく見積もっても万単位のユーザーを、4年間にわたって、手掛りを出し続けながら騙し続けなければならないのです。しかも半年ごとに、平均3個の不可能殺人を提出しつづけるという難題。
そんな無茶な条件が与えられたら、騙す側は全力でなければならない。もっとも高効率な手が選ばれねばならない。
「赤字を真実だと思いこませ、しかし真実ではない」
わたしが出題者の立場だったら、これを思いついた瞬間、絶対に採用します。
わたしがこの「合理性」を語ると、それはもう、みなさんモニターの前で嫌な顔をされる。
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
解明はできるように出来ているはずだから、基準はあるはずであり、その基準となる赤字は本当であるはずだ。
まあそういったことを百万回くらい言われております。(いや、百万回は大げさすぎですね。「千年の魔女」というのも言い過ぎだ)
百万回くらいいろんな答え方をしましたが、新しい答え方を開発しましたので、披露します。
このシリーズの最初の話題に戻ります。『うみねこ』はミステリーなのかファンタジーなのかアンチファンタジーなのかアンチミステリーなのか。
●残されたキーワード
この物語は、魔女が現われて、密室殺人を「魔女のしわざだ」と言い張るところから始まりました。
魔女犯人説という「ファンタジー」から始まった。
それに対して戦人が、そんなわけはない、人間が物理法則の範囲で犯行したはずだと主張して、対立のゲームになりました。
戦人は、人間の犯行で物理法則内であれば、どんなナンセンスな主張でもするというアプローチをとりました。これは作中で「アンチファンタジー」の態度だと説明されました。
ファンタジー対アンチファンタジー。
さらにそれに対して、ベルンカステル(古戸ヱリカ)がとったアプローチが「ミステリー」。
ミステリーにはさまざまなルールが所与のものとしてあるのであって、すべてはそのルール内で行なわれているはずだ、と、彼女は決め打ちします。
これはファンタジーに対抗する立場なので、アンチファンタジーに近いですが、より狭く限定するアプローチです。アンチファンタジーが許容していたナンセンス主張も否定します。
この、ベルンたちの「ミステリー」が、戦人は非常に気に入らなかった。戦人は彼女たちのミステリーを撃退したいと願望しました。
そこで彼が取った方法は、
「魔術師になって、超自然の方法で手に入れた手掛りを使って、ミステリー説を否定する」
というものだったのです。
つまり、アンチファンタジーだった戦人は、ミステリーを撃退するために、自らファンタジーになったのです。
ファンタジー対ミステリー。
そして今回のEp7。
ミステリープロパー、ベルンカステルが、再び謎を仕掛けます。すべてが「ミステリー」でした。
それが気に入らないミステリー探偵のウィルは、ベルンカステルを撃退しようと試みました。
ミステリー対ミステリー。
最後にひとつ、キーワードがまだ使われていないのです。
ミステリー探偵のウィラードには、ベルンカステルを倒せなかったのです。
「そんな手掛りはない以上、その結論をとることを禁ず!」
といった、いかにもミステリー的な戦い方では、彼女には勝てないらしい。
ベルンカステルのミステリーを撃退するもの。
それはきっと、
「アンチミステリー」。
●そしてアンチミステリーの世界へ
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
という疑念への答え。
そうです。
それで良い。
それではミステリーにならない。
なりません。
それで良い。
解けないじゃん。
なぜいけない?
つまり、ミステリー的な構えで物語が始まっていながら、
ひとつの真相が最終的に解明されることなく、
さまざまな考え方ができるという状態のままで放り出され、
想像力にたよるほかなく、
真実はただ、無限の可能性のなかに拡散しつづけていく、
たとえるならそう、『ドグラ・マグラ』みたいな作品になる。
そういうのを、「アンチミステリー」というのです。
「赤字の真実性を疑う」
というアプローチを取った瞬間、
この物語は、急激に、「アンチミステリー」的な様相を呈してくるのです。
*
この物語が、ミステリーであってほしいなら、ヤスが犯人で良い。
この物語が、ファンタジーであってほしいなら、魔女が犯人で良い。
この物語が、アンチミステリーであってほしいなら、物語をミステリーたらしめているものを拒否しなければならない。
この物語が、アンチファンタジーであってほしいなら、人間の誰かを犯人として提示しなければならない。
だからわたしの推理は、「そういう前提」をとり、「そういう結論」になっていってるらしいのです。
*
小冊子をみると、竜騎士07さんは、アンチミステリーという言葉を、
「ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、自らの存在を否定するに至ったこと」
というふうに説明しています。これが「竜騎士用語」としての「アンチミステリー」なのですね。
「ミステリーがミステリー自身を否定する……」
赤字というのは幻想混じりの物語の中で、ミステリーを成立させるギミックなわけですね。
それを作中で自ら否定していく。
自己内のミステリー性を自ら瓦解させてしまうことになる。
そういうのを何と呼ぶのか。
赤字を疑ったら、ミステリーになりません。ミステリーの否定です。
ミステリーが依って立っている「手掛り」それを全部、疑わしいものに変えてしまうのだからです。
つまりそれは、ベルンカステルの足場をぜんぶ奪ってしまうことができるということ。
赤字という、ミステリーが依って立つ根拠を奪う。
ミステリーが自らのミステリー性を否定する、アンチミステリーなら、ベルンカステルの提示する「ミステリー的な真実」をまるごとリジェクトすることができそうなんです。
「これは全て真実」なんていう赤字も、リジェクトだ。だって赤字だから。
赤字がないのなら、無限の可能性がある。
誰だってベアトリーチェになりうる。誰だって殺人犯になりうる。
霧江犯人説なんて、無限のなかのひとつにすぎないのだ。
すべては猫箱の無限可能性のなかに。
赤字が真実でなかったら。
あらゆる可能性をその手に取ることができる。
閉ざされて決して開かない猫箱のように。
わたしはこのシリーズを通して、ベルンカステルがほのめかす真相とは異なる、「もうひとつの真相」を、なんとか提示できているんじゃないかと思うのです。
この「別の真相」は、赤字を疑わない限り生まれてこないんです。
ファンタジーと戦っていた戦人は、自ら「ファンタジー」になることによって、ミステリーを撃退したのでした。
わたしたちのほとんどは、基本的にミステリー寄りの人間です。ミステリーではベルンを倒せない。
牽強付会な言い方かもしれないのですが、
赤字を疑い、自ら「アンチミステリー」になることによってのみ、ベルンカステルの真実を撃退できる――彼女の真実を「さいごから2番目の真実」に、「並列に存在する無限の真実のたったひとつ」に変えることができる。
可能性が無限なら、真実をひとつに特定できません。
けれども、たとえばわたしは、その条件でも犯人をひとりにしぼりこんでいます。
アンチミステリー作品で、真相にたどり着けるかどうかは、出題者のさじ加減で決まるのではなく。
読む人の想像力しだいで決まる。
「このゲームに、ハッピーエンドは与えない」
ベルンカステルはそう宣言しました。
真実が、ベルンカステルの持っているひとつしかないのなら、そうなるでしょう。
真実が、無限の可能性の中に拡散していくものならば。
「辛い話でも、悲しい話でもない」ものを、無限の中から好きなだけ取り出すことができるでしょう。
ひとつの真実が欲しいのか。
無限の真実の中から、好きなものを取る自由が欲しいのか。
真実は、ひとつなのか。
真実は、無限にあるのか。
お好きなほうを取れば良いと思います。どっちも猫箱に入っています。
あくまでジェシカ犯人説を貫き通すその気概、そしてあくまで内容は論理的という点は、いつも感服させられます。
また原作読まないで、アニメで視聴派の私でも十二分に話についていける文章力なので、非常に楽しく読め、アニメ第二期への期待が膨らみます。
本編が今後どのように変化していくは、分かりませんが今後もあなた素晴らしい考察が読めることを楽しみにしています。
今回の記事でドラノールの元ネタや夏妃の決闘に関する考察に関連することですが、他のサイトでも書かれていましたが、私はさらにいうとヱリカは、ジェシカの変装ではないのかと考えています。最初にそう考え始めたのが彼女の魔法じみた能力です。魔法が常識の範囲内で説明がつくのであれば彼女の「探偵権限」はなんなんだろう?戦人が使わないのは?なぜ彼女が右代宮家を殺す必要がある?
