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Ep7をほどく(11)・そしてアンチミステリーへ
筆者-初出●Townmemory -(2010/09/28(Tue) 20:04:45)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=52924&no=0 (ミラー)
[Ep7当時に執筆されました]
※番号順に読まれる想定で書かれています。できれば順番にお読み下さい。
☆
細かいところをちょっと合わせて、まとめを書いて、ひとまずおしまいです。
●ヤスシャノン世界で起こっていない殺人
些細なことで、かつうまい検証もないのでサッと指摘だけ。
クレルとウィルの、白黒切り分け合戦で、言及されない殺人がいくつかありますね。
あれなんですが、
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェが犯行を行なう世界では、その殺人は起こってない」
という受け取り方はどうでしょう。発生してないんだから、言及されるはずもないっていう思い切ったとらえかたです。
Ep1で、紗音は、べつに儀式に必要もないのにあえて夏妃と決闘する必要はない。爆弾でふっとばせばすむのですからね。
だから、ヤス・シャノン・ベアトリーチェは、第9の晩に「夏妃を射殺していない」。
逆に、「ジェシカ・ベアトリーチェにはあえて夏妃と決闘する理由がある」とわたしは考えているわけです。それは長くなりますから、 ■目次(全記事)■ から「●犯人特定」の欄の「サファイア・アキュゼイション」というシリーズを読んで下さい。
●貴賓室のフランス人形のミステリー
朱志香が貴賓室に肝試しに行ったら、電気が消え、電話が鳴って真里亞が歌をうたい、フランス人形が消えます。
電気消し係と電話鳴らし係と人形係の3人が必要だってことになってます。
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェ世界」でそれをやったのは、源次・熊沢・紗音でいいんじゃないでしょうか。ヤス紗音が、源次・熊沢に命令を下し、「朱志香にベアトリーチェを信じさせる」目的でコトを起こしたっていう形です。とくにそれで困ることもないので、あまり深く考えないことにします。
「ジェシカベアト世界」ではどうでしょう。こっちはちょっと困ります。だってこの想定では、朱志香がベアトリーチェなんですからね。こっちの世界では紗音は当主様ではないので、源次への命令ができないのです。
ひとつの考え方は、朱志香が「そういう事件があったんだよ」と言い張っただけ、というミもフタもない推理。
けど、思い切ってこんな考え方もできる。
朱志香にドッキリを仕掛けたのは、源次・熊沢・「金蔵」。
まさかの金蔵生存説。じつはこっちの世界では、この段階で金蔵はまだ死んでなかったという想定です。
わたしは「金蔵生存説」は、「もう一回のどんでん返し」候補として、ちょっと本気で考慮してもいいと思ってるのです。
さて。以上はじつは前置き。ここからが言いたいこと。
貴賓室にフランス人形が置いてあるそうです。
このフランス人形が、もし「球体関節」を持ってたら、ちょっとおもしろいことになるなあと思うのです。
(フランス人形が球体関節を持つことはありえないのかな? その場合は人形全般のことを朱志香がよく知らなかったことにしますね)
フランス人形は、ベアトリーチェそのもののように扱われていたわけですね。
フランス人形は、ベアトリーチェさまである。
ベアトリーチェさまを粗末にあつかうと、罰があたって不幸になる。
だから、ベアトリーチェさまのお人形に、お菓子をおそなえして、熱心に拝みなさい。
そうすると、ベアトリーチェさまは平伏した者には優しいから、被害を与えないでくれるのである。
さて、そんな貴賓室に、「黄金を見つけてベアトリーチェになった朱志香」が現われた、と考えて下さい。
あ、べつに「黄金を見つけてベアトリーチェになったヤス」でも良いです。ようするにベアトリーチェの中の人、ほんもののベアトリーチェがそのフランス人形を見たと思って下さいな。
このフランス人形は、ベアトリーチェさまだと考えられているらしい。
いや、私がベアトリーチェだ。
私がベアトリーチェなのだから、この人形はベアトリーチェではない。
じゃあ、この人形は何だ?
「熱心に拝むと魔女の被害を受けなくなる」という機能を持つフランス人形が、ベアトリーチェでないとしたら、この人形の正体はいったい何になるんだ?
