前回のあまりの高速展開っぷりに、「次回まで読まないとどう評価すべきなのか分からない」と書いたのだが、今回も同じように高速展開ペースであった。
一応、今回の展開についてはそれなりに以前からの前振りがされているため、スピーディーに展開を進めたと肯定的に見ることもできる。
ただそう考えるにしても、展開を詰め込みすぎていると個人的には感じた。
話はナックルシティの状況から。
いきなりキョダイマックスを駆使して状況を収めるダンデとキバナ。
流石は実力者といったところだが、ムゲンダイナの存在が明らかになり事態が悪化していることが分かる。
その流れ自体はスムーズだ。しかしこれは演出面での問題ではあるが、そこまで大きな見せ場というわけでもないシーンに大ゴマを使ってしまうのはどうなのだろうか。
都合1頁丸々大ゴマで消えており、今回の展開に影響した面は否定できない。
この大ゴマ多用問題については最後にまとめて述べることとする。
一方の図鑑所有者一行はナックルシティに向かうが、キョダイカビゴンのせいで道路を進めない事態に。しかし線路を走行するという妙手で解決する。
正直、この下り要る?というぐらい本筋に関わりが無さすぎる…。
今回は展開が多数あるのに、この下りだけ展開への前振りになってないから、どうにもノイズという感覚が出てしまう。
無論、もしかしたらこの下りが後の話において重要な役割を果たす可能性もなくはないから、全部要らないと言い切るべきではないのだが、個人的にはカットして前の展開への反応や受け止めをいれるなりして、もう少し話の速度を緩めて欲しかった。
本筋に必要ない展開は全て要らないとまでは思わないのだが、ただでさえ展開が押し寄せてもつれ駆け足状態なところに、余計なものを入れない方がスッキリするのではないか?
そんな中、シーソーコンビはテレビ局を巻き込んだムゲンダイナ撃退ショーを展開すると言い出す。
ここは原作要素の上手い改編といえよう。
これを受けてジムリーダー達は議論を交わし、シーソーコンビは英雄の末裔として扱われる舞台を必要としたと推論する。
さらに、「なぜ今なのか」という時期の問題と、ローズ側の動機が話題になる。
「いくら困った人を放っておけない性分とはいえ、大多数の人に被害を与えてまでやることなのか」という振りがなされたことからすると、ローズ自身の内面に迫るのかもしれない。
そんなこんなでナックルシティに到着したが、一部を除きジムリーダー達は自分の街に戻るため離脱。
オニオンとサイトウがなぜ二人でジムリーダーをやっているのか、という謎はいつ明かされるのだろうか?
もしファイナルトーナメントまでやるなら、そこで明らかになるのかもしれないが…。
一方のそーちゃんは剣と盾の扱いに我慢ならないのか、大急ぎで飛び出してしまう。
彼の動揺が、ここからの展開でどう影響するのかは一つの見所かもしれない。
彼自身の内面は全くわからないのだが、武器への執着が一つの鍵になるはずだ。
しかし、ここ最近のマナブの影の薄さはなんなんだろうか…。
自分が以前書いた分析(ポケスペ剣盾編におけるマナブの立ち位置について - 曹達記)において、マナブは狂言回しとして動くキャラだとしたのだが、図鑑所有者たちのドラマが進展してないにも関わらずマナブの存在は薄れている。
分析が間違っていたのはあるかもしれないが、展開の詰め込みによって描けていないという面も大きいだろう。
一行はダンデ達と合流し、エネルギープラントに突入しようとする。
プラントが開いてないことについてビートから抗議を受けたオリーヴは「早く着きすぎ」と言っているのだが、やはりゲームと違って取り乱す様子はない。
なぜ取り乱さないのかとなると、シーソーコンビがムゲンダイナを抑える見込みが立っているからだろうか?