これを綺麗に説明できるのは、元々古戸ヱリカは漂着しておらず、島にいる人間が彼女に変装しているという説である。ジェシカ=犯人という前提ですが、そう考えれば納得のいく点が多い。ジェシカがヱリカとベアトリーチェの正体だとすれば、「彼女が見つけられない隠し扉などは存在しない」、元々地元の人間であり、碑文の謎を解き明かした人間だから彼女の知らないものは何もない。彼女が殺す理由は、ジェシカが犯行に及ぶ際、「魔女シリーズ」ではなく、記事にある「天界シリーズ」を選択しただけで、目的は一緒だから。
この手法を選択した理由として、ジェシカの目的は一家心中で証拠を完全に消し去れれば過程を気にしない。ならば魔女役ではなく、探偵役を演じるのも一興である。ならばなぜ殺人を行うかというのは、恐らく目的の成功率を上げるためだと私は推測している。戦前の爆弾があるというが、爆薬というのにも「使用期限」があるそうです。正確な数字は分かりませんが15~20年ほどだそうです。殺人の舞台は1960年代なので、保存状態が良く、終戦間近に制作されたとしても不発に終わる可能性は十分にある。それゆえに予備プランとして、放火による証拠隠滅も用意されていたと推測されます。また爆薬が使用可能でも実施日に必ず殺傷可能な場所にいるとは限らない。また全員の行動をコントロールするのも彼女の立場、人数の関係上難しい。それゆえに殺人事件を起こし、制御可能な人数まで間引きし、家族を館に留めることで予備プランでも全員殺し、証拠が隠滅できる状態にしたと考えれば筋が通る。そう考えると魔女役の場合、舞台裏に隠れ、暗躍したりと機動力が高めだが、場をコントロールするのが難しく、厄介な大人を一人統率役として残す必要がある。逆に探偵役の場合、場の中心に立ち、住人の行動を制御することが可能である。また客人という立場になることで序列に厳しい右代宮家でも大人に拘束されずに行動することができる。それで白羽の矢が立ったのが古戸ヱリカに変装するという考え。幸い、彼女を知る人間はいないので、彼女のプロフィールを元にコスプレの要領で変装すればこれが「本物」だと誤解してくれる。彼女の存在証明は共犯役が立証してくれれば問題なし。
こういう考えはどうでしょう?そう考えるとヱリカの行動はジェシカの本音の一部が漏れ出したのかもしれませんね。夏妃を陥れるのも自分を愛さなかった親への復讐と考えられるし、マリアの扱いもEp7でのジェシカの内心が行動という形で出たものだと考えられます。Ep5でのヱリカとベアトリーチェの戦いも本質的にはジェシカの中にある葛藤が含まれているのかもしれませんし、戦人との結婚もヱリカとしてのジェシカを否定された彼女の歪んだ愛情表現と解釈できます。
斬新な切り口から挑んでいるのが面白い。思わぬ盲点を突かれる思いで
読ませていただいています。
私は完全にウィルの最後のアレ「土は土に」が作者自身の回答だと信じて客観的な判断にありつけませんでした。
というよりこれはEP7全体に言える話ですね……
また、ワルギリアとガァプの「ベアトリーチェ」についての問題も盲点でした。
色々な意見や思考、考え方や人格が多数存在して(コメ欄も)とてもおもしろいです。
これは個人的な意見ですが、
「ひぐらしで叩かれた→バネにしてうみねこを作っている」
「ひぐらしで叩かれた→けれどやっぱり自分自身(竜騎士07氏自身)のスタンスが好きでそれを作っている」
っていうどっちもありうると思うのですが、あらぶっている方々はそこもお考えなのでしょうか。
なんてね。
なかなか"赤字が真実"かつ"ジェシカが犯人"を両立出来る考えが出てこなくて、管理人氏の考察を補強したいなーと思いつつ出来ずに脳みそ回転させております。
もちろん同時に持論の補強もしているのですが。(管理人氏とは違う説で考えているので)
自分の考えもありき、でも違う考えを進めるのも楽しいのでやっぱり何度もここに足を運んでしまいます。
補強点やエントリが増えるのを楽しみにまた覗きにきたいと思います。
長文失礼いたしました。
特にTowMemoさんにはうみねこへの愛が感じられて好きですね。
竜騎士さんの否定をしない前提が大好きです。
基本的に楽しませてもらっているので、一つ質問を。。。
ep1~4においてジェシカ・ベアトがルドルフにバトラの出生の秘密を明かされたくないのはなるほど、と思います。
ルドルフがバトラのカードを切るのもここしかないような気がします。
ジェシカはすでに黄金を見つけてジェシカ・ベアトになっているわけですから、
金に困ってバトラカードを切ろうとしたルドルフを多額のお金で買収することはできなかったのかな?という疑問が出ます。
そこだけが未だにすっきりしません。
是非どんな解釈か聞かせてもらえるとうれしいです。。。
本記事の本筋外と指摘されてますが
空気を読まずに書いてみます
誰が犯人であるにせよ
何もかも全部殺して壊してしまいたい
これを強い気持ちで持ってる人なんて現われない気がするなあって
なにしろあの爆弾ってやつ動機キラーだと思うんですよ
多分にウィルさんの天敵
とにかく手段から先に存在するギミックで、しかも突然に天から授かってしまったような代物っていう
なんというかあれですね、押したら世界が滅亡するお手軽スイッチ、みたいな
もうねとんでもなくハードルが下がっちゃう
…え? それはおまえがあぶない奴だからだ? いやまあその^^;
まあ健常者カテゴリーにいる内はまずあり得ない、としていいかな
でも殺人者カテゴリーに足を踏み入れた人なら……
自殺率は飛躍的にUP(どこ調べのデータだおい)
誰が言い出したか、一人○すも●人○すもおんなじだ、なんて言葉もあったりして、ね
最近、捨てゼリフ的なコメントが多くなってきました。たいへん不愉快に思います。
考え方が違うのは何とも思いませんが(考え方が同じでも何とも思いません)、失礼なのはお断りです。
わたしが個人的に不愉快だなと思ったら、そのコメントをだまって消去することもありえますので、ご留意ください。そういうの(消すこと)に特に抵抗感は持ち合わせていません。
そういう放言的なことをいいたい場合は、わたしのコメント削除権限のおよばない場所でされるのが、かしこいやりかたではないかと思います。
また、そのこととは別に、しばらくコメントへのリプライをいたしません。ご質問への回答もありませんので、お気を付け下さい。
というふうに宛名をつけて、便宜的にリプトンさん宛てとしますが、実際にはもっと大きな、ジェネラルな話をしています。
よって、文中に「リプトンさん」と書いてあったら、それは「あなた」と読み替えても、ほぼさしつかえがありません。
まず一般論として。
ファンの人たちはおしなべて、「自分たちの支持が、作者にとって、貴重なものであってほしい」という願望を抱きがちです。それ自体はほほえましい、かまわないことです。
ところがその思いが時として、
「我々に嫌われたくなければ、我々の意に沿わないことをするべきではない」
「我々に嫌われたくないのだから、当然そういうことはしないはずだね?」
といった脅迫的な表現に変質してしまうことがあるようです。
人間には他者を支配したいという潜在的な願望がありますからね。「作品を作って、世の中に発表する」というのは、「多くの人をオルグ(扇動)する」ということであって、一種の支配行動です。つまりユーザーはある意味において、作者に支配されているわけで、その構図に対する無意識の反感が、
「自分たちこそが作者を支配しているのだ」
という転倒した認識につながる。そのようなメカニズムだと推測できます。
しかし、作者は自分の書きたいものを書いているのであって、ファンに仕えているのではないでしょう。
と思います。
作者が書きたいものと、ファンが見たいものが、常に一致すれば幸いでしょう。でも、そこにズレが生じたら?
それは本人の性格によることですが、「自分の書きたいものをあえて書く」人と、「我慢してファンサービスに徹しよう」という人の、大きく分けて2種類が出てくるのは当然のことです。
そして「自分の好きな作者は、後者であってほしい」というのは、これまた当然の思いでしょうが、それはあくまで願望であって、実際の作者には何の関係もないことです。
ここまでは一般論。
さて。竜騎士07さんという人は、下世話な推測になりますけども、おそらくすでに一生食うに困らないくらいの財産を持っています。
しかも、彼は今現在抱え込んでいるファン層が全員そっぽを向いたとしても、まだ平然と仕事が来るほどの実績を持っています。
なぜなら、これだけの大量の人間をオルグできるという才能は、それだけでただごとではないからです。その才能を貸してほしいという人は、この周辺業界に山のようにいます。
「自分たちがそっぽを向いたら、竜騎士さんはソフトが売れなくなって仕事も来なくなって困るだろう」というのは、無邪気な願望です。
彼には、ユーザーのその願望をさらりとスルーできるだけの力がすでに充分にあります。やろうと思えば彼はそのくらいのこと全然問題なくできるのです。
そして、「ファン層が全員そっぽを向く」なんて事態は起こりえません。なぜなら、そっぽを向かないわたしのような層が、かなり沢山いるからです(ミステリーものとして読んでいなかったら、そもそも関係ないですし)。そして、竜騎士07さんという人は、なるべくそっぽを向かれないようなかたちを作ることができます。そのくらい高度な才能が彼にはあります。どうも多くの人は、竜騎士07さんのストーリーテラーとしての能力を過小評価したがるように見受けられます。
さて、以上のようなことをふまえたうえでのことですが、
「物語の描写すべてに対しての信用性が失われ」ても、わたしはちっともかまいません。リプトンさんはかまうかもしれないし、ひょっとしたら竜騎士さんもかまうかもしれませんが、わたしは全然かまいませんので、そういう考え方をするのです。
わたしには、竜騎士さんや、リプトンさんの都合に合わせる必要がぜんぜんないのです。
同様に、わたしの都合に、リプトンさんが合わせる必要もぜんぜんないのです。ですから、お好きに考えて、お好きな結論を採用したら良いのです。「竜騎士さんは我々を裏切らないはずだ」というあなたの願望を、あなた自身のためにもっと強く信じてあげて下さい。
(わたしは、この手のことを「裏切り」とは認識しないわけなのですが、それはまあ置いておきましょう)
こんなところまでわざわざいらして、違う考えの人を相手にごちょごちょとつっかかっていても、
「この人は信じ切れていないからこういうことをしてるんだな」
と思われてしまいかねません。それではあなたの夢が可哀想だ。
いろんな人が、いろんな考えを持っており、それらについて「どっちが正しいか決めるべき」とか、「一方がOKならもう一方は不可になるから、がんばって争わねばならない」とか、そんなことは、全然、思う必要ないのです。
全然相容れないことを主張している人が目に付くところにいるからって、どうすることもできないし、別にいいではないですか。
人がどう言おうとどうでもよくて、自分が望むものを望み、信じたいものを信じれば良いのです。ちゃんと信じることができているなら、それで充分のはずです。わたしは、「自分が信じてるものが正しいから、他の人たちは考え方を変えろ」だなんて、一言も言ったことはないのです。
だって、それは他人の思考の自由への干渉だし、わたしにとって重要なのは「わたしがどう思うか」だけなのですからね。他人が何をどう考えていようと、わたしにはどうだっていいのです。正直なところ。
「自分がある」とは、そういうことではないでしょうか。つまり、「他人とひきくらべる必要がない」ということ。
そういうわけで各論なのですが、
|自分にはなぜそこまで竜騎士さんを天邪鬼に捉えるのかがわかりません。
第一に。わたしは、あまのじゃくに捉えているつもりはありませんが、そう認識するのはリプトンさんの自由です。どう思うかは常に自由なのです。わたしとは考えが違いますが、リプトンさんがそう思うことについて、わたしは干渉する必要も意欲も、さっぱりありません。わたしもいつも自由に考えています。その自由に干渉を加えようとしてくる人がたまにいるわけなのですが、特に大きな実害はありません。
第二に。わかる必要はないのです。「これは自分にはわからない種類のものだ」という判断は、りっぱな「理解」の一形態と思います。それとも、「わかりたくてたまらない」という強い願望をお持ちですか?(でも、そうは見えないから、ちがうのでしょう)
EP5,6をほとんど考察方法の指南だけに当てて、EP7も幻想パート主体で。
散になってからは、下位世界の新情報がほとんどありませんし。
答え=爆破され消える六軒島という猫箱の中で起こりうる無限の組み合わせ
というのがEP7本編読む限りでは答えになってるように見えましたし。
赤字も同じく信じても信じなくても自由な、曖昧なものとして猫箱の中の様々な可能性を維持するために使っていてもおかしくありません。
過去の事件パートは、本当に読者の想像次第で無限の可能性がありそうです。
結局のところ、物語が作者のものである以上、それをどう終わらせるかは作者の自由であり、同時にその結末に対する評価を作者は甘んじて受ける必要があるのでしょう。
どんな終わり方をしようと、失望する読者はいるだろうし、一方で喝采で迎える読者もいるはずです。物語には潜在的に、読者を選ぶ結末が待っていると言えるのではないでしょうか。
その点において、Townmemoryさんは、その発言を見るに、かなりドライに割り切っていらっしゃる方です。それゆえに、Townmemoryさんにとっては、「納得できない」「信用性がない」等の議論は、「納得しなくてもいい」「信用性は必要ない」の一言で切り捨てることが可能な、有効打にはなりえない議論なのではないでしょうか。
別口からの議論の方が、有益になりうるように思います。
しかし実際に、「あらゆる描写に信憑性が無い」のに、ミステリー作家として本を出し続けている人を、二人ほど知っているんですが……。
折原一と清涼院流水という二人です。前者は「書く作品の全てに叙述トリックがある作家」、後者は「『解答はなんでもよい』という解答のミステリーを書いた作家」です。
どちらも立派に本を出し続けています(確かに、それなりにアンチも多いようですが)。詳しくは実際の著作をどうぞお読み下さい。
さて実際に悪魔を連れてきてみましたが、いかがでしょう。
なんだかEP1のお茶会のような気分です
ざわざわ・・・・
以上自分勝手な自己満足コメントでした。失礼。
>>第二に。「物語の描写すべてに対しての信用性が失われ」たとして、どうしてそれがいけないのですか?