そこで「世界が変更」されたんじゃないかと思うのです。
昨日まで「拝めば慈悲心を起こしてくれるベアトリーチェさま」だった人形。
それが今日からは、
「ベアトリーチェを撃退してくれる守り神」
なのである、という整合がとられたんじゃないか。
守り神は、ベアトリーチェを追っ払ってくれるので、魔女の被害を受けなくなる。
祇園さんとして知られる牛頭天王という神様は、もとは「疫病をもたらす神様」だったそうです。だから人々は熱心にお参りして、「うちには疫病を運ばないで下さい」とお願いしていた。
ところが、何かの拍子に、解釈が変わってしまった。
「祇園さんを拝んだら、病気にかからない」
というところだけが伝わっていった結果、牛頭天王は、
「疫病を打ち払ってくれる荒ぶる神様」
というふうに属性が変化してしまったそうです。聞いた話なんですが、そういうことがあるそうです。
そんなふうに、お人形は、「魔女狩りの神」という属性で解釈されるようになる。ベアトリーチェの中の人は、そういう設定で整合をとる。
たとえば……。
十個の戒律を必殺技として持ち……
魔女幻想を赤と青の剣で打ち破る……
天界の裁判官。
ドラノールは、Ep5では「大理石で出来た球体関節人形」のようだと描写されたり、Ep6ではヱリカに「お黙りなさい殺人球体関節人形」となじられたりしています。
つまり、ドラノールや、その他の天界キャラクターは、すべて「ベアトリーチェの中の人」が創造した幻想キャラクターだったんじゃないかと思っているのです。
ヤスは、もしくは朱志香は、ようするにベアトリーチェの中の人は、このドラノールという新キャラクターを得て、
「天界大法院ミステリー」
というフィクションの推理シリーズを構想したんじゃないかな。
彼女の中には、最初から、
「密室の魔女ベアトリーチェ」シリーズ
という構想があって、ベアトリーチェが密室を作って人々を翻弄するミステリーシリーズを考えていた。
それと同じ世界観を使って、立場を逆転させ、魔女を追いかけて捕まえるシリーズも展開できるじゃないかと気づいた。
魔女シリーズは、魔女ベアトリーチェが鮮やかに犯罪を犯すシリーズ。
天界シリーズは、裁判官ドラノールが魔女を逮捕するシリーズ。
怪盗キッドの『まじっく快斗』と、江戸川コナンの『名探偵コナン』の関係みたいな。
●ウィルの中身
ミスター・ヴァンダイン。ウィル君の中身は、じゃあいったい何なんだという話になりますね。
これ、戦人でいいと思います。ベアトリーチェの中の人が、戦人を「モデルにして」、ウィラード・H・ライトというキャラクターを創造した。
そして、ホワイダニットを重要視する“かっこいい”ヒーロー探偵として、「天界大法院シリーズ」の中に配置した。
大好きだからヒーロー役にするわけです。
ホワイダニットに異常にこだわる性格。髪の毛の赤メッシュ。すぐにお腹をこわすかんしゃく持ちの小さな生き物との生活。
「ベルンカステルのミステリーが気に入らないから、そいつをファンタジーにしてやる!」
というのと、
「古戸ヱリカの推理が気に入らないから、そいつを不成立にしてやる!」
というのは、まったくおんなじ構図です。
「共通点があるから、ウィルと戦人は同一人物なんじゃないか」みたいなことを想定するよりは、いったんフィクションの世界を設定して、
「戦人をモデルにしたキャラクターを幻視して、配置した」
というほうが、通りがいい気がするのですね。
●「No Dine,No Knox,No Fair」
ドラノールが「ベアトリーチェの創造物だ」というのには、ちょっとした傍証があります。
Ep5で、「ベアトが許可した者しか入れない薔薇庭園」に、ドラノールがやって来て、ワルギリアや戦人とお茶会をするのです。
ワルギリアと旧知の仲だという設定も明かされました。
そして、「心を閉ざしたベアトがあえてドラノールをここに呼び寄せたのだ」「それは戦人とドラノールを会わせるためだ」ということが語られます。
これは「ドラノールは私が作ったキャラだから、悪いことはしない」「私がドラノールに付与したものの考え方や情報は、戦人の役に立つはずだ」という取り方をすると、なんとも整合感があるのです。
そこで。「No Dine,No Knox,No Fair」という、OPムービーの宣言文の話になるのです。あれにはベアトリーチェの署名が入っていた。
「私の作った世界観の中には、ノックスやヴァンダインというキャラクターも存在していて、彼らなりの論理や特殊能力を持っている。けれども、今回の事件には、ノックスやヴァンダインは登場しない。登場しない範囲のルールで事件を起こすものである。すなわち、十戒や二十則から逸脱するような条件もゲームに含まれることを宣言する」
という意味に読めるような気がする。
ところがベアトリーチェがゲームマスターをやめたとたんに、ノックスが出てきて、ヴァンダインまで出てくる。
これは、ベルンカステルかラムダデルタが後付けで連れてきた。
ベアトの作った設定を隅々まで調べたベルンかラムダが、
「ベアトったら、こんなにおもしろいギミックも用意してあるんじゃない。どうして使わないの? え? 今回のトリックと矛盾するの? いいじゃない、面白いから出しちゃいましょうよ。戦人が混乱する顔が見たいわ」
とかいって、無理矢理つっこんだ。わたしは「このゲームはノックスには準じていない」という説をずっと採っています。
●何度めかの「赤字」
わたしは、Ep1~4の犯人を朱志香だと考えています。
朱志香がEp1~4の犯人であるためには、いくつかの赤字を盛大にキャンセルしなければなりません。
ですから、「右代宮朱志香は殺人を犯していない」という赤字をキャンセルして、右代宮朱志香が犯人であることにしています。
わたしは、「赤字は真実でないことも言える」という説を提唱しています。
人を騙すというのは、つきつめれば、
「真実でないことを真実だと思いこませる」
ことなんだ。
「この条件下で、どう考えたら、正解にたどり着けるだろうか」という思考法を、わたしはとりません。
「この条件下で、もっとも効率的に、大量の人間を騙す方法は何か」
という考え方です。
「ありもしないルールを、あると思いこませる」
たったこれだけで、ほとんどの人間を真相から遠ざけることができる。
このギミックに騙されなかった人のために、セカンドトリック、サードトリックを撒いていけばいいのです。そうして最終的には、ゼロにしぼりこむ。