ただ、ゲームでの結果を知っている視点を抜きにしても、朽ちた剣と盾にそこまでの威光があるようには見えない。
シーソーコンビにローズとオリーヴの信用を得る材料が、他に何かあったのだろうか?
ラストはローズと対面して〆。
最後のコマでは驚きと戸惑いを隠せない面子の中で、ネズとキバナだけがさほど驚いていない表情をしている。
他地方の悪の存在を知る二人であれば、ローズがこのような異常事態を引き起こしたことに対して驚きが少ないのかもしれない。
さて、今回はダイマックスの漫画における弊害が改めて浮き彫りになった回とも言える。
ダイマックスは「ポケモンが巨大化する」というシンプルな仕組みだが、サイズが大きくなることを表現しなければならない。
これはゲームやアニメといった映像なら、カメラを引いて手前に対比を置くだけで巨大感は最低限出せる。
しかし、漫画ではそうはいかない。頁の1/6程度のコマでそれを表現しようとすると、コマがとても窮屈になるか、見下ろし視点に縛られるかのどちらかになる。
そこでポケスペでは、基本的にダイマックスを表現するために頁の半分以上を占める大ゴマを多用することになった。
ところが、漫画における大ゴマは「頁に割ける他のコマを減らす」「視覚的な強調性がかなり強い」という映像にはない効果があり、多用すると「話の展開を丁寧にできない」「強調したい見せ場が散漫になる」というデメリットがある。
例えるなら、特撮ヒーロー番組で変身する度に必ず30秒程度の変身バンクと名乗りを入れなくてはならないようなものだ。
変身するのが一話に一度なら問題ないかもしれないが、そんな作りでは話に変化をつけられない。必要によっては2回以上変身したい場合もある。
それでも必ず先述した縛りをやらねばならないなら、ドラマに割くべき尺が犠牲となり、演出的なメリハリが減ってしまうことになる。
今回の話で言えば、最初のキョダイマックス2連発である。
話の展開からして「キバナとダンデが事態を収拾した」ことは肝ではなく、さらっと流しても問題がない所だ。
にもかかわらず2頁ぶち抜きのコマで描かれており、目を引くようになっている。
連載漫画として最初に読者の目を引く構図を用意しておくのが大事なのは理解できるし、その方法としてこの構図を選んだのは納得できる。
しかし、そのせいで丁寧なバトル展開やドラマに割くコマが減っているのもまた事実だろう。
さらに、話の肝であるムゲンダイナ登場シーンは2頁見開きと大きな扱いを受けているにもかかわらず、直前のキョダイマックスの頁で印象が薄くなっている。
このように、この見開きだけで様々な問題が出てしまうのがダイマックスの漫画化であり、ポケスペ剣盾編の苦しさの一因だと自分は考える。
今更な話だが、ダイマックスを極力取り扱わない話作りにした方が、ポケスペらしさという点や漫画の作りという点で、より良いものになったのではないかとすら思える。
無論、ダイマックスは剣盾というゲームを構成する柱なので、簡単に無視することはできない。仮にそうなったとしても相当慎重な話作りが求められるだろう。
ただ、今回のような問題が多く出てくると、合わないものを無理に漫画として調理するのはかなり困難だったと改めて思わざるを得ない。
またどうも気になるのが、今後どのぐらい連載を続ける予定なのかということ。
LEGENDSの制作にリソースをかなり使ったゲームフリークが、2022年内に世代交代をするとは考えにくいため、2023年まで新世代は持ち越しとなるだろう。
となれば、剣盾編の連載期間も1年伸ばすことができ、もっと腰を落ち着けた展開ができるものだと11月までは考えていた。
ところが、12月・1月ではかなりの速度で展開が進んでいき、挙げ句単行本4巻の次巻予告には「クライマックスバトル」とまで銘打たれてしまった。
単行本5巻は2022年7月に出るのだろうが、まさかそこで終わりということは有り得ないと考えたい。
正直な話、色々ドラマ面で消化不良感が強いのに、途中で終わりとなったら辛いとかそういう次元ではない。
LEGENDS編をやるかやらないのかも含め、3月には今年の方向性が見えればいいのだが…。
※2/17追記
XY編先行版単行本4巻において、次巻予告に「クライマックス」と銘打ってはいる。
なので、これらの憂慮は杞憂に終わる可能性も十分にあると明記しておきたい。
記事をお読みいただきありがとうございました。
感想等ございましたらコメントいただけると幸いです。