そんなことされたら、今度こそ多くのファンに見放されるということがメタ推理から導かれるんです。それはハイリスクハイリターンですらなく金蔵だってしないってことですよ。
自分にはなぜそこまで竜騎士さんを天邪鬼に捉えるのかがわかりません。
別に差別的な意味ではありません。ただ「そういうこと」であるのを私は知っています。
あの、「そこのところをどうお考えなのか」を語っているのが、このエントリなのですが、いかがでしょうか。
「赤字が真実である」というのが、本当に疑う余地のないことならば、結論からの逆算で赤字を疑うのはこじつけかもしれません。けれど、「赤字が真実である」ことの保証は、作中にも作外にも、どこにもありませんね?(そうですよね? むしろ、「そんな保証を一切するつもりがない」といったことを作者が述べているほどです)
「赤字が真実である」というテーゼは、「あなたや多くの人が、それを信じたいから(信じないと不都合が生じるから)、信じる」というだけのものなのです。
ですから、当然、その逆の立場を取る人も出てくるのです。「べつに、赤字を信じたいと思わないから(不都合も生じないから)、信じない」という人も、当然出てくるのです。
いろんな人がいるのですから、ひとつのものごとに対して、いろんな考え方があるのは、あたりまえのことなのです。
後者がこじつけで、前者がそうでない、ということになるでしょうか? わたしは、どちらも単に「信じる信じないの問題」でしかないと思います。
せっかくなので、ついでにもうひとつ。
「赤字そのものを疑うと、物語の描写すべてに対しての信用性が失われてしまう」というご指摘について。
だいいちに、「物語の描写すべてに対しての信用性が失われてしまう」というのは、ほんとうでしょうか?
うみねこ以外のどんな小説にもゲームにも、赤字はありません。物語に対しての信用が失われていますか?
第二に。「物語の描写すべてに対しての信用性が失われ」たとして、どうしてそれがいけないのですか? わたしはそれでも、ちっともかまいません。
EP4辺りの考察から、読ませてもらっている者です。
今回の考察について、唯一にして最大の疑問は、やはり「赤字否定」についてです。
私が思うところ、Townmemoryさんの推理は、
結論を決め付け、そこから逆算の形でこじ付けに近いことをしているように思えます。
要は、人物Aが犯人だ→でも作中にはアリバイ(赤字)がある
→ならば、そのアリバイが真実でない(嘘)なら犯人になりうる。
みたいな感じです。
竜騎士先生が言っているように、うみねこは明確な答えは出ずに終わるでしょう。
だけれども、赤字に関してTownmemoryさんが言っているような解釈を許してしまうと、物語の描写すべてに対しての信用性が失われてしまうと思います。
そこのところを、どうお考えでしょうか。
こんにちは。わたしが語ったのは、「戦人が帰ってくるのが、去年でも来年でも問題なかったのに、今年だったのがいけない」理由であって、朱志香が殺人を犯す動機ではありません。(動機につながっていくひとつの要素だとは思っています)
「留弗夫の口から戦人の出生の秘密がばれる」
というのは、朱志香を殺人へと導く重要な要素だとは思いますが、
「留弗夫の口から戦人の出生がばれては困るから留弗夫を殺そう」という単純な、単一の動機にもとづく殺人ではないと思います。エントリでも、そうは書いてなかったと思います。そんな理由で、人が人を殺すというのは、あまりにもリアリティがないとわたしも思います。
わたしが、「人が人を殺す理由」として納得がいくのは、大きくわけて2つしかありません。
ひとつは、さまざまな事情がこんがらがって、自分でももうわけがわからなくなっているとき。どうすれば問題が解決するのか考えるのも不可能で、いっそ全部おじゃんにしてしまいたいとき。
糸がもつれちゃって、しかもその糸は複数だったりして、ほどこうにも端っこがわからず、自分でもわけがわからなくて、「これを一からほどくくらいなら、ハサミでちょんと切ってしまいたい!」という願望にかられたときです。
もうひとつは、妄想的な力に突き動かされているとき。
たとえば、「自分の想像力の中にしかいない人物を幸せにしてあげたい」と思ったりしたとき。
●みんちさんへ
こんにちは。テーマ曲の歌詞の中から、何かヒントを見つけ出そうといったことは、そういえばこれまでやったことがありません。
「わたしの説に立てば、これはこういう意味だろう」
といったことは、いっぱい言えると思いますが(霧のピトスには「カケラたちが重なる」なんて歌詞がありますね)、歌詞から積極的に何かを取り出していくといったアプローチは、今後もあまりやらないような気がします。
後になって曲を聴き直して、
「あ、これって、こういう意味だったのか!」
なんて驚くほうが、楽しい気がします。ご期待にそえず、すみません。
こんにちは。Townmemoryさんの考察とても面白いです!とっても好みです!
ところでTownmemoryさんはうみねこのOPの歌詞考察はやらないんですか?すでにやってましたっけ?
イタリア語でコーラス入ってて幻想的ですよね。イタリアフラグがここでも立ってたことに私は驚きでした。
『私の罪はなんですか 私に罪があるなら あなたの罪は何でしょう?』みたいな歌詞があったので、考察面でもなかなか優れた歌だと思います。ベアト心理の歌かな~と個人的に考えてますので、ジェシカバージョンの解釈も聞いてみたいです!
解答偏はまた別の雰囲気で曲が変わりましたし、うみねこの今後が気になりますね!
長文失礼しましたm(__)m
ただ今回のジェシカ犯人説の動機の部分については、少々引っ掛かる部分がありました。
townmemoryさんの仰るように、ジェシカが黄金を発見済みで尚かつ彼女がルドルフの事情を理解しているのなら、ルドルフの口封じは買収で事足ります。
買収で口封じできるのならルドルフを殺す必要もなく、殺害動機隠蔽のために連続殺人を行う必要も消滅します。
戦人=金蔵の息子ならば、ルドルフは金蔵への切り札を握っていた事になります。
それを明かさずに秘密を守り続けてきた事から、戦人の出生を秘しておきたいルドルフの思惑は当然ジェシカにも察せられたでしょう。
ならば水面下でルドルフに根回ししつつ、黄金発見の告白と親族間での公平な分配を宣言すればいいだけです。
本編でEp毎に異なる共犯者を用意したというウィルの発言から、黄金による買収を思いつかなかった、とも思えません。
Townmemoryさんは、ジェシカがルドルフの口封じに買収を選ばなかった(選べなかった?)何らかの理由があるとお考えでしょうか?
EP7発売以前も、なるほど!と新しい記事を読むたびに感嘆を重ねていましたが
今回特に理御と戦人の関係性を読んだ時にtownmemoryさんの真骨頂を見た気がしました。
私個人の中では真犯人というのはまだ複数のキャラに可能性が残されているかな、という印象なのですが
townmemoryさんの朱志香説の完成度の高さに、朱志香が犯人であるシナリオのファンになってしまいました。笑
絶対に奇跡が起きない、という魔女たちの言葉への解釈を読んだ時やっぱり決まりかなあ、と思ってしまったほどです。
私は魔女なんているわけない、という立場をとっていますのでについてドラちゃんについてtownmemoryさんの解釈がよめてとても嬉しかったです。
これからもtownmemoryさんの更新を楽しみにしています!
私はいつもコメント欄は読んでおらずtownmemoryさんの考察のみ読んでいました。
今回コメントの膨大な量に驚き目を通させていただきました。
私はよくwikiの考察抜粋やtownmemoryさんのブログなどを参照にしながら、兄妹でうみねこ会議をします。
私(MON-B)の中にある六軒島の真実も、私の兄妹の中にある六軒島の真実も、townmemoryさんの中にある六軒島の真実(ジェシカベアト説)も。
うみねこをプレイした人の数だけの真実が今猫箱の中に入っているのだと思います。
猫箱は最後まで開けられることはないのでは、という考察も確かwikiにありましたね。
赤字が真実かどうかは、猫箱が開かれないとわからない。赤字が真実なのかどうか、最後まで明言されない可能性だってある。
ちなみに私は赤字は信じたい派ですが、townmemoryさんの考察を見ると、おぉ、これもありか、と考えが広がります。
愛があるから、様々な考察を認められる。
愛がなければ、視えない。
愛があれば、私が今勢いよくこぼしたいちごオレも魔法で消えてなくなる…
……………………………
これからも更新楽しみにしています!