みんな「未知の薬物を出してはならない」とか「犯罪組織が犯人であってはならない」とかいった、ありもしないルールをあると思いこんでひぐらしを読んでいましたからね。これが効くのは保証付きです。
そんなルールないんです。みんなが「そういうルールがあるものだ」と思いこんだだけです。「エスカレーターに立つときは右(左)側をあけなければならない」というのはちょっとそれに近いかも。「みんなたいていそうしている」という現象の観測が、「そうでなければならない」にすりかわったのです。夢枕貘さんの安倍晴明なら、「ミステリーのお約束という呪にかかっている」とでも言いそうなところ。
かくいうわたしも、「そういうルールがあると思いこんで」ひぐらしを読んで、盛大に騙され、呪がとけました。中禅寺先生に憑き物を落として貰った気分だ。
少なく見積もっても万単位のユーザーを、4年間にわたって、手掛りを出し続けながら騙し続けなければならないのです。しかも半年ごとに、平均3個の不可能殺人を提出しつづけるという難題。
そんな無茶な条件が与えられたら、騙す側は全力でなければならない。もっとも高効率な手が選ばれねばならない。
「赤字を真実だと思いこませ、しかし真実ではない」
わたしが出題者の立場だったら、これを思いついた瞬間、絶対に採用します。
わたしがこの「合理性」を語ると、それはもう、みなさんモニターの前で嫌な顔をされる。
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
解明はできるように出来ているはずだから、基準はあるはずであり、その基準となる赤字は本当であるはずだ。
まあそういったことを百万回くらい言われております。(いや、百万回は大げさすぎですね。「千年の魔女」というのも言い過ぎだ)
百万回くらいいろんな答え方をしましたが、新しい答え方を開発しましたので、披露します。
このシリーズの最初の話題に戻ります。『うみねこ』はミステリーなのかファンタジーなのかアンチファンタジーなのかアンチミステリーなのか。
●残されたキーワード
この物語は、魔女が現われて、密室殺人を「魔女のしわざだ」と言い張るところから始まりました。
魔女犯人説という「ファンタジー」から始まった。
それに対して戦人が、そんなわけはない、人間が物理法則の範囲で犯行したはずだと主張して、対立のゲームになりました。
戦人は、人間の犯行で物理法則内であれば、どんなナンセンスな主張でもするというアプローチをとりました。これは作中で「アンチファンタジー」の態度だと説明されました。
ファンタジー対アンチファンタジー。
さらにそれに対して、ベルンカステル(古戸ヱリカ)がとったアプローチが「ミステリー」。
ミステリーにはさまざまなルールが所与のものとしてあるのであって、すべてはそのルール内で行なわれているはずだ、と、彼女は決め打ちします。
これはファンタジーに対抗する立場なので、アンチファンタジーに近いですが、より狭く限定するアプローチです。アンチファンタジーが許容していたナンセンス主張も否定します。
この、ベルンたちの「ミステリー」が、戦人は非常に気に入らなかった。戦人は彼女たちのミステリーを撃退したいと願望しました。
そこで彼が取った方法は、
「魔術師になって、超自然の方法で手に入れた手掛りを使って、ミステリー説を否定する」
というものだったのです。
つまり、アンチファンタジーだった戦人は、ミステリーを撃退するために、自らファンタジーになったのです。
ファンタジー対ミステリー。
そして今回のEp7。
ミステリープロパー、ベルンカステルが、再び謎を仕掛けます。すべてが「ミステリー」でした。
それが気に入らないミステリー探偵のウィルは、ベルンカステルを撃退しようと試みました。
ミステリー対ミステリー。
最後にひとつ、キーワードがまだ使われていないのです。
ミステリー探偵のウィラードには、ベルンカステルを倒せなかったのです。
「そんな手掛りはない以上、その結論をとることを禁ず!」
といった、いかにもミステリー的な戦い方では、彼女には勝てないらしい。
ベルンカステルのミステリーを撃退するもの。
それはきっと、
「アンチミステリー」。
●そしてアンチミステリーの世界へ
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
という疑念への答え。
そうです。
それで良い。
それではミステリーにならない。
なりません。
それで良い。
解けないじゃん。
なぜいけない?
つまり、ミステリー的な構えで物語が始まっていながら、
ひとつの真相が最終的に解明されることなく、
さまざまな考え方ができるという状態のままで放り出され、
想像力にたよるほかなく、
真実はただ、無限の可能性のなかに拡散しつづけていく、
たとえるならそう、『ドグラ・マグラ』みたいな作品になる。
そういうのを、「アンチミステリー」というのです。
「赤字の真実性を疑う」
というアプローチを取った瞬間、
この物語は、急激に、「アンチミステリー」的な様相を呈してくるのです。
*
この物語が、ミステリーであってほしいなら、ヤスが犯人で良い。
この物語が、ファンタジーであってほしいなら、魔女が犯人で良い。
この物語が、アンチミステリーであってほしいなら、物語をミステリーたらしめているものを拒否しなければならない。
この物語が、アンチファンタジーであってほしいなら、人間の誰かを犯人として提示しなければならない。
だからわたしの推理は、「そういう前提」をとり、「そういう結論」になっていってるらしいのです。
*
小冊子をみると、竜騎士07さんは、アンチミステリーという言葉を、
「ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、自らの存在を否定するに至ったこと」
というふうに説明しています。これが「竜騎士用語」としての「アンチミステリー」なのですね。
「ミステリーがミステリー自身を否定する……」
赤字というのは幻想混じりの物語の中で、ミステリーを成立させるギミックなわけですね。
それを作中で自ら否定していく。
自己内のミステリー性を自ら瓦解させてしまうことになる。
そういうのを何と呼ぶのか。
赤字を疑ったら、ミステリーになりません。ミステリーの否定です。
ミステリーが依って立っている「手掛り」それを全部、疑わしいものに変えてしまうのだからです。
つまりそれは、ベルンカステルの足場をぜんぶ奪ってしまうことができるということ。
赤字という、ミステリーが依って立つ根拠を奪う。