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ローズの内面は見たいですね。ゲームではその辺あやふやだったので。
もしアニポケで明かされた動機と同じだったりしたらちょっと残念ですが、尺の問題もあるので覚悟はしてます。
ダイマックスを取り扱わない話作り、ですか。
そうなると、ダイマックスエネルギーをバトルではなく、別の何かに利用しているといった話作りになったかもしれませんね。
例えば、生命力の強いポケモンを宇宙に放り出したあと、千年分のダイマックスエネルギーを注ぎ込んで、恒久的に星サイズまで巨大化させる。その後は人類が宇宙を旅するための巨大宇宙船に改造するとか。
また巨大隕石が降ってきた時に備えて、ローズやポケモン協会がそういう実験を繰り返していたとか、そんな話作りにしても面白かったかも。
ポケモンを宇宙船に改造するなんて非人道的とも言えるので、そういう観点から主人公勢力と対立もできますし。
まあ今更言っても……って話ではありますが。
オニオンとサイトウが二人ジムリーダーなのって、謎という程の事でしょうか?
フウとランやデント達だって複数人ジムリーダーだったわけですし。
マナブが影薄いのは仕方ないですね。
本当ならもっと描きたかったとは思いますが、尺の問題もあって難しかったのでしょう。
ですが、それでもマナブの影が一気に濃くなるエピソードがこれから挟まれるんじゃないかと期待しています。
なにせ、マナブは正真正銘の弱者なので。
この剣盾編のテーマは、弱者の救済であるはずです。
強者が弱者を救済する。
それは、弱者であっても勇気をもてるように、強者がサポートしてあげるという事。
弱者であっても、弱者なりのやり方で不条理に立ち向かう。そんな存在へと成長させる。
それがテーマだと思っています。
マナブはその「救済される弱者」そのものといえます。
ならば、最後らへんで良い感じの活躍があるんじゃないかと思う次第です。
管理人さんは以前、「シルドミリアが救済される弱者となる」みたいな事を言っていましたが、彼女だけでは不適格のように思います。
これは、ポケモンバトルが強いか弱いかという話ではなく、単純に読者が感じる印象の問題です。
シルドミリアはゲームにおいて主人公でした。
シルドミリアは読者から見て「特別な人間」です。
そんな人が救われたとしても、「ゲームで主人公やってた特別な人間だから救済された」「自分たちのように特別でない人間が救われる事はない」という感想を抱いてしまう読者が出てくるんじゃないでしょうか。
読者とは、必ずしも「特別な人間」ばかりではない気がします。
どちらかというと、(世間一般が定義する)モブキャラの部類が圧倒的大多数でないかと思う次第です。
「特別な人間」ばかりが救われる。自分のようなモブキャラは救われない。
そんな事実を目の当たりにし続けていると、人間どうしたって猜疑心を抱いてしまいます。
猜疑心は嫉妬に膨れ上がり、悪意をもって誹謗中傷に発展する事もあり得ます。
作中でソニアをバッシングしていた層もそういう人達だったんじゃないでしょうかね。
(もっと言うなら、XY編でワイをいじめていたスカイトレーナー達もそういう人達だった)
なので、シルドミリアだけでは「救済される弱者」として不適格のように思いました。
そこでマナブの存在が生きてきます。
マナブはゲームにおいてモブキャラでした。
固有グラも無ければ、ストーリーと関わる事もない、読者から見て正真正銘の弱者です。
マチエールやグズマやプルメリは、読者から見れば「特別な人間」でしたが、マナブは断じて違います。モブキャラに他なりなません。
そんなモブキャラが救われる物語であれば、読者としても比較的納得のいくものになるんじゃないでしょうか。
それに、マナブだからこそできる活躍があるように思うんですよ。
ポケモンバトルではない、別の活躍です。
キャラの活躍をポケモンバトルに頼ってしまうと、いろいろと弊害が出てきます。
BW編のクライマックスでは、その弊害が出てきました。
山男のナツミ達がプラズマ団に挑んだアレの事です。
ナツミ達は「特別な人間」でもなんでもない、モブキャラでした。それが主人公という強者によって救われて、世の中の不条理に立ち向かう、勇気ある人間に進化した。そんなエピソードだったわけです。
ですがアレを見て、読者も同じように「勇気を出してこの世の不条理に立ち向かってみよう」と思えるでしょうか?