特に、「このことについて私を納得させられますか」といった漠然とした問いかけや、それに類するほのめかしはご遠慮下さい。反応のしようがありません。わたしは、自分に語れることを、自分の語りたい範囲で語っているだけです。
質問される場合は、具体性に落とし込んだ質問をお願いします。(「~についてどう思いますか」というのは具体的な質問ではありません。たいていの場合「どうも思いません」が答えになってしまいます)
ただ、正直言って朱志香の動機が納得できません。
作中では、紗音は恋に大きな希望を持ち、それに破れて・・・といった感じの動機が示されており、さらにそれに加えまだ明かされていない様々な要素が絡んでくることが示唆されているような内容でした。
失恋関連も紗音の境遇を省みれば理解できないというほどのものでなく、さらなる動機がEP8で明かされれば彼女が犯した境遇にも共感はできずとも納得できるかもしれません。
しかし、朱志香犯人説だと、他人の約束を自分のものだと脳内変換し、嘉音という存在で穴を埋めなければならないほど大きな恋に発展し、さらに自分と戦人の関係をばらされたくないから留弗夫を殺すというのは・・・
>留弗夫を殺したのは朱志香だ、ということを戦人が知ったら、破滅だからです。もちろん、犯罪者として裁かれてしまっても破滅です。完全犯罪をなさねばならない。
これが
>関係者を全員殺せばいい。その死体を全部消し去ればいい。殺害現場と証拠を全部消し去ればいい。
となって、自分と戦人すら殺そうとするくらい過激な内容に発展するというのが理解できない。そもそもバラされたくないのは今後も戦人と恋をする可能性を残したいからという希望をもった動機であって、皆殺しなんて破滅を願った人間の考えることじゃないですよね。
全滅して猫箱ができれば自分の恋が2つとも成就するから・・・と書かれていますが、こんなメンヘラの考えるような話で大量殺人を起こされては、視ている方も怒りを通り越した感情しか持てませんよ。
ウィルという動機を重視する人物をEP7で配置しておいてまで動機の重要性をアピールしているのに、こんな酷い動機だったと言われても納得できませんよ。特に朱志香が好きな人には到底受け入れられるものではないと感じます。
一連の考察で、朱志香がベアトである可能性を考えると、色々と説明がつく部分があると驚いた一方、朱志香が犯人とするために必要な部分が納得できないのが残念だと感じました。
どうぞそのまま、議論なりコメントなりをお続け下さい。
これは字義通りの意味ですので、「ブログ管理人さんが嫌がっているようだ」とか、「終了宣言がなされた」といった、斟酌はご無用に願います。
本件に関して、オリジナリティのある意見は特に持ち合わせていません。様々な考え方をする人がいる、という一般論で、充分に吸収できる範囲内の話だと思います。
ひとつポイントがあるとすれば、他人への干渉は、どの程度までにするのが節度ある態度か、という「程度の問題」の話かと思います。わたしは、自分の場所で自分の考えをのべているのであって、皆さんは自分の意志でそれを見に来ているのです。べつだん、見たくもないという人に送りつけたりしたことはありません。
自分の場所で自分の意見をのべているわたしと、わたしの場所で自分の意見を主張している人との間には、「他人への干渉度」という点で、当然、大きな差があるだろう、ということです。これは「自由が好きか嫌いか」ということにも、関わってくるように思います。
明らかにそのノリで書いている人がいますが、ここは、きちんとした管理人が立てているブログです。
そのノリで行きたいのなら、巨大掲示板に行けばいいのでは?
地味にワロタ
「赤字は正しいもん!先生がいったもん!」
「先生はそんなこといってないんだよ」
「でもみんな正しいってってるもん!」
「みんなが言っても正しいと限らないんだよ」
「でもそれしか思えないもん!正当な作品の評価、考察の仕方だもん!」
「いろいろな考えの人がいるんだよ」
「みんなと違うのはきゃっかんせいがないんだもん!」
「いろいろ考えがあっていいんだよ」
「もういい帰る!」
「そうだね」「終わりにするか」「騒いだね」
「何故 なあなあのままで中断させようとするのか 白黒つければ良い」
「え?」「え?」「え?」
素晴らしいまとめを書いてみた
pochi「鉄釘さんへ 素晴らしいまとめですね 賛成もらえて嬉しいです」
pochiおもしろいですw
赤字の妥当性を議論する場はもちろん必要でしょう。赤字を信じるにしろ疑うにしろ、その弱点や不明確さ(時間特定の赤字が少ないことや、ep6に多用された「それを認める」系の赤字など)については議論されなければなりません。
しかしその一方で、現在信じる/疑うがどちらもルールの扱い方として成立しうる以上、たとえば赤字を疑う立場からの考察に対しては、その立場に立ったうえで、考察の脆弱性や矛盾点を指摘するといった議論もなされるべきです。
「ルールに関する議論」と、「ルールに対する、ある扱い方に基づいた考察に関する議論」、そのステージの違いを認識したうえで、今後の議論を進めるべきではないでしょうか。「この考察は赤字を無視している、赤字を無視している考察は(~だから)ナンセンスだ、よってこの考察はナンセンスだ」という議論の仕方は、二つのステージを混同しており、考察の他のポイントに焦点が当たらないままになってしまいます。
赤字の信頼できない点、信頼できる点について議論するのは非常に有意義だと思いますが、赤字を信じるか、信じないか、という二元論的な議論は、上のカリンさんの仰るよう、水掛け論にしかならないように思います。
明らかに「ルールがわからんから各自で工夫して遊ぼう」とする大多数と、「俺が思うルールが正解だ」と言い張る一名の状況だろ
てゆかそのつもりで言ってるならその言い方絶対に通じないぜ
自分のいいように解釈して「素晴らしいまとめですね」とかいうのがオチ
この荒れが収まらんかぎり次の更新なさそうだな
連投で読みにくくなってしまい、申し訳ありませんm(__)m
「ルール」がないゲームって成り立つのか?
というか、そもそも「ルール」って?
赤字の認識って、そんな感じに存在しているものじゃないですか。
さて、そこで「ルール」に対する考え方・取扱い方がみんな違う。
みんな違うことに、どうやって対処するか?
なかなか難しい「ゲーム」だと私は思います。
ここに「みんな」はいません。
同じ考え方・取扱い方をする「みんな」はいません。
違う考え方・取扱い方をする「みんな」がいます。
それを忘れてしまって、もしくは勘違いしてないでしょうか?
「みんな」という言葉は同じでも、背景が違います。
考え方・取扱い方の強要は、ナンセンスだと思います。
そんなやり方で「ゲームクリア」はありえないと思います。
赤字の認識って、そんな感じに存在しているものじゃないですか。
さて、そこで「ルール」に対する考え方・取扱い方がみんな違う。
みんな違うことに、どうやって対処するか?
なかなか難しい「ゲーム」だと私は思います。
ここに「みんな」はいません。
同じ考え方・取扱い方をする「みんな」はいません。
違う考え方・取扱い方をする「みんな」がいます。
それを忘れてしまって、もしくは勘違いしてないでしょうか?
「みんな」という言葉は同じでも、背景が違います。
考え方・取扱い方の強要は、ナンセンスだと思います。
そんなやり方で「ゲームクリア」はありえないと思います。
Townmemoryさんは議論を許可されていますよ。だから私もPochiさんに横レスを始めました。
「Pochiさんに対する」議論を終了しようという意見には賛成します(だってもう出てこない「はず」なのですから、議論が成立しようがありません)が、議論そのものを必要以上に恐れることはないと思います。
>sadoさん
反証待ちなどしていませんよ。だって向こうはもう出てこない「はず」ですから、待つ意味がないのです。
そう前言しておきながら、それを破って返信したという「前科」持ちのPochiさんですが、もう一度だけ信じてあげても良いのではないでしょうか。
人格攻撃云々ですが、私の書いた
>これはあなたの「自説」であり「偏見」であり、「趣味嗜好、感覚の話」であり、「脆弱な根拠」に基づいた考えであり、この話題になると途端に「それまでの論理性や話の筋が消えてしまい、関係のない例え話や、聞こえのいい表現の羅列になっています」。
を言ってらっしゃるのであれば、ぜひ読み返していただきたいのですが、これは全部Pochiさんが使った言い回しを引用したものです。
有名なネットスラング風に言うなら「見ろ、見事なカウンターで返した 調子に乗ってるからこうやって痛い目に遭う」というやつです。
ですのでこれをして「人格攻撃」と言うのであれば、そもそもPochiさんの論説がまず人格攻撃であることをご理解頂きたく思います。
関係ないのでしたら申し訳ありません、被害妄想とご一笑下さい。
赤字認識の議論はいつも最後は無意味な認識の押し付け合いになっていい感じに収まらないので…。
自分の勝手な勘違いだったら申し訳ないです。謝ります。
自分はこの記事にはもう書き込みません。
そろそろ管理人様の沈黙がこわい
今回のコメ100いきそう
あと、これはもう複数回指摘があったかと思いますが、やはりUnknownではなく、貴方のお名前を入れた方がよろしいかと。
なぜ水を差して、なあなあのままで中断させようとするのか理解できませんね。
お互いの考えをぶつけあって白黒はっきりつけさせたら良い。
さすがに創作までなさる方はいらっしゃらないようですがw
以前読んだ本の中に、日本人は「討論と口喧嘩」区別がつかない民族だ、という指摘がありました。
人間の「学説」と「人格」は明確に区別するべきだと。
こういった多くの議論がなされることを、竜騎士様は確実に予期していた、いや意図していたとすら思います。私たちを楽しませるために。
だからこそ、ここはいっそ作者様の手のひらで踊りつつもw、お互いの様々な「説」の方を、戦わせていけばいいと思います。
その為にも、基本丁寧語で話し、できるだけ強い言葉は使わないようにしていくのが良策かと。長文失礼致しました。
Pochiさんの仰ったことと少し通じそうな部分がありますが、わたしは原作の外部の事柄(漫画やアニメ・その他竜騎士さんの書き物等)に論拠を求めず、原作のみに向き合って書かれていればもっと好き、という感覚は持っています。
掲示板等でのみなさんの推理や議論についても同じように感じていて、竜騎士さんがひぐらしではどうだったみたいな前提なしには考えられない作品であれば残念だなと。
この件に関してはやめにしましょう。
管理人様もいい加減迷惑しているはずです。
もう少し周りのこと考えようね。
みんなそれぞれ「うみねこ」に対していろんな思いや、考えをもってて羨ましいなぁとおもいます。楽しそうです。
それって、きっと昔の戦人くんと紗音ちゃんがやりとりしてたことなんだろうなぁとか。
他人事っぽい意見ですが、推論のあたり、はずれ、正否問わず、これがうみねこの楽しみ方なんだなって思いました。
(わたしはそこまで色々考えが回りませんが、「こうだったらいいな」「こうだったら悲しいな」とかそんな楽しみ方してます。
>自覚はあったが方がいいと思いますよ。例えば、赤字無視説の批判への反発や不満もその分軽減するでしょうし。
あんただけだpochi
>と言う人がいるが逆に問いたい。どうやってゲームの外である竜騎士氏の狙いを論理的整合性だけで推し量るのか。
全くだ 最初に言い出したpochiさんから順に答えていくべきだ 次に日下部雪輝氏にも問う
>>「これまでやってきた赤字バトルやそれに伴うドラマ性が全て空虚」になることに、大きな意味がある
と主張されても、赤字を真っ向から否定するのは読者にとって信頼の裏切り行為と見なされるリスクが大きく釈然としない。
おそらく、赤字否定の件でTownmemoryさんに異義がある人(自分も含め)の多くはこのような考えも合わせて抱いてるのでは。
それにしても、
>>「自説」であり「偏見」であり、「趣味嗜好、感覚の話」であり、「脆弱な根拠」に基づいた考え
と言う人がいるが逆に問いたい。どうやってゲームの外である竜騎士氏の狙いを論理的整合性だけで推し量るのか。
どうもpochiさんを否定したいだけの感があると思った。
つか話逆で、townmemoryさんが認められたがってるというより「ボクの考えをtownmemoryさんはどうして認めてくれないの」と向きになってる人物がいる構図にしか見えないのだが。
他の者も指摘してるが、ブログ主の考察を「論理ではない趣味嗜好の話」と非難する一方で、自分が好み感覚で物を語ることは居直っている。この自己矛盾に多分自分で薄らと気付いているので、正当化を図るために「多数派」の概念を出した。多数派だから部があるという論理な。「多数派」はまずいと気付いて「客観」にトーンダウン。
どうだろう、見事な纏めだと思うが。
ぶっちゃけ「赤字を信じる連中は頭が固いな」という印象をふりまかれて迷惑だからやめてもらいたい。客観視してくれ
前の方は反証待ちのようですがここらで終わりにしませんか。
さすが、「相互理解」という概念を描いた作品の議論ですね。
その難しさを表した見事な泥沼加減です。見苦しい。
水掛け論になってしまっているこの議論に有意義な展開を望むことは不可能でしょう。
あとは個別にやるなりして、管理人さんの場所であるこの場を散らかすのはやめていただきたいです。
全く関係ない自分が最後に出しゃばって終わりってことで、お願いします。
鉄釘さんが書き込んでからpochiさんが書き込むまで約3時間。そんなに長く「ダラダラと長文を書き綴って」いましたか。お疲れ様です。
まさか「最後に返信した方が議論は勝ちである」という、匿名掲示板“ですら”通用しない風説を信じてはいませんよね? 本当に偶然、3時間もかけて長文を書いてたんですよね?