ミステリーが自らのミステリー性を否定する、アンチミステリーなら、ベルンカステルの提示する「ミステリー的な真実」をまるごとリジェクトすることができそうなんです。
「これは全て真実」なんていう赤字も、リジェクトだ。だって赤字だから。
赤字がないのなら、無限の可能性がある。
誰だってベアトリーチェになりうる。誰だって殺人犯になりうる。
霧江犯人説なんて、無限のなかのひとつにすぎないのだ。
すべては猫箱の無限可能性のなかに。
赤字が真実でなかったら。
あらゆる可能性をその手に取ることができる。
閉ざされて決して開かない猫箱のように。
わたしはこのシリーズを通して、ベルンカステルがほのめかす真相とは異なる、「もうひとつの真相」を、なんとか提示できているんじゃないかと思うのです。
この「別の真相」は、赤字を疑わない限り生まれてこないんです。
ファンタジーと戦っていた戦人は、自ら「ファンタジー」になることによって、ミステリーを撃退したのでした。
わたしたちのほとんどは、基本的にミステリー寄りの人間です。ミステリーではベルンを倒せない。
牽強付会な言い方かもしれないのですが、
赤字を疑い、自ら「アンチミステリー」になることによってのみ、ベルンカステルの真実を撃退できる――彼女の真実を「さいごから2番目の真実」に、「並列に存在する無限の真実のたったひとつ」に変えることができる。
可能性が無限なら、真実をひとつに特定できません。
けれども、たとえばわたしは、その条件でも犯人をひとりにしぼりこんでいます。
アンチミステリー作品で、真相にたどり着けるかどうかは、出題者のさじ加減で決まるのではなく。
読む人の想像力しだいで決まる。
「このゲームに、ハッピーエンドは与えない」
ベルンカステルはそう宣言しました。
真実が、ベルンカステルの持っているひとつしかないのなら、そうなるでしょう。
真実が、無限の可能性の中に拡散していくものならば。
「辛い話でも、悲しい話でもない」ものを、無限の中から好きなだけ取り出すことができるでしょう。
ひとつの真実が欲しいのか。
無限の真実の中から、好きなものを取る自由が欲しいのか。
真実は、ひとつなのか。
真実は、無限にあるのか。
お好きなほうを取れば良いと思います。どっちも猫箱に入っています。
Ep7をほどく(11)・そしてアンチミステリーへ
筆者-初出●Townmemory -(2010/09/28(Tue) 20:04:45)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=52924&no=0 (ミラー)
[Ep7当時に執筆されました]
※番号順に読まれる想定で書かれています。できれば順番にお読み下さい。
☆
細かいところをちょっと合わせて、まとめを書いて、ひとまずおしまいです。
●ヤスシャノン世界で起こっていない殺人
些細なことで、かつうまい検証もないのでサッと指摘だけ。
クレルとウィルの、白黒切り分け合戦で、言及されない殺人がいくつかありますね。
あれなんですが、
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェが犯行を行なう世界では、その殺人は起こってない」
という受け取り方はどうでしょう。発生してないんだから、言及されるはずもないっていう思い切ったとらえかたです。
Ep1で、紗音は、べつに儀式に必要もないのにあえて夏妃と決闘する必要はない。爆弾でふっとばせばすむのですからね。
だから、ヤス・シャノン・ベアトリーチェは、第9の晩に「夏妃を射殺していない」。
逆に、「ジェシカ・ベアトリーチェにはあえて夏妃と決闘する理由がある」とわたしは考えているわけです。それは長くなりますから、 ■目次(全記事)■ から「●犯人特定」の欄の「サファイア・アキュゼイション」というシリーズを読んで下さい。
●貴賓室のフランス人形のミステリー
朱志香が貴賓室に肝試しに行ったら、電気が消え、電話が鳴って真里亞が歌をうたい、フランス人形が消えます。
電気消し係と電話鳴らし係と人形係の3人が必要だってことになってます。
「ヤス・シャノン・ベアトリーチェ世界」でそれをやったのは、源次・熊沢・紗音でいいんじゃないでしょうか。ヤス紗音が、源次・熊沢に命令を下し、「朱志香にベアトリーチェを信じさせる」目的でコトを起こしたっていう形です。とくにそれで困ることもないので、あまり深く考えないことにします。
「ジェシカベアト世界」ではどうでしょう。こっちはちょっと困ります。だってこの想定では、朱志香がベアトリーチェなんですからね。こっちの世界では紗音は当主様ではないので、源次への命令ができないのです。
ひとつの考え方は、朱志香が「そういう事件があったんだよ」と言い張っただけ、というミもフタもない推理。
けど、思い切ってこんな考え方もできる。
朱志香にドッキリを仕掛けたのは、源次・熊沢・「金蔵」。
まさかの金蔵生存説。じつはこっちの世界では、この段階で金蔵はまだ死んでなかったという想定です。
わたしは「金蔵生存説」は、「もう一回のどんでん返し」候補として、ちょっと本気で考慮してもいいと思ってるのです。
さて。以上はじつは前置き。ここからが言いたいこと。
貴賓室にフランス人形が置いてあるそうです。
このフランス人形が、もし「球体関節」を持ってたら、ちょっとおもしろいことになるなあと思うのです。
(フランス人形が球体関節を持つことはありえないのかな? その場合は人形全般のことを朱志香がよく知らなかったことにしますね)
フランス人形は、ベアトリーチェそのもののように扱われていたわけですね。
フランス人形は、ベアトリーチェさまである。
ベアトリーチェさまを粗末にあつかうと、罰があたって不幸になる。
だから、ベアトリーチェさまのお人形に、お菓子をおそなえして、熱心に拝みなさい。
そうすると、ベアトリーチェさまは平伏した者には優しいから、被害を与えないでくれるのである。
さて、そんな貴賓室に、「黄金を見つけてベアトリーチェになった朱志香」が現われた、と考えて下さい。
あ、べつに「黄金を見つけてベアトリーチェになったヤス」でも良いです。ようするにベアトリーチェの中の人、ほんもののベアトリーチェがそのフランス人形を見たと思って下さいな。
このフランス人形は、ベアトリーチェさまだと考えられているらしい。
いや、私がベアトリーチェだ。
私がベアトリーチェなのだから、この人形はベアトリーチェではない。
じゃあ、この人形は何だ?