それは難しいと思います。
アレは、ポケモンが現実にいる世界だから可能だった事でした。
読者に同じ事はできません。
なぜなら、読者が住んでいる世界では、ポケモンが現実にいないからです。
ポケモンは、読者が住んでいる世界では無力なのです。己の身一つで立ち向かわなくてはならない。
それを「自分もナツミ達と同じように勇気を出せ」「この世の不条理に立ち向かえ」なんて思えるでしょうか?
極めて困難であると言わざるを得ません。
それではナツミ達がどれだけ活躍したところで、読者は諦めの目で見てしまいます。
「ナツミ達がこうあれたのは、ポケモンが現実にいる世界だからだ」「ポケモンが現実にいない世界で同じようにするのは無理だ」「だから自分達が頑張れなくても仕方がない」
こういう感想を抱く事になるんですよ。
作者は、読者にこうした感想を抱いて欲しかったのでしょうか?そんなつもりで漫画を描いていたのでしょうか?
それは違うんじゃないかと思います。
ですが、作者の意図はどうであれ、読者はこうした感想を抱いてしまう。
キャラの活躍をポケモンバトルに頼ってしまうと、こういう弊害が出てくるんです。
それを防ぐためには、ポケモンバトルに頼らない、もっと違った読者へのアプローチが必要であると考えます。
マナブならば、それができるような気がします。
マナブはまだ子供であり、正式なトレーナーではありません。
現状、マナブにとってポケモンとは、心の支えという側面が大きいです。
しかし、それ故に、読者と条件は近しいと言えます。
読者にとって、ポケモンは心の支えでしかない。
読者の住んでいる世界において、ポケモンはどんなに頑張ったって心の支えにしかなれないのです。
そんな読者と、マナブの立ち位置はとてもよく似ているように思います。
そんなマナブだからこそ、読者の心に訴えかけられるようなアプローチが可能なように思います。
あくまでポケモンは心の支えでしかなく、直接的な力に変換できるものではない。不条理には、己の身一つで立ち向かわなくてはならない。
そんな状況に追い込まれた後、マナブは「読者が住んでいる世界の人間にも可能な範囲で」根性を出す。不条理に立ち向かい活路を開く。
そんなエピソードが挟まれるんじゃないかと思う次第です。
>ダイマックスを扱わない話作り
自分が考えていたのは、ジムチャレンジを外から見る立場でうまく作れないかなということです。
あまり詳しく書くと作者の引き出しを減らすことになるので書きはしませんが…。
>二人のジムリーダー
フウとランは確かに二人である理由が特になかったですね。ただ、メロンとマクワの方にはそれなりの掘り下げがあったわけですし、サイトウとオニオンにもあっても良いのかなと思います。
>弱者とは?
これは仰る通り、しーちゃんだけではなくマナブにも適任な部分があると思います。
この辺りについては、もう少し先に話が進めば見えてくる面もあるでしょう。