まぁ、「少数・多数の意見には返事しません」はそれで結局2回目で、ご自身の前言は破ってしまっていますけどね。さて3回目はあるんでしょうか。
>最初から述べてはいますが、私の表現のせいで信じてもらえていないでしょうが、私は本当にTownmemoryさんやそのご考察を賞賛していますよ。
最初から述べていますが、私が問題にしているのはPochiさんが“赤字無視の論拠が薄い”と指摘する際の根拠に「その考え方が少数派であること」という事実を用いていること、ただその一点なのです。
(よく読んでいただければお分かりかと思いますが、あなたが名無しとして書き込んだ一番最初の意見には、その時点で私はまったく触れていません)
少数派であって何が悪い? Townmemoryさんは最初から多数派に向かって話してはいませんよ(まるで外山恒一の演説みたいだ)、と指摘しているだけの話です。
なので、「少数派・多数派の話は本筋から外れている」という物言いこそが、私の指摘に対して言うにはいささか本筋外れなのです。
ちなみに竜騎士07やTownmemoryさんの考えを主観で一方的に決めつけているスタンス自体は、私自身は大して気にしません。
ただ、あなた自身が他者の考えの根拠に論理性を求めている以上、あなたもまた他者に対してそうである義務がある、ということはご理解いただきいものです。
誰かも指摘していますが、
>うみねこは1つの独立したエンターテイメント作品であると同時に、ひぐらしで叩かれたことへの竜騎士さんのリベンジであると私は思っています。
これはあなたの「自説」であり「偏見」であり、「趣味嗜好、感覚の話」であり、「脆弱な根拠」に基づいた考えであり、この話題になると途端に「それまでの論理性や話の筋が消えてしまい、関係のない例え話や、聞こえのいい表現の羅列になっています」。この辺、あなたの中ではどういう風に折り合い付けてらっしゃるんでしょうね。
すみません、ダラダラと長文を書き綴っている間にこんな素晴らしいまとめが投稿されているとは…。
あぁー鉄釘さんの綺麗な文章の後で私の投稿があるなんて、私の愚かさが際立ってますね。
もし魔女がいるなら、投稿の順番を逆にしてくれまいか。
>必要な理由が知りたい
自覚はあったが方がいいと思いますよ。例えば、赤字無視説の批判への反発や不満もその分軽減するでしょうし。
日下部雪輝さん
引用の順番がいろいろ前後しますが
>>ブログを作って自説を公表したり
>まず事実誤認を訂正しますと
あぁすみません。それはもちろん知っていましたが、そのような表現を取ってしまいました。
正確には「ブログを作って、自説をまとめて公表したり」ですね。
ただ、単純に公式で発言するだけではなく、発言をまとめるということは、自説をより広く公表したい認められたいという、より強い欲求の現われでしょう。(それがいけないとは少しも思っていませんよ)
>あなたの説を拝聴したいものですね。
>今のところ、あなたの言葉にはこの二つのどちらか以外は一切存在していませんので。
えぇ存在していないのは当然です。なぜなら書いていませんから。
(「多数派を傘にきた発言」も「一方的な決め付け」も誤解かそれこそ決め付けですが)
赤字無視論の論拠が薄いですよ、ということを言いたいだけで、わざわざ他人様(ひとさま)のブログのコメント欄で自説をぶちまける程には厚顔無恥ではありませんので。
なんて勿体つけるわけではなく、モヤモヤとしたハッキリとはまとまらない考察というより想像がEPを重ねる毎に固まってきた、というような面白くも無い大多数の凡人的なものですから聞いてもつまらないですよ。ですので謹んでご辞退させて頂きます。すみません。
が、まさか自身が対象以上の能力を持っていなければそれを批評してはいけないとかの話ですか?
>この場所においては、あなたこそがマイノリティであるという自覚を持っていますか?
>ホモセクシャルの集いにおいては(後略)
私もそんな恐ろしい集いでそんな恐ろしい発言はする勇気もする気もする必要もないですね(笑) だってホモセクシャルには興味ないですから。
でも、もし私がホモセクシャルに(プラスの意味で)興味があって、(プラスの意味で)気になる人がそこにいて(ほとんどプラスの中で一部マイナスの意味の)気になる発言があったら口を挟んじゃうかもしれないですね。その人の考えをもっと知りたくて。
最初から述べてはいますが、私の表現のせいで信じてもらえていないでしょうが、私は本当にTownmemoryさんやそのご考察を賞賛していますよ。
「19男が男/女の違いから、EP1~EP4とEP7では犯人が違う」なんて発想はとても素敵です。最初の投稿では「すごく面白いけど、現実的な文量制約からナイと思う」と述べましたが、これだとEP7の言葉にできない微妙な違和感や明らかな矛盾の説明がついたりと、なかなか真相に迫っているかもしれませんね。
楽しませてもらっているからこそ、時々かいまみる赤字無視論の言い訳が私にはどうにも鼻についてしまうんですね。(失礼)
今回のEP7紐解くシリーズも後半の赤字絡みの話さえなければ、ストンといい形で着地できたと、もうその話(赤字)はいいからと、私は感じてしまうんですがねぇ。ここでは少数派なんでしょうねぇ。
「今この場ではお前こそが少数派なんだぞ」というのが「身内だけで仲良くやってんだから、余所者は出てけ」という意味ではないでしょうが、この状態を「荒れている」と感じている方もいるようですし、主に相手をしてくださっている日下部雪輝さんも、私が提示している「赤字無視論の論拠の薄さ」ではなく「少数多数の話」をされたいようですから、私はここでまた無名の一読者に戻らさせて頂きます。
お目汚し失礼しました。
Townmemoryさん、次の更新を楽しみに待っています。また素敵な考察を拝見させてください。
赤字の信頼性については、作品の中でいまだイーブンである以上、互いに互いを潰しうるほどの論拠をもっていないわけですし、多数派・少数派の議論も、「とっくり」さんが仰るよう、終わりを見つけるのが困難な議論です。
私見ですが、説ありきで赤字の信頼性を疑うことは、それほど問題ではないように思います。赤字の処遇は自分の求める「真相」という目的にとって、手段でしかないと見ることもできるからです。自説を赤字より大切にしたいならば、それを困難にする障害に対し、何らかの論理的処理を施すに越したことはないはずです。
>べつにマイノリティを差別する気は毛頭ございませんが、逆に自らが少数派の感覚を持っているという自覚は必要かと。ただそれだけの話です。
その点に関してはまったく同意です。その上で窺いますが、「この場所においては、あなたこそがマイノリティであるという自覚を持っていますか?」
ホモセクシャルの集いにおいては、ヘテロセクシャルの方が少数派です。そしてあなたの行為は、その集会の席上で「世の中の大多数はヘテロセクシャルである。あなた方は少数派であるという自覚を持つべきである」と叫んだに等しい。
大変に勇気のある行為だと思います。私には到底真似できそうもありません。真似する必要もありませんし、したくもありませんが。
>ぶっちゃけ、自分だけが納得できればいいんだと本気で考えている人は、ブログを作って自説を公表したりなんかしないですよね。
まず事実誤認を訂正しますと、ここはTownmemoryさんが公式掲示板でした発言を纏めて置いておく場所であり、説の公表そのもののためにブログを作った訳ではないはずです。
こういうことを書くと「本筋から外れた」と目くじらを立てられますかね? しかし、誤認した事実はどんな場合であれ、正しておくに越したことはありません。
さて、まぁ掲示板の発言であれ「他者に認めて欲しいから書いた」は成立します。
そして、それについては同意します。「誰にも」認めてもらう必要がないのであれば、掲示板であれブログであれ書く必要はないわけです。認めて欲しいから、そういう場所に書き込んだ。ここまでは同意です。
しかし、それは「作者」ですとか「権威のある誰か」である必要はない。
と、Townmemoryさんは仰ってます。
この中に「多数派」も含まれることにはお気づきでしょうか? Townmemoryさんは「多くの人に認めてもらい、自分の意見が主流になること」を求めているのではなく、たとえ少数でも自分の意見に賛同してくれる人と交流したいと思って、公式掲示板での発言を行ったのではないでしょうか?