「熱心に拝むと魔女の被害を受けなくなる」という機能を持つフランス人形が、ベアトリーチェでないとしたら、この人形の正体はいったい何になるんだ?
そこで「世界が変更」されたんじゃないかと思うのです。
昨日まで「拝めば慈悲心を起こしてくれるベアトリーチェさま」だった人形。
それが今日からは、
「ベアトリーチェを撃退してくれる守り神」
なのである、という整合がとられたんじゃないか。
守り神は、ベアトリーチェを追っ払ってくれるので、魔女の被害を受けなくなる。
祇園さんとして知られる牛頭天王という神様は、もとは「疫病をもたらす神様」だったそうです。だから人々は熱心にお参りして、「うちには疫病を運ばないで下さい」とお願いしていた。
ところが、何かの拍子に、解釈が変わってしまった。
「祇園さんを拝んだら、病気にかからない」
というところだけが伝わっていった結果、牛頭天王は、
「疫病を打ち払ってくれる荒ぶる神様」
というふうに属性が変化してしまったそうです。聞いた話なんですが、そういうことがあるそうです。
そんなふうに、お人形は、「魔女狩りの神」という属性で解釈されるようになる。ベアトリーチェの中の人は、そういう設定で整合をとる。
たとえば……。
十個の戒律を必殺技として持ち……
魔女幻想を赤と青の剣で打ち破る……
天界の裁判官。
ドラノールは、Ep5では「大理石で出来た球体関節人形」のようだと描写されたり、Ep6ではヱリカに「お黙りなさい殺人球体関節人形」となじられたりしています。
つまり、ドラノールや、その他の天界キャラクターは、すべて「ベアトリーチェの中の人」が創造した幻想キャラクターだったんじゃないかと思っているのです。
ヤスは、もしくは朱志香は、ようするにベアトリーチェの中の人は、このドラノールという新キャラクターを得て、
「天界大法院ミステリー」
というフィクションの推理シリーズを構想したんじゃないかな。
彼女の中には、最初から、
「密室の魔女ベアトリーチェ」シリーズ
という構想があって、ベアトリーチェが密室を作って人々を翻弄するミステリーシリーズを考えていた。
それと同じ世界観を使って、立場を逆転させ、魔女を追いかけて捕まえるシリーズも展開できるじゃないかと気づいた。
魔女シリーズは、魔女ベアトリーチェが鮮やかに犯罪を犯すシリーズ。
天界シリーズは、裁判官ドラノールが魔女を逮捕するシリーズ。
怪盗キッドの『まじっく快斗』と、江戸川コナンの『名探偵コナン』の関係みたいな。
●ウィルの中身
ミスター・ヴァンダイン。ウィル君の中身は、じゃあいったい何なんだという話になりますね。
これ、戦人でいいと思います。ベアトリーチェの中の人が、戦人を「モデルにして」、ウィラード・H・ライトというキャラクターを創造した。
そして、ホワイダニットを重要視する“かっこいい”ヒーロー探偵として、「天界大法院シリーズ」の中に配置した。
大好きだからヒーロー役にするわけです。
ホワイダニットに異常にこだわる性格。髪の毛の赤メッシュ。すぐにお腹をこわすかんしゃく持ちの小さな生き物との生活。
「ベルンカステルのミステリーが気に入らないから、そいつをファンタジーにしてやる!」
というのと、
「古戸ヱリカの推理が気に入らないから、そいつを不成立にしてやる!」
というのは、まったくおんなじ構図です。
「共通点があるから、ウィルと戦人は同一人物なんじゃないか」みたいなことを想定するよりは、いったんフィクションの世界を設定して、
「戦人をモデルにしたキャラクターを幻視して、配置した」
というほうが、通りがいい気がするのですね。
●「No Dine,No Knox,No Fair」
ドラノールが「ベアトリーチェの創造物だ」というのには、ちょっとした傍証があります。
Ep5で、「ベアトが許可した者しか入れない薔薇庭園」に、ドラノールがやって来て、ワルギリアや戦人とお茶会をするのです。
ワルギリアと旧知の仲だという設定も明かされました。
そして、「心を閉ざしたベアトがあえてドラノールをここに呼び寄せたのだ」「それは戦人とドラノールを会わせるためだ」ということが語られます。
これは「ドラノールは私が作ったキャラだから、悪いことはしない」「私がドラノールに付与したものの考え方や情報は、戦人の役に立つはずだ」という取り方をすると、なんとも整合感があるのです。
そこで。「No Dine,No Knox,No Fair」という、OPムービーの宣言文の話になるのです。あれにはベアトリーチェの署名が入っていた。
「私の作った世界観の中には、ノックスやヴァンダインというキャラクターも存在していて、彼らなりの論理や特殊能力を持っている。けれども、今回の事件には、ノックスやヴァンダインは登場しない。登場しない範囲のルールで事件を起こすものである。すなわち、十戒や二十則から逸脱するような条件もゲームに含まれることを宣言する」
という意味に読めるような気がする。
ところがベアトリーチェがゲームマスターをやめたとたんに、ノックスが出てきて、ヴァンダインまで出てくる。
これは、ベルンカステルかラムダデルタが後付けで連れてきた。
ベアトの作った設定を隅々まで調べたベルンかラムダが、
「ベアトったら、こんなにおもしろいギミックも用意してあるんじゃない。どうして使わないの? え? 今回のトリックと矛盾するの? いいじゃない、面白いから出しちゃいましょうよ。戦人が混乱する顔が見たいわ」
とかいって、無理矢理つっこんだ。わたしは「このゲームはノックスには準じていない」という説をずっと採っています。
●何度めかの「赤字」
