彼女を初めて観たのは、高校生のときだった。
芝居を観始めて間もなくて、小さなアトリエの雰囲気に不慣れな私に、彼女はとても魅力的に写った。
大学で演劇部に入り、あおきりみかんを始めてからも、あちこちの舞台に彼女は立っていて、その何本かを観ることができた。彼女はいつ観ても、素敵だった。
美しい、ということもあったけど、いつもどこかどっしりした感じがとても好きだった。
なんとなく顔見知りになって、挨拶することもあったけど、もっとお近づきになりたかった。
いつか一緒の舞台に立ってみたかった。
なんていうか、つまり彼女はずっと憧れのひとだったのである。
彼女が逝ってしまって、彼女を思う人が集まって、そんな芝居を観にいく私のような人間もいて。
それはある意味で幸せな空間で、ある意味で困難な時間だった。
ほとんど舞台の上の彼女しか知らない私でも、想像だけで気配を感じるぐらいだから、それはもう作り手にも観客にもそれぞれの思い入れが渦巻いているんだろうと思うと、背筋が伸びる。
ぼんやりとした気持ちで、帰路に着いた。
お疲れ様でした。
芝居を観始めて間もなくて、小さなアトリエの雰囲気に不慣れな私に、彼女はとても魅力的に写った。
大学で演劇部に入り、あおきりみかんを始めてからも、あちこちの舞台に彼女は立っていて、その何本かを観ることができた。彼女はいつ観ても、素敵だった。
美しい、ということもあったけど、いつもどこかどっしりした感じがとても好きだった。
なんとなく顔見知りになって、挨拶することもあったけど、もっとお近づきになりたかった。
いつか一緒の舞台に立ってみたかった。
なんていうか、つまり彼女はずっと憧れのひとだったのである。
彼女が逝ってしまって、彼女を思う人が集まって、そんな芝居を観にいく私のような人間もいて。
それはある意味で幸せな空間で、ある意味で困難な時間だった。
ほとんど舞台の上の彼女しか知らない私でも、想像だけで気配を感じるぐらいだから、それはもう作り手にも観客にもそれぞれの思い入れが渦巻いているんだろうと思うと、背筋が伸びる。
ぼんやりとした気持ちで、帰路に着いた。
お疲れ様でした。