「人生山坂転んで起きて」
*以前にもご紹介した内容です。
「還暦(六十才) まだまだ三役 突き落とし」
長寿祝いは賀寿とも言い、中国の風習を取り入れて、日本では奈良時代から始まった日本特有の風習だったようです。
長寿のお祝いは還暦から始まり、本来は数え年の誕生日に祝うものでしたが、最近は満年齢で祝う人が多くなっています。長寿を祝う節目の年齢にはそれぞれ名前が付けられていて由来があります。
現代の満60歳は、働き盛りで高齢者でもありません。あまり年寄り扱いせず、感謝の気持ちといつまでも長生きしてほしいことを願ってのお祝いと思えばよいのでしょう。
ちなみに、60年で十巻十二支(じっかんじゅうにし)が一巡して〝もとの暦に還る〟誕生年に60を加えた年、つまり数えで61歳。赤いちゃんちゃんこは赤子に戻り、もう一度生まれ変わって出直すという意味。長寿祝いの色は赤・朱。
還暦以降はこんなにお祝い事が待っています。
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前期高齢者(65歳~74歳) 高齢者とは何歳からを指すのかは、法律や制度によって定義が異なるのが現状です。
世界保健機関(WHO)の定義では、65歳以上が高齢者とされています。1956年の国連の報告書において、65歳以上の人口の比率を「高齢化率」と記載されたことから一般化されたとしています。
例えば、道路交通法では70歳以上が高齢者と定義されていますが、「高齢者の居住の安定確保に関する法律」では、60歳以上が高齢者と定められています。
あの枯れ葉(初心者若葉マークは義務)は努力義務なのです。付けた方が安全かも?
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「古稀(七十才) そんな誘いにや 耳かさぬ」
もともとは「古稀」と書き、奈良時代は初老といわれた40歳の祝いに始まる10年ごとの年寿祝いが行われていたとしています。
その理由は、古稀が中国唐代の詩人、杜甫(とほ)が詠んだ『曲江詩(きょっこう)』の中にある「酒債尋常行処有 人生七十古来稀」の一節に強い影響を受けているからだといわれています。
その意味は「酒代のつけなら私が行くところ至るところにある。しかし人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なことだ」というものからのようです。当時は「人生50年」という感覚にぴったりだったのでしょう。色は濃紫または紺。
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後期高齢者(75歳) 誰が付けたのか実に不快な言葉です。もっと違う言葉があったのでは?苦労が足りない若いお役人が付けたんじゃないのと思ってしまいます。健康保険は2割負担になりますが、そのうち3割負担になるのでしょう。
しかし、後期高齢者になると後期だなぁ~と実感している毎日です。
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「喜寿(七十七才) この山越えれば 花畑」
喜寿(きじゅ):77歳(満76歳)ですが、私もあと数か月で花畑になるよう。しかし 花畑のような生活(暮らし)は実感として無理かと思います。
喜の草書を楷書にすると「㐂」と書き、字を分解すると「十七」の上に「七」が付いたような文字となることに由来で、長寿祝いの色は紫。
厚生労働省によると、平均寿命(2024年)が男性81.09年、女性87.14年に! 3年ぶりに延びる と発表していました。
問題は平均寿命でなく、【健康寿命】だと思います。誰の世話にもならいで過ごせること。2024年12月24 日では、女性が75.45歳と、前回2019年と比べて0.07歳延びた一方で、 ▽ ; 男性は72.57歳と前回より0.11歳短くなり、全体的には前回からほぼ変化はありませんでした。
男性の健康寿命は72.47歳ですので、すでに過ぎましたので少し儲けた感があります。
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「傘寿(八十才) まだまだこれでも 役に立つ」
「80」の漢数字「八十」を縦書きにすると、「傘」の略字「仐」に見えることが名の由来とされています。また「傘」の字形は末広がりで縁起がよいのも、この漢字が使われる理由のひとつだとしています。
「寿」は「長寿・長命」を表すので、「傘寿」=「80歳の長寿」という意味で、別名は「八十寿(やそじゅ)」と言います。
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「米寿(八十八才) もう少し楽しみ 米と酒」
気持は理解できます。もう少し楽しみ 米と「酒」ですね。米寿(べいじゅ):88歳(満87歳)米の字を分解すると八十八となることに由来で、長寿祝いの色は金茶。
この時代(戦争は経験していますが、コロナウィルス・運動不足・便利過ぎる生活など無い)ですから、今後は平均寿命も段々短くなるような気もいたします。
また、地球変動(地球が壊れ始めました)で、夏のあの暑さが証明しています。寿命が縮まる思いとはこのことなのでしょう。
個人的には健康で人の世話にならずに過ごせれば最高の人生だと思います。色は傘寿と米寿は濃黄色(山吹色から黄金色)です。
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「卒寿(九十才) 人生大学 卒業なしさ」
90歳のお祝いが卒寿と呼ばれる理由は、「卒」という漢字が由来とのことです。卒の旧字である「卆(そつ)」が「九十」と分解できるため、これにちなんで卒寿と呼ばれるようになりました。
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「白寿(九十九才) この世は三色(みいろ) 黒白グレイ(私は禿げるタイプ)」
私は今でも薄くなってきましたので、この年齢では髪の毛が無いかと思います。もう一色の光る金色(肌色)を追加してほしいですね。
昔は、99歳まで長生きすることが珍しかったため、お祝いされることはほとんどありませんでしたが、平均寿命が伸びた現代の社会では、白寿のお祝いの機会も増えました。
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「百寿(百歳) 100年暮らすにゃ穏やかが一番 ここまで来ればみな下界」
100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。
ちなみに、母は享年(数え)102歳で、行年(満)100歳と6カ月でした。
この100歳の祝いに際して、総理大臣・東京都知事・市長からも祝賀状と記念品をいただいています。こうなると毎年、長寿のお祝いをしているようになりますが、認知症など進行し自分の年齢も分からなくなるのでしょう。(母がそうでした・・・)
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「茶寿(百八才) 茶柱立ったよ まだまだ元気」
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「皇寿(百十一才) ここらでゆずろう 長寿日本一」
私の独り言でした。何かのご参考に・・・。
*画像は時期外れですが、庭の草花をパチリしました。
yuki76
本当に解りやすく説明有難うございます。
高貴幸齢者ですよ。なんなら幸貴幸齢者でもいいかな。
歳はただの数字とわかっていてももう歳だから
こんな派手な服は、
こんな頭(髪の色)にするのは、真っ赤なマニキュアは?
と思ってしまいますね。
昔70代の人はもっとおじいさんお婆さんでした。
自分があのころのお婆さんと同じ歳とは信じられませんが。
元気に毎日過ごせたら良しとしましょう。
少し賢くなった気がしますが
すぐ忘れますね(笑)
すみません。
風の冷たい大阪です。
暖かくしてお過ごし下さいね。
昔は短命だったので、現在のことは想像も出来なかったのでしょう。
「白寿(九十九才) この世は三色(みいろ) 黒白グレイ」ですが、sr100さんのことを考えると、金髪もあるし、茶髪もあるのでしょう。
時代が変れは、言葉も変わります。
今のℤ世代が我々の年齢になったら、なんて言うのでしょうかね?あの頃の爺さんや婆さんは派手だった?と言われるかも知れません。