わたしは、Ep1~4の犯人を朱志香だと考えています。
朱志香がEp1~4の犯人であるためには、いくつかの赤字を盛大にキャンセルしなければなりません。
ですから、「右代宮朱志香は殺人を犯していない」という赤字をキャンセルして、右代宮朱志香が犯人であることにしています。
わたしは、「赤字は真実でないことも言える」という説を提唱しています。
人を騙すというのは、つきつめれば、
「真実でないことを真実だと思いこませる」
ことなんだ。
「この条件下で、どう考えたら、正解にたどり着けるだろうか」という思考法を、わたしはとりません。
「この条件下で、もっとも効率的に、大量の人間を騙す方法は何か」
という考え方です。
「ありもしないルールを、あると思いこませる」
たったこれだけで、ほとんどの人間を真相から遠ざけることができる。
このギミックに騙されなかった人のために、セカンドトリック、サードトリックを撒いていけばいいのです。そうして最終的には、ゼロにしぼりこむ。
みんな「未知の薬物を出してはならない」とか「犯罪組織が犯人であってはならない」とかいった、ありもしないルールをあると思いこんでひぐらしを読んでいましたからね。これが効くのは保証付きです。
そんなルールないんです。みんなが「そういうルールがあるものだ」と思いこんだだけです。「エスカレーターに立つときは右(左)側をあけなければならない」というのはちょっとそれに近いかも。「みんなたいていそうしている」という現象の観測が、「そうでなければならない」にすりかわったのです。夢枕貘さんの安倍晴明なら、「ミステリーのお約束という呪にかかっている」とでも言いそうなところ。
かくいうわたしも、「そういうルールがあると思いこんで」ひぐらしを読んで、盛大に騙され、呪がとけました。中禅寺先生に憑き物を落として貰った気分だ。
少なく見積もっても万単位のユーザーを、4年間にわたって、手掛りを出し続けながら騙し続けなければならないのです。しかも半年ごとに、平均3個の不可能殺人を提出しつづけるという難題。
そんな無茶な条件が与えられたら、騙す側は全力でなければならない。もっとも高効率な手が選ばれねばならない。
「赤字を真実だと思いこませ、しかし真実ではない」
わたしが出題者の立場だったら、これを思いついた瞬間、絶対に採用します。
わたしがこの「合理性」を語ると、それはもう、みなさんモニターの前で嫌な顔をされる。
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
解明はできるように出来ているはずだから、基準はあるはずであり、その基準となる赤字は本当であるはずだ。
まあそういったことを百万回くらい言われております。(いや、百万回は大げさすぎですね。「千年の魔女」というのも言い過ぎだ)
百万回くらいいろんな答え方をしましたが、新しい答え方を開発しましたので、披露します。
このシリーズの最初の話題に戻ります。『うみねこ』はミステリーなのかファンタジーなのかアンチファンタジーなのかアンチミステリーなのか。
●残されたキーワード
この物語は、魔女が現われて、密室殺人を「魔女のしわざだ」と言い張るところから始まりました。
魔女犯人説という「ファンタジー」から始まった。
それに対して戦人が、そんなわけはない、人間が物理法則の範囲で犯行したはずだと主張して、対立のゲームになりました。
戦人は、人間の犯行で物理法則内であれば、どんなナンセンスな主張でもするというアプローチをとりました。これは作中で「アンチファンタジー」の態度だと説明されました。
ファンタジー対アンチファンタジー。
さらにそれに対して、ベルンカステル(古戸ヱリカ)がとったアプローチが「ミステリー」。
ミステリーにはさまざまなルールが所与のものとしてあるのであって、すべてはそのルール内で行なわれているはずだ、と、彼女は決め打ちします。
これはファンタジーに対抗する立場なので、アンチファンタジーに近いですが、より狭く限定するアプローチです。アンチファンタジーが許容していたナンセンス主張も否定します。
この、ベルンたちの「ミステリー」が、戦人は非常に気に入らなかった。戦人は彼女たちのミステリーを撃退したいと願望しました。
そこで彼が取った方法は、
「魔術師になって、超自然の方法で手に入れた手掛りを使って、ミステリー説を否定する」
というものだったのです。
つまり、アンチファンタジーだった戦人は、ミステリーを撃退するために、自らファンタジーになったのです。
ファンタジー対ミステリー。
そして今回のEp7。
ミステリープロパー、ベルンカステルが、再び謎を仕掛けます。すべてが「ミステリー」でした。
それが気に入らないミステリー探偵のウィルは、ベルンカステルを撃退しようと試みました。
ミステリー対ミステリー。
最後にひとつ、キーワードがまだ使われていないのです。
ミステリー探偵のウィラードには、ベルンカステルを倒せなかったのです。
「そんな手掛りはない以上、その結論をとることを禁ず!」
といった、いかにもミステリー的な戦い方では、彼女には勝てないらしい。
ベルンカステルのミステリーを撃退するもの。
それはきっと、
「アンチミステリー」。
●そしてアンチミステリーの世界へ
赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。
という疑念への答え。
そうです。
それで良い。
それではミステリーにならない。
なりません。
それで良い。
解けないじゃん。
なぜいけない?