『まぁそこらへんはご本人不在で外野が話し合っても仕方ありませんが、たぶん当ってると思います。』
ところで多数派少数派の話が本筋ではないと仰るのであれば、「多数派であることを笠に着た物言い」と「主観による一方的な決めつけ」以外の、あなたの説を拝聴したいものですね。
今のところ、あなたの言葉にはこの二つのどちらか以外は一切存在していませんので。
>逆に自らが少数派の感覚を持っているという自覚は必要かと。ただそれだけの話です。
必要な理由が知りたい
別に本人はちゃんと「自分のなかでの真実」としか言ってない
そしてその理由もきちんと述べている
某誰かさんの考察のように「間違いない」とかそんな確定させたような口調でもない
Townmemoryさんの考察は基本普通の人が思いつかないような考察だから
少数派なのはしかたのないことだとは思いますが
それでも実際に真相に近い考察もありました
そして誰しもが思い浮かばない考察をするからこそこんなにも指示されていると思います
誰しもが思いつくような考察、多数派の考察が見たければ2chやwiki、KEIYAさんの考察でも見て下さいという感じです
全文が全部あなたの思いに添えるような考察なんて出来るわけがありません
赤字に関しては真実であるにしろないにしろストレートに受け止めればいいというものではないはずです
エリカの存在や金蔵の存在は明らかに出題編での人数や金蔵死亡の赤字に反しています
もっと柔軟性をもったらどなんでしょうか?
コンテンツ「このブログについて」でおっしゃっている
『自分にとって、何が真実であってほしいのか。
自分は、この物語に、何を求めているのか。
このブログは、そんなわたしの、「考え方」「戦い方」をお見せしていくものです。
推理内容というより、「考え方」「戦い方」がコンテンツです。
文章をご覧になっていくと、
「その推理は違うなあ」
とお思いになる部分が、多々あると思います。
でも、できましたら、結論の合否や差違よりも、
「そこに目をつけたのか」「そういう発想をしたのか」「そんな連想をしたのか」
というような、「思考の動作」を見ていただけると、うれしいのです。』
ではいけないのでしょうか。
誰かにとって妥当でも、Townmemoryさんの求めるものにとって妥当でないなら意味が無い気がします。
Townmemoryさんが他者に認めて欲しいことがあるとしたら、「赤字懐疑説」でも「朱志香犯人説」でもなくて、
「こういう願いをもっている、それを叶えるために私はこういう努力をした」ということぐらいじゃないでしょうか。
『でも、それがベルンカステルに理解してもらえるとは、期待してなんかない。ひょっとしたら、
ウィルに理解されることだって、全然期待してはいなかった。』
(Ep7をほどく(10)・すべてのベアトリーチェのために)より
ここまで捨て鉢でもないでしょうが、「赤字懐疑説」「朱志香犯人説」は一緒に考えてくれるひとや、同じ考えのひとがいればいい、
似た考えのひとの助けになればいいということではないか。
上記はあくまでもちまる。個人の願いです。
そして、拙いうえ、引用が多いですが口当たりのいいよう、表現を選んで書いたつもりです。
私の願いが、私にとっては何よりも大切だからです。
好きなものは、いくらかでも他人に好ましく映るように着飾らせたいからです。
正直、匿名性が失われなくてもハンドルつけるのはちょっと怖いです。
ガクブルしながら打ってます。
でもTownmemoryさんに愛を叫ぶなら今しかない気がしたのでやらかしました。
べつにマイノリティを差別する気は毛頭ございませんが、逆に自らが少数派の感覚を持っているという自覚は必要かと。ただそれだけの話です。
日下部雪輝さん
>と明快に断言されていらっしゃる方です
えぇ文字としてはそう書かれていますね。でも本当にそうですか?
エントリを最初から順に読んでいくと、そこかしこに赤字無視論を叩かれたことに対しての反発、反論、もっと言えば「どうしてわかってくれないの?」「理解して欲しい、認めて欲しい」というのが見え隠れするように私には感じられます。言葉と心の裏腹を強く提唱されていらっしゃる方ですしね。
>作者や、誰か偉い人だとかに認めてもらおうとして、やっきになるよりも、わたしはわたし自身で、自分の考えを認めてあげようと思っています。
「認めてもらえていない」という現実、「でも誰かに認めてもらいたい」という欲求、それらがなければ、こんな発言出てこないですよね。わざわざそんな当たり前のことを宣言しなければいけない程に。
ぶっちゃけ、自分だけが納得できればいいんだと本気で考えている人は、ブログを作って自説を公表したりなんかしないですよね。
まぁそこらへんはご本人不在で外野が話し合っても仕方ありませんが、たぶん当ってると思います。
誤解されていらっしゃる方が多いと思いますが、私は別にTownmemoryさんや他の方と議論をするつもりはそれほどありませんし(有意義なものが得られるかも?という期待を込めて、多少はあります)、ましてやTownmemoryさんの赤字無視論を引っ込めさせてやろう、訂正させてやろうなんてこれっぽっちも思っていません。というか、そんなこと出来るわけないです。言いすぎではなく何百万回も色々な人から何度も繰り返し言われてきていることを、私ごときが今さら繰り返したところで考えを改めたりなんかはしないでしょう?
前々回の投稿にも書いたように、竜騎士さんがひぐらしで叩かれたことをバネにしてうみねこという良作品を作ったのはいいものの、叩かれたことへの反発が少し強すぎて偏屈になっていますよ、とファンの立場として感想を述べたいのと同じようなものです。
その感想を受けて少し省みるのも、一意見として心に留めるのも、全く無視するのも、どんな受け止め方でもそれは当然Townmemoryさんのご自由です。
ただ、何百万回の批判を受けたという事実はTownmemoryさんの受け止め方に若干の影響を与えるべきものではないかなぁ?とは個人的に思います。少数派の意見を蔑ろにするべきではない。当たり前。では多数派の意見は蔑ろにされるべき?
おっとまた引っ掛かりそうな人が出てきてしまいそうなので、多数に引っ掛かる方は他者と置き換えてください。
申し訳ありませんが、少数多数の件については今回の主旨とは微妙に、うみねこの話とは大いに逸れますし泥縄になること必至だと思いますので、少数多数の件についての返信は私は今後控えさせて頂きます。ただもちろんご意見はご拝読致しますので、言い足りない方はどうぞ。
>そのひぐらしさん
>赤字は新たな真実に上書きされることが作品中に示唆されている。趣味思考ではなく、立派な考察だと思う。
個人的な嗜好を持ち出されても納得しづらいと評したのは、赤字の信憑性ではなく、なぜ赤字で嘘をつかなければいけないのかの論拠となっている「信じたいから疑う、信じられたいから嘘をつく」のくだりです。
赤字が嘘かどうか自体は別に気にしていません。
>たろーうさん
>複数の解釈を許容するような作品だからこそ、各々の説の妥当性を問われるような展開になるのは、必然ですかね。
頭の悪い私は毎度長文を書きつつも、自分の言いたいことはこれっぽっちも伝えきれていないわけで、貴方のように的確にビシリと今の状況を評する能力を持つ方には軽く嫉妬してしまいます。
うみねこがどう終わったら丸く収まるのか
不安になっていたのですが、優しい終わり方を一つ示して下さって嬉しく思います
全編を通して「2次創作」というテーマが透けて見えた(ように感じた)私にとって、全てを許容するという温かい終わり方が見られたら…
納得できない方もいるかもしれませんが、
個人的にはとても素敵です
どうも有り難う御座いました!
管理人氏へ>
一言お詫び言いに来た
ここで長文書いてる名無しは2chスレ関係者だと思われる
ちょっと前2chで
管理人氏は赤字無視でどうして推理してるのかという話題があり
都合の悪い赤字を無視してるらしい、何だよそれという話になったことがある
無視がどうこういう言い回しから、こいつはそこで話してた奴か、スレを読んで勘違いした奴だと思う
だが2chうみねこスレ民が全部こんなと思って欲しく無いです
考察は違ってもここをちゃんと参考にして読んでる奴もいる
こんなのばっかじゃないことだけわかって欲しい
あと自分はスレを代表してる訳じゃないので宜しくお願いします
君の趣味嗜好、感覚の話だな。
>Townmemoryさんの趣味嗜好、感覚の話。
当り前。自分の意見を言うとはそういう事
>それでは同じ感受性を持つ人は納得させられても、そうでない人には受け入れられません。
何で受け入れられなきゃなんねんだ?どうして君を納得させにゃならんのだ
>そしてTownmemoryの感覚が多数派ではないことは
多数派でなきゃならんのか?多数派に受け入れられんかったら価値ないと思う?
>私は赤字無視を批判しているのではなく、その根拠の脆弱さを指摘しているのです。
あのね君、俺も赤字信じる派だけどね、赤字が正しいという根拠どこにあるのさ
赤字を信じる派、という言い方が出る時点で、信じる信じないの話なんだよ
俺は赤字が正しい根拠なんか出せんし、君が言ってることも赤字が正しい根拠だとは思えん。根拠がないのは君もおなじだ
それとも多数派だから自分のほうが正しいってか?
>アンチミステリーだからといって、狂人が書いた狂人にしか理解できない支離滅裂な話でいいわけではありません。ミステリーや既存の枠組みを破った作品であるなら、破ったその上での新しい枠組みを提示しなければ、それは作品として評価されません。
TOWNMEMORYさんは理解できるように書いてるだろ。赤字を信じないときの枠組みを提示してるじゃんか
このほどく⑪はまさにそれ 君が書かれてることを理解できないだけじゃないのか
>「えぇ感覚ですよ。でもあなたのも結局は好みや感覚でしょ」と仰るかもしれませんね。その判断は私自身にはつきませんが、私はそれが正当な作品の評価、考察の仕方だと思っています。
おいおい、相手が自己の感覚を語るのは避難して自分はいいのかよ
感想:これひどすぎ
ただ、以前書きこんだことがあるんですが、竜騎士さんは、「他人には下らない動機でも、その本人とってはとてつもなく重要な動機」というのがあるんじゃないか、っておっしゃったことがあるんですね。
それを考えると、必ずしも多数の支持を得るようなものではなくてもいいのかな、と思います。
追い詰められた犯人が、戦人とのミステリー勝負を挑み、でも内心は見事な推理で打ち破って欲しい、と犯人が考えてもいいよう気がします。
>pochiさん
名無しではないので、一定の敬意を払ってこの口調で失礼します。
Townmemoryさんは、
>作者や、誰か偉い人だとかに認めてもらおうとして、やっきになるよりも、わたしはわたし自身で、自分の考えを認めてあげようと思っています。
> 自己満足? ある意味では、その通りなんです。
> それがいけないことだなんて、天草十三にいわれるまでもなく、わたしはぜんぜん思わないのです。
と明快に断言されていらっしゃる方です(「当然過去のエントリを全て読んだ」pochiさんは、言うまでもなくわかってらっしゃいますよね?)。
そんな方に対して「感受性が多数派でないから大多数は納得できない」などと言う意味は、一体どこにあるのでしょうか。
そもそも「多数派の支持を得なければならない」という考え方自体が、2chなどの匿名掲示板でしか通用しない、狭い考え方だと言わざるを得ません。
そのような場所では参加者は全員等しく「名無し」であり、そこに優劣はありません。なので、あのような場所では良くも悪くも多数の支持を得た方が「正しい」ことになる。
しかし、匿名掲示板の外でまで、そのようなバイアスのかかった考え方をされることには、まったく感心できないと言わざるを得ません。
Townmemoryさんに何かを期待するなら、まずTownmemoryさんの目指している場所を理解してからにすべきではないでしょうか。
いつも考察、楽しく読ませていただいてます。
何か赤字関連で議論になってますが、
「赤字で語られることは、真実とは限らない」と青字で言えばよい…とのくだりがあったように思います。
それで私はなるほどなぁ、と思いました。
前回の発言は当然過去のエントリを全て読んだ上でのことです。
信用したいから嘘をつく、信用されたいから嘘を見抜いてほしい。
「あーー、そういう(メンドクサイ)女もいるよねぇ」と多少の蔑視も含めて発言されることはあるでしょうし、波打ち際でのあははうふふな戯れでは、そのような思考・コミュニケーションはあるでしょうが、それが作品の肝に据えられているとお考えですか?