つまり、ミステリー的な構えで物語が始まっていながら、
ひとつの真相が最終的に解明されることなく、
さまざまな考え方ができるという状態のままで放り出され、
想像力にたよるほかなく、
真実はただ、無限の可能性のなかに拡散しつづけていく、
たとえるならそう、『ドグラ・マグラ』みたいな作品になる。
そういうのを、「アンチミステリー」というのです。
「赤字の真実性を疑う」
というアプローチを取った瞬間、
この物語は、急激に、「アンチミステリー」的な様相を呈してくるのです。
*
この物語が、ミステリーであってほしいなら、ヤスが犯人で良い。
この物語が、ファンタジーであってほしいなら、魔女が犯人で良い。
この物語が、アンチミステリーであってほしいなら、物語をミステリーたらしめているものを拒否しなければならない。
この物語が、アンチファンタジーであってほしいなら、人間の誰かを犯人として提示しなければならない。
だからわたしの推理は、「そういう前提」をとり、「そういう結論」になっていってるらしいのです。
*
小冊子をみると、竜騎士07さんは、アンチミステリーという言葉を、
「ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、自らの存在を否定するに至ったこと」
というふうに説明しています。これが「竜騎士用語」としての「アンチミステリー」なのですね。
「ミステリーがミステリー自身を否定する……」
赤字というのは幻想混じりの物語の中で、ミステリーを成立させるギミックなわけですね。
それを作中で自ら否定していく。
自己内のミステリー性を自ら瓦解させてしまうことになる。
そういうのを何と呼ぶのか。
赤字を疑ったら、ミステリーになりません。ミステリーの否定です。
ミステリーが依って立っている「手掛り」それを全部、疑わしいものに変えてしまうのだからです。
つまりそれは、ベルンカステルの足場をぜんぶ奪ってしまうことができるということ。
赤字という、ミステリーが依って立つ根拠を奪う。
ミステリーが自らのミステリー性を否定する、アンチミステリーなら、ベルンカステルの提示する「ミステリー的な真実」をまるごとリジェクトすることができそうなんです。
「これは全て真実」なんていう赤字も、リジェクトだ。だって赤字だから。
赤字がないのなら、無限の可能性がある。
誰だってベアトリーチェになりうる。誰だって殺人犯になりうる。
霧江犯人説なんて、無限のなかのひとつにすぎないのだ。
すべては猫箱の無限可能性のなかに。
赤字が真実でなかったら。
あらゆる可能性をその手に取ることができる。
閉ざされて決して開かない猫箱のように。
わたしはこのシリーズを通して、ベルンカステルがほのめかす真相とは異なる、「もうひとつの真相」を、なんとか提示できているんじゃないかと思うのです。
この「別の真相」は、赤字を疑わない限り生まれてこないんです。
ファンタジーと戦っていた戦人は、自ら「ファンタジー」になることによって、ミステリーを撃退したのでした。
わたしたちのほとんどは、基本的にミステリー寄りの人間です。ミステリーではベルンを倒せない。
牽強付会な言い方かもしれないのですが、
赤字を疑い、自ら「アンチミステリー」になることによってのみ、ベルンカステルの真実を撃退できる――彼女の真実を「さいごから2番目の真実」に、「並列に存在する無限の真実のたったひとつ」に変えることができる。
可能性が無限なら、真実をひとつに特定できません。
けれども、たとえばわたしは、その条件でも犯人をひとりにしぼりこんでいます。
アンチミステリー作品で、真相にたどり着けるかどうかは、出題者のさじ加減で決まるのではなく。
読む人の想像力しだいで決まる。
「このゲームに、ハッピーエンドは与えない」
ベルンカステルはそう宣言しました。
真実が、ベルンカステルの持っているひとつしかないのなら、そうなるでしょう。
真実が、無限の可能性の中に拡散していくものならば。
「辛い話でも、悲しい話でもない」ものを、無限の中から好きなだけ取り出すことができるでしょう。
ひとつの真実が欲しいのか。
無限の真実の中から、好きなものを取る自由が欲しいのか。
真実は、ひとつなのか。
真実は、無限にあるのか。
お好きなほうを取れば良いと思います。どっちも猫箱に入っています。
「真実は、いつも一つ!」という小さな名探偵的立場をとっていると、確かにベルンの出した解答で満足するほかはないわけですよね。「これが真実」と宣言されてしまったのだから。
こんな解答で満足できるか、と思ってしまった時点で、読者がミステリーに背を向けざるをえなくする、うまい誘導だと思います。
説得力があり面白い嘘がつける人は、本当のことを織り交ぜながら嘘をつくそうです。同様にこの物語を読み解くには、赤字だけでなく、地の文からも真実をくみ取る必要があるのでしょう。それこそ愛をもって。
そういう意味で、赤字に殊更とらわれない真実の紡ぎ方を提唱するTownmemoryさんの説はやっぱり面白いです。
ところで今回ドラちゃんについても少し触れていらっしゃいましたが、「散」に移行してからの、ベアト亡き上位世界をどう捉えたものとお考えか、うかがえればと思います。
ベアトがいなくなってからの上位世界ですが、ベアトが作ったキャラを誰か他の人が認知していれば、問題なく動かせると思います。多くの人が、ドラノールやウィルの登場する二次創作小説を書いている。オリジネーターのベアトや竜騎士さんがいないところで、平然と彼らが活動している……。そういう状況を想定すれば良いんじゃないかなと考えています。
「Townmemoryさんはやっぱりすごいです」。
自分の考えたこと、やりたかったこと、想定したことなどを、自分より先に力強い主張で行っている人がいるのが、こんなに心強いというのを初めて知りました。
もちろん細部は色々と違いますし、部分的には賛同できない説もあります。けれども大枠においては、ずっと言いたかったことを全部先に言われてしまった感じです。
ちくしょう、嬉しいけどちょっとだけ悔しいなぁ……。
ベアトリーチェは、どこまで降りていけるかかなり思い切った方法をとった魔女だという事も言われていたし、もしこの推理で合っていても納得の大胆さです。
結局自分で考えなきゃ(自分で選択しなきゃ)結末にたどり着けない新しい物語なのかもしれないですね。
「フランス人形」をドラノールの創造や、2つのミステリーシリーズの創作に結び付ける推理など、私には考えもつかなかったです。
ただ、前作における「秘密組織・謎のお薬」ネタは、それらの存在の否定を「勝手に」前提にしてしまっている事を上手く突いたものである事に関しては同意致します。
ですが、あれが批判されているのは、結局それを用いた展開が、あまりにも陳腐に見えたという人も多いからでもあると思います。
「うみねこ」は、さすがにそういう展開はもうやっていないようですが、「火刑法廷」のように読者に想像の余地を残すような、明確な一つの回答ナシ、という所に落ち着きそうなのでしょうか。
「火刑法廷」は大好きなんですが、、、、
赤字よりも守ってあげたい白字はいっぱい抱えていますね
端的に言うと、特にここが好きという部分で
多分に私にとっての真実の入口です
これはすべて真実、ベルンカステルの口から言わせてるあたりはまず
「おまえが言うな」
の突っ込み待ちですよね、色々な意味で
相変わらず見事というしかありません。
紗音すら幻想キャラで、肉体をもつニンゲンとしてのベアトリーチェがいたのだと、竜騎士07先生につい屈服してしまった私には目からうろこが出ました。
八城十夜の「私に見える真実とあなたが見ている真実を重ね合わせなさい」という科白やEP4のTipsで戦人をexcuteした時の「魔女に抱かれて地獄行き。けれど、その地獄は魔女にとっての黄金郷」という一文とうまく結び付きますね。
すべての真実は幻想の中に拡散し、無限の幻想こそが真実となる。
非常に美しい結末だと思います。
私にとってのhappy endは戦人とベアトが幸せになることなので、そんな物語を猫箱から紡ぎたいと思います。
とっくりさんへ
私は、ガートルードとコーネリアの結界の描写とEP4でのサソリのお守りの結界の描写の相似性から、2人はサソリのお守りから顕現したマリアの幻想キャラではないかと思ってました。
ただ、魔女マリア卿の創造キャラであるのに、なぜ魔女を否定する側の位置づけなのか。魔除けの力を持つお守りが依り代だからというだけなのか。上手く説明がつけられずにいたのですが、今回のTownmemory様の考察と絡めると彼女らがドラノールの部下であり、魔女ベアトリーチェの敵なのかうまく整合がとれましたので、書き込ませていただきます。
ベアトがマリアのキャラを借りるのは魔女シリーズではおなじみですから、天界シリーズでも同様に借りたのでしょうね。
効率的に騙すために?「楽しませる」ではなく「騙す」を優先するかどうかという疑問は当然ありますが、騙すためにだとしても、わざわざ「真実のみを語る赤字」を持ち出してそれに注目させずに、地の文で嘘をついた方がより多くの人が騙されるのではないでしょうか。
うみねこは1つの独立したエンターテイメント作品であると同時に、ひぐらしで叩かれたことへの竜騎士さんのリベンジであると私は思っています。
もしそうであるなら、そこで「薬物は検出されなかった→検出されない未知の薬物」と同じような「赤字は真実→そんなの嘘」を使って、リベンジとなりますかね?「また同じ手に引っ掛かりやがった」と高笑いすることが竜騎士さんの望みなのでしょうか。
もちろん、完全にミステリーの流儀に則って普通のミステリー作品を書くことがリベンジになるわけでもないので、私としては流儀を踏まえた上でそれをひっくり返してくれるだろうと予想しているのですが。
私はうみねこが好きですし、竜騎士さんも好きです。ただあえて1つだけ苦言を呈すなら、所々に散見するミステリーに対しての鬱屈とした反発。ひぐらしで叩かれすぎた反動なのか、どうも言い訳じみて聞こえてしまうんですよね。ヒネているというか、自説や偏見に固執してありのままを受け入れようとしていないというか。
そして失礼ですが、このブログやTownmemoryさんにも同様のことを感じてしまうのです。朱志香犯人説を個人的に提唱されるのは結構ですし、今回の「EP1~4とEP7では犯人が違う。19年前の赤ん坊が男の場合と女の場合」という発想には素直に感嘆しました。
(まぁただ、発想としては面白いと思いますが、後1EPを残したこのタイミングでそれをするのは、「読者を騙す」ことにあまりに重点を置きすぎていて、「竜騎士さん、そこまでなりふり構わず騙したいのかな?楽しませたいんじゃないの?」と私には思えてしまいますが。「赤字は嘘」は私には考えられないのもほぼ同様の理由です)
けれど、それがこと「赤字は嘘」の話題になると、途端に言い訳がましいというか、他者を納得させるためではなく、関係のない話を引き合いに出したり、聞こえのいい言葉を並べてみたり、自分の正当性を偏屈に述べているだけに聞こえてしまいます。
猫箱の中に多くの真実が同時に存在していることと、猫箱に書かれた設定を無視していいということは別物だと思います。「赤字は真実のみを語る」とあるのであれば、私はそうなんだと思います。ファンタジーだろうがアンチミステリーだろうが関係ありません。どっちを信じるとかどちらも正しいとかそういう次元の話じゃないです。
(メタ的な話で申し訳ないですが、赤字は嘘ならば、これまでやってきた赤字バトルやそれに伴うドラマ性が全て空虚になってしまい、勿体無いですしね)
他の方から散々言われていてもう聞き飽きたとは思いますが、Townmemoryさんの「赤字は真実ではないことも言える」がなぜ叩かれるかというと、そこに根拠がないからなんですよ。
自分は朱志香が犯人だと思う。犯人だといいな→そのためにはこの赤字が邪魔→じゃあ赤字は信じない。嘘。
これでは真実を自説に捻じ曲げていると言われても仕方ないです。作品の設定を蔑ろにして行うのであれば、それは推理や想像、二次創作でなく、妄想やエロ同人誌の類だと思います。
以前ほんの少し書かれていた「赤字は嘘もつける。でもそれは嘘をつくだけの意味(条件?)があるからだ」というアプローチはもうされていらっしゃらないのでしょうか?非常に残念です。