前回の投稿でも書きましたが、公然と嘘をつくということを、竜騎士さんはひぐらしでやり大ひんしゅくをかって、その反発がうみねこ執筆の原動力となっていると、私は考えています。もしそうであるなら、盛大に批判を受けたネタを、今度はもっともらしい理由をつけて再び行うとは私にはとても考えられません。言い訳を追加した分さらに叩かれることが目に見えていますし、言い訳をするために竜騎士さんはうみねこを書こうと思ったわけじゃないと思います。
Townmemoryさんの赤字無視は、論理じゃないですよね。Townmemoryさんの趣味嗜好、感覚の話。だってお世辞にも「信じたいから疑う」
とか「見抜いてほしいから嘘をつく」なんて人、オブラートに包んだ言い方をして、そんなに多くはいないですよね。
だから赤字の話になるとそれまでの論理性や話の筋が消えてしまい、関係のない例え話や、聞こえのいい表現の羅列になっています。それでは同じ感受性を持つ人は納得させられても、そうでない人には受け入れられません。そしてTownmemoryの感覚が多数派ではないことは、Townmemoryさんの赤字無視が多くの人から受け入れられていないことからも御自覚頂けているかと思います。
私は赤字無視を批判しているのではなく、その根拠の脆弱さを指摘しているのです。
赤字は作品の中核の少なくとも一角をなす要素です。それをひっくり返すのであれば、それ相応の説得力がなければ、ミステリーだろうがアンチミステリーだろうがファンタジーだろうがアンチファンジーだろうが作品として成り立ちません。誤解されているかもしれませんが、アンチミステリーだからといって、狂人が書いた狂人にしか理解できない支離滅裂な話でいいわけではありません。ミステリーや既存の枠組みを破った作品であるなら、破ったその上での新しい枠組みを提示しなければ、それは作品として評価されません。(ドグラマグラにはドグラマグラの枠組みがあるのです)
確かにうみねこは、多数の真実を内包することを許容していますが、無根拠にナンデモアリと言っているのではないです。真実たりえる最低限の根拠、説得力が必要です。(論理的な理詰めな説得力でなくとも構いません)
信じるからこそ疑う、疑ってこそ信じられるものがある、それを作品の中核に持ってくるなら、それ相応の提示をしなければなりません。
作中で赤の保障性は散々述べられており、それを疑わせるような描写はほとんど(無能とか笑い声とかあるので……。まぁ勇み足というか演出だと思っています)ありません。「ベアトは解けるようにゲーム盤を作っている」「解いてほしいと願っている」や、恋人を疑ったエリカは幸せでしたか?戦人の言葉を何年も信じて待ち続けたヤスへの答えが「信じるからこそ疑えば良かったんだよ」じゃあんまりじゃありませんか?
「えぇ感覚ですよ。でもあなたのも結局は好みや感覚でしょ」と仰るかもしれませんね。その判断は私自身にはつきませんが、私はそれが正当な作品の評価、考察の仕方だと思っています。
別の方からの引用ですが
>すごいなぁって思う所も多いけど、
>何故か作品を蔑ろにされてるように感じる事がたまにあるんだよね。
全くの同感です。作中でこれだけ「信じてほしい」と訴えかけられているのに、その想いを踏みにじられているように感じるんですよね。
それと、せっかく「19男が男の場合と女の場合」なんて、素敵な発想が出来る方が、こと赤字の話になると急にガタガタになるのが勿体ないなぁと。赤字無視に拘らずに別のアプローチで、或いはもっと説得力のある赤字無視説で、朱志香犯人説を構築してくれたらなぁ、という期待を含めての指摘と受け取って頂けると幸いです。
キチンと理論構築しての赤字否定の理論、楽しく考えさせてもらってます。
特にベルンをアンチミステリーによって撃退できるの辺りが。
ひぐらしを引き合いにだすのもあれなんですが、結局竜騎士07さんの話は、あなたの真実とわたしの真実の対決、なのかなぁと。
赤字をもとに真実を紡ぐのも、赤字を否定して真実を紡ぐのもありなのでしょう。
私個人としては赤字を捨てる勇気はありません。
ただベルンに「ハッピーエンドは与えない」と言われた瞬間、
「あぁ、赤字も否定できるんだ」という思考にシフトしました。
言葉の解釈の違いとかで抜けれるとかありますが、ここまで言われたら正面突破したい。
だってそんな真実を私は「見たい」から。
実際EP6のバトラがロジックエラーに囚われる直前辺りは限りなく嘘に近い赤字使ってるわけで、
もしかして追求されなければ赤字で嘘をついても抜けれるのでは、と考えてしまいました。
シナリオ矛盾がロジックエラーということですが嘘の赤字もそれになるとしたら
…ベルンが恐らく唯一恐怖しているロジックエラーにとらえることができるかもしれません。
Townmemoryさんとは違い論理性の薄い希望、というか「だったらいいなぁ」なお話なのですが。
最高の真実はベルン含めてみんな笑ってハッピーエンド!なんですけどね。
まだ読んでない文章が多くあるのでこれからじっくり読ませていただきます。
長文かつ駄文失礼しました。
それでもきっと、読者は、「この物語の真相は、一体いかなるものなのだろう?」と色々な想像に掻き立てられ、わくわくしながら読んだことでしょう。ミステリの楽しさは、先を読み、真相を想像する、その贅沢な時間を味わうことにあると思います。もちろん答え合わせも合っていれば嬉しいし、間違いならうまく騙したものだと感心する楽しさはありますが。
「うみねこ」という作品が、Townmemoryさんの仰るように、アンチ・ミステリで終結するならば、「うみねこ」とはやはり、真相を想像/創造するその過程にこそ肝を置いた作品ということになるのでしょう。それを楽しめれたのであれば、結末がどうであれ(ミステリとして破綻するのであれ)、私たちは「うみねこ」を十分に評価する必要があるように思います。
最終的には価値観の問題なのかもしれませんね。想像する時間が好きなのか、答え合わせの瞬間が好きなのか。ページをめくりながら可能性を無限に拡散させていくのが好きなのか、読み進むうちに一つの可能性に収斂していくのが好きなのか。
どちらにしたところで不満を抱く人は存在するのでしょう。「なぜそんな非現実的な話が真相なんだ!」と前作では言われたわけですし、今度は「なぜ答えが一つじゃないんだ!はっきりしろ!」といわれるのかもしれません。読者全員の期待に応えるなどということは、およそ不可能な話でしょう。
長文失礼しました。次の記事も楽しみにしております。
以前、竜騎士さんがインタビューで、「エヴァに関する白熱した議論を見たのが創作のきっかけ」とおっしゃってるのを見た事があります。
意見の違いはあるにせよ、何の面識もない人達が、ここまで何かを熱く語り合える機会を与えられた事は、とても幸せな事ですよね。私の様な推理力0の人間ですらそう感じられます。
推理の正誤うんぬんが最重要ではなく、こうしたコミュニケーションの展開こそが、竜騎士さんの本当の狙い、(イコール魔法!)なのではないか、、、、と私は勝手に思っていますw
駄文失礼いたしました。
議論は結構なのですが、「KEIYAさんと比べて、どうか」といった、ひきくらべの議論はまったく感心できません。その方向で有意義な議論が発生するとはどうしても考えられません。このことについては、この場の主催者特権ということで、皆さんにはご遠慮いただきます。
●2010-09-30 14:52:11のタイムスタンプで投稿されたUnknownさんへ
(お願い:こういうややこしい宛名を書かねばならないので、できましたら皆さんなにがしかの名前を名乗っていただきたく思います。何かのハンドルを名乗ったからといって匿名性がなくなるといったことはないはずです。「自分自身に名前をつける」というのは、非常にうみねこらしくて好ましいとも思えますが、どうでしょう)
こんにちは。わたしは想像するしかないのですが、「ミステリーのつもりで読み始めたら、解決がなかった」という体験をした読者たちは、
「読者を楽しませるつもりがないのか!?」
と、きっと腹を立てたのではないでしょうか。何十年か前、かつてアンチミステリーの作品に初めて触れた読者たちは。
さまざまなご質問ですが、まず、わたしの赤字関連のエントリーをすべて読んでから、それでもわからないことを再度ご質問下さい。
わたしは今回「赤字を疑うことと、アンチミステリーとの間には重大な関係性がある」という内容を書いているのですが、それに対して「ファンタジーだろうがアンチミステリーだろうが関係ありません」と乱暴におっしゃり、しかもその理由をのべないのですから、「わたしのエントリをちゃんと読まずに質問している」と判断せざるをえないのです。
(「これまでやってきた赤字バトルやそれに伴うドラマ性が全て空虚」になることに、大きな意味があるのだ、という内容が書かれているのですよ)
全部よめば、その中から疑問に対する答えもいくつかみつかるはずです。たいした量ではありません。以下のものを目次から探して読み直して下さい。そうする気が起きなかったら、あきらめて下さい。
「疑うという“信頼”(上)・ベアトリーチェは捕まりたい」
「●赤文字論・密室を解く」の項
>んなことを誇られても・・・
ンなこと言ったら、それこそKEIYA氏の推理こそ既出推理の塊なんだけどね。あの人の推理はあの人が発表した時点では大抵は2chなんかで既出。
本人はそんなところを見てないような言動をしているけど、それを証明することはできないわけだ。
誰がどうみてもわかることばかりでがっかりだった
それにEP4までの考察から散に入ってから二転三転しすぎでさ、
ひぐらしの時は目明かしあてて結構すごいと思ったけどなんか肩すかしだった
最初から一つの説を貫き通すことの方が凄いと思う
んなことを誇られても・・・
>>Unknownさん
KEIYAさんのほうも文章の細部まで検証してて
すごいと思うけどなぁ、っていうかあれを感想ってwメモのほうしか見てないんじゃないの?
なんていうのかTownmemoryさんの考察は
すごいなぁって思う所も多いけど、何故か
作品を蔑ろにされてるように感じる事がたまにあるんだよね。
>KEIYA氏の方はウィルの正体とか当ててたのにね
この2つを同列に語ってる時点でなぁ……。
ウィル(というかイトミミズと呼ばれていた肖像画の人物)の正体を当てたところで、別にゲームとしてはどうでもいい部分だろうに。
ところでこの人、Townmemoryさんが早い段階から台湾説を支持していた事実を知らないのだろうか?
それこそ「台湾説のTownmemoryさん」という誤解がまかり通るくらいの初期から。
KEIYAは考察と言うよりも感想って感じ
EP6を見て誰しもが思ったことを考察として述べられてもっていう感じで
それよりも他の人が思いつかない、目をつけないところに終点を当ててるほうがよっぽど考察って感じがする
紗音がベアトっていうのだって結局第三者のヤスの存在をあてられなかったからあっていたとは思えないし
むしろここの考察の方がベアトが金蔵と九羽鳥庵ベアトの子供とか過程は結構あってたと思うけど?
嘉音のことも同一人物なんかよりもよっぽど真相に近いと思う
それに赤字を信じるなら使用人は犯人じゃいけないんだよね?
反論ではなく私の妄想として取っていただきたいのですが、私はあなたのおっしゃる「赤字が真実ではない」根拠を求めることこそ、無理があるのではと思っています。そもそも、「赤字で語ることは真実」と赤字で語ったときに、それをルールとして受け入れるかは、プレイヤー次第です。確かにバトラは乗ってやるといいました。しかし、読者に対してはイエス、ノーの選択は迫っていません。つまり、イエスと読みながら答えた読者は「赤字を真実だ」というルールのもと推理をめぐらせばいい、ノーと答えた読者は赤字も地の文と同じであるとして推理をめぐらせばいい。と思っています。だって、そもそも、推理小説であるなんて一言言ってないんですから。(←まあ、私もに赤字が真実の方がすっきりだな~と思っていますが(・ω・)/)自己満足の訳のわからない説失礼しました。
なんだか最近トンデモ説に引っ込みが付かなくなってるようにしか見えなくなってきてて残念
ep7で今までの説が一つでも合ってた事があったのだろうか、と
KEIYA氏の方はウィルの正体とか当ててたのにね
効率的に騙すために?「楽しませる」ではなく「騙す」を優先するかどうかという疑問は当然ありますが、騙すためにだとしても、わざわざ「真実のみを語る赤字」を持ち出してそれに注目させずに、地の文で嘘をついた方がより多くの人が騙されるのではないでしょうか。
うみねこは1つの独立したエンターテイメント作品であると同時に、ひぐらしで叩かれたことへの竜騎士さんのリベンジであると私は思っています。
もしそうであるなら、そこで「薬物は検出されなかった→検出されない未知の薬物」と同じような「赤字は真実→そんなの嘘」を使って、リベンジとなりますかね?「また同じ手に引っ掛かりやがった」と高笑いすることが竜騎士さんの望みなのでしょうか。
もちろん、完全にミステリーの流儀に則って普通のミステリー作品を書くことがリベンジになるわけでもないので、私としては流儀を踏まえた上でそれをひっくり返してくれるだろうと予想しているのですが。
私はうみねこが好きですし、竜騎士さんも好きです。ただあえて1つだけ苦言を呈すなら、所々に散見するミステリーに対しての鬱屈とした反発。ひぐらしで叩かれすぎた反動なのか、どうも言い訳じみて聞こえてしまうんですよね。ヒネているというか、自説や偏見に固執してありのままを受け入れようとしていないというか。
そして失礼ですが、このブログやTownmemoryさんにも同様のことを感じてしまうのです。朱志香犯人説を個人的に提唱されるのは結構ですし、今回の「EP1~4とEP7では犯人が違う。19年前の赤ん坊が男の場合と女の場合」という発想には素直に感嘆しました。
(まぁただ、発想としては面白いと思いますが、後1EPを残したこのタイミングでそれをするのは、「読者を騙す」ことにあまりに重点を置きすぎていて、「竜騎士さん、そこまでなりふり構わず騙したいのかな?楽しませたいんじゃないの?」と私には思えてしまいますが。「赤字は嘘」は私には考えられないのもほぼ同様の理由です)
けれど、それがこと「赤字は嘘」の話題になると、途端に言い訳がましいというか、他者を納得させるためではなく、関係のない話を引き合いに出したり、聞こえのいい言葉を並べてみたり、自分の正当性を偏屈に述べているだけに聞こえてしまいます。
猫箱の中に多くの真実が同時に存在していることと、猫箱に書かれた設定を無視していいということは別物だと思います。「赤字は真実のみを語る」とあるのであれば、私はそうなんだと思います。ファンタジーだろうがアンチミステリーだろうが関係ありません。どっちを信じるとかどちらも正しいとかそういう次元の話じゃないです。
(メタ的な話で申し訳ないですが、赤字は嘘ならば、これまでやってきた赤字バトルやそれに伴うドラマ性が全て空虚になってしまい、勿体無いですしね)
他の方から散々言われていてもう聞き飽きたとは思いますが、Townmemoryさんの「赤字は真実ではないことも言える」がなぜ叩かれるかというと、そこに根拠がないからなんですよ。
自分は朱志香が犯人だと思う。犯人だといいな→そのためにはこの赤字が邪魔→じゃあ赤字は信じない。嘘。
これでは真実を自説に捻じ曲げていると言われても仕方ないです。作品の設定を蔑ろにして行うのであれば、それは推理や想像、二次創作でなく、妄想やエロ同人誌の類だと思います。
以前ほんの少し書かれていた「赤字は嘘もつける。でもそれは嘘をつくだけの意味(条件?)があるからだ」というアプローチはもうされていらっしゃらないのでしょうか?非常に残念です。
相変わらず見事というしかありません。
紗音すら幻想キャラで、肉体をもつニンゲンとしてのベアトリーチェがいたのだと、竜騎士07先生につい屈服してしまった私には目からうろこが出ました。
八城十夜の「私に見える真実とあなたが見ている真実を重ね合わせなさい」という科白やEP4のTipsで戦人をexcuteした時の「魔女に抱かれて地獄行き。けれど、その地獄は魔女にとっての黄金郷」という一文とうまく結び付きますね。
すべての真実は幻想の中に拡散し、無限の幻想こそが真実となる。
非常に美しい結末だと思います。
私にとってのhappy endは戦人とベアトが幸せになることなので、そんな物語を猫箱から紡ぎたいと思います。
とっくりさんへ
私は、ガートルードとコーネリアの結界の描写とEP4でのサソリのお守りの結界の描写の相似性から、2人はサソリのお守りから顕現したマリアの幻想キャラではないかと思ってました。
ただ、魔女マリア卿の創造キャラであるのに、なぜ魔女を否定する側の位置づけなのか。魔除けの力を持つお守りが依り代だからというだけなのか。上手く説明がつけられずにいたのですが、今回のTownmemory様の考察と絡めると彼女らがドラノールの部下であり、魔女ベアトリーチェの敵なのかうまく整合がとれましたので、書き込ませていただきます。
ベアトがマリアのキャラを借りるのは魔女シリーズではおなじみですから、天界シリーズでも同様に借りたのでしょうね。
赤字よりも守ってあげたい白字はいっぱい抱えていますね
端的に言うと、特にここが好きという部分で
多分に私にとっての真実の入口です
これはすべて真実、ベルンカステルの口から言わせてるあたりはまず
「おまえが言うな」
の突っ込み待ちですよね、色々な意味で
「フランス人形」をドラノールの創造や、2つのミステリーシリーズの創作に結び付ける推理など、私には考えもつかなかったです。
ただ、前作における「秘密組織・謎のお薬」ネタは、それらの存在の否定を「勝手に」前提にしてしまっている事を上手く突いたものである事に関しては同意致します。
ですが、あれが批判されているのは、結局それを用いた展開が、あまりにも陳腐に見えたという人も多いからでもあると思います。
「うみねこ」は、さすがにそういう展開はもうやっていないようですが、「火刑法廷」のように読者に想像の余地を残すような、明確な一つの回答ナシ、という所に落ち着きそうなのでしょうか。
「火刑法廷」は大好きなんですが、、、、
ベアトリーチェは、どこまで降りていけるかかなり思い切った方法をとった魔女だという事も言われていたし、もしこの推理で合っていても納得の大胆さです。
結局自分で考えなきゃ(自分で選択しなきゃ)結末にたどり着けない新しい物語なのかもしれないですね。
「Townmemoryさんはやっぱりすごいです」。
自分の考えたこと、やりたかったこと、想定したことなどを、自分より先に力強い主張で行っている人がいるのが、こんなに心強いというのを初めて知りました。
もちろん細部は色々と違いますし、部分的には賛同できない説もあります。けれども大枠においては、ずっと言いたかったことを全部先に言われてしまった感じです。
ちくしょう、嬉しいけどちょっとだけ悔しいなぁ……。
ベアトがいなくなってからの上位世界ですが、ベアトが作ったキャラを誰か他の人が認知していれば、問題なく動かせると思います。多くの人が、ドラノールやウィルの登場する二次創作小説を書いている。オリジネーターのベアトや竜騎士さんがいないところで、平然と彼らが活動している……。そういう状況を想定すれば良いんじゃないかなと考えています。
「真実は、いつも一つ!」という小さな名探偵的立場をとっていると、確かにベルンの出した解答で満足するほかはないわけですよね。「これが真実」と宣言されてしまったのだから。
こんな解答で満足できるか、と思ってしまった時点で、読者がミステリーに背を向けざるをえなくする、うまい誘導だと思います。
説得力があり面白い嘘がつける人は、本当のことを織り交ぜながら嘘をつくそうです。同様にこの物語を読み解くには、赤字だけでなく、地の文からも真実をくみ取る必要があるのでしょう。それこそ愛をもって。
そういう意味で、赤字に殊更とらわれない真実の紡ぎ方を提唱するTownmemoryさんの説はやっぱり面白いです。
ところで今回ドラちゃんについても少し触れていらっしゃいましたが、「散」に移行してからの、ベアト亡き上位世界をどう捉えたものとお考えか、うかがえればと思います。