はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

やっと解放されそう♪

2012年06月30日 | わたくしごと
以前もグチりましたが、私は、そろそろ仕事を辞めたいと思っています。
この年まで仕事があって働けるというのは、ありがたいことでもありますが、私なりに老後の計画もあります。
自分の人生がいつ終わるのか、それは、誰にもわからないことですが、ある程度の年齢になれば、先が短くなるのは、必然の道理です。
お金はあるに越したことはありませんが、今の状態では、お金より自分の時間の方が欲しいです。
一日中拘束されて、土日だけの休日。
祭日も休みにならないし、どうかしたら、土曜日も出勤になる今の会社のシステムなので、若い頃は良かったけれど、この年になると、本当にキツイ。

ちょうど去年の今頃、秋ごろには退職したいという意向を社長に話したのですが、年内まで待って欲しいと言われ、それがずるずる延びて、春まで、いや今年いっぱい、そして社長が引退するまで・・・という話になりました。
でも、「社長が引退するまで」と言っても、そんなのはいつになるかわかりません。
次期社長は決まっていても、自分一代で立ち上げた会社なので、そうそう簡単には譲れないようです。
社長の様子を見ていても、「本当にこれで、譲る気なのかなぁ」と思うことが多々あります。
次期社長も、自分が今の会社を継ぐようになったら、仕事の内容も少しずつ変えて行きたいと思っているらしく、その辺でも、今の社長と折り合うのは難しい気がします。

社長がなかなか私の退職を「うん」と言ってくれないので、次期社長には、機会あるごとに「早く辞めたい」という話をしていました。
春にも、
「ゴールデンウィークが終わったら、私の後の人を募集して欲しい。」
と言いました。
次期社長は、
「はーちゃんの気持ちはわかるけど、社長に話しても、なかなか良い返事が帰ってこないんだよ。」
と言います。
そして、社長の奥さんに当たる経理の女性が、
「社長は、『俺と一緒に花道を飾ろうよ』と言っているの。」
と言います。
「そんな、いつになるか分からないような話には乗れないわ。」
と、私は言いました。

いつまで経っても私の退職の話が決まらないので、私は白内障の手術の事を持ち出しました。
最近、暗いところでの視界がかなり悪くなっています。
いや、以前から悪かったのかもしれません。
自転車で転んで手を骨折した時も、暗がりで足元のポールが見えなかったのですが、あれは、他の人になら見えたのかもしれないと今になって思います。
テレビを見ていても夜のシーンなどの暗い画面だと何が写っているのかわかりません。
でも、それは、私だけで、どうやら他の人にはちゃんと見えているというのに最近気が付きました。
なので、今後このまま仕事を続けても、秋を過ぎて日が短くなれば、また帰りは暗くなり、車の運転も危なくなるので、その頃に退職して目の手術をしたい。
今の仕事は一日中パソコンの前に座って、目を使う仕事なので、手術を終えたら、もう仕事はしたくないので、それを機会に辞めたいと話しました。
白内障の手術は、暑い時期は不向きだそうです。
汗をかくと、それが目に入るのは、良くないらしい。
お風呂にも入れないというのも夏場は困ります。
それで、9月に退職して10月の初めに手術をしようと思っていたのですが、10月は色々行事が入ってしまって、手術ができなくなりました。
それで、行事を終えた10月の末に手術をしようと思い、10月に退職したい旨、申し出ました。
そして、
「できれば、6月からパート扱いにしてもらって、土日祭日は休み、毎日仕事は15時で帰れるようにして欲しい」
と社長に話しました。
「社長は考えておく」
という返事でした。
私は言いました。
「考えるような話じゃないと思います。土曜、祭日なんて出勤しても電話一本あるわけじゃなし、私は現場仕事じゃないから、そこまで仕事があるわけじゃない。パートなら休めばお給料を払わなくて良いし、毎日3時に帰っても、それほど会社に差し障りはないと思うんですけど」
と言いました。
主人が仕事を始めたので、私が3時に帰れれば、クマたちの散歩も早めにできます。
パートなら、用事があるときは、今までより、ずっと休みやすくなります。
社長は、「うんうん」と言いながら、それでも「考えておく」
と言いました。
私は、
”会社も私に無駄に給料を払わなくても良いし、悪い話じゃないと思うんだけどな。”
と思いました。

でも、その話は、全く進まずでした。
そこで、私も考え直しました。
残り4ヶ月なので、今のままで我慢しようと思いました。
辞める期限は私の中では決まりです。
何がどうあれ10月に辞めます。
ただ、長年お世話になっている会社なので、強引に辞めることだけは避けたいと思いました。
できるだけ円満に退職したい。
それで、次期社長に再度話をしました。
「10月という期限は決めたので、パートの話はあきらめるけれど、退職する10月という期限だけは譲れない。
私は一年前から退職の話をしていて、期限を一年延長したので、それで十分義理は果たしたと思っている。そう思いませんか?
会社が私の後釜を募集しようがしまいが、私は、去年から何度もこの話をしているので、辞める時期は譲れない。」
と言いました。
時期社長は、
「CADがネックなんだよな~。
見ていると、はーちゃんと社長はあ・うんの呼吸で、何も説明しなくてもすぐに話が通じて仕事になっているからなぁ。」
と言います。
確かに今の会社がパソコンを導入し、図面をパソコンで作るようになったのも、私が最初です。
それまでは、社長が手書きで図面を作っていました。
「でも、募集すれば、パソコンもCADもできる人なんていくらでもいるでしょう?」
と私は言いました。

私も強く言ったので、次期社長も、「社長に話してみる」と言いました。
そして、先日、社長と話してやっと私の退職が10月と決まりました。
その時の社長の顔は、なんとなく変で、ちょっと涙ぐんでいるようにも見え、胸が痛みました。
でも、続きがあって、社長は、
「手術を終えてしばらくゆっくりしたら、パートでもアルバイトでも良いから、また来てくれる?」
と。
私は、先のことなんかわからないので、「そのときになったら、考えます。」と返事をしました。
とにかく10月退職が決まれば、こっちのものです。

娘にその話をすると、
「お母さん、すごいね。そこまで引き止められるって、よほど、社長にとっては、大きな存在なんだね。」
と言っていました。
「20年近く、一緒にやってきたからね。」
と言いましたが、私は便利な存在なんだろうと思います。
ホントに雑用係ですもん。
言わせてもらえば、それほど私にいて欲しいなら、もっと待遇を良くすることも考えても良いと思うんですよ。
定年後なので、パートに毛が生えたくらいのお給料でボーナスも寸志程度しか出ない待遇のままで「ずっと居て欲しい」と言われても、納得できません。
もっとも、会社にとっては、安く使えるからこそ、私が必要なのかもしれませんが。
お金にシビアというか、ケチな社長ですからね。
でも、私は会社は背負えないし、自分の人生があります。
私が、この先ずっと一緒にやったからと言って、会社が私の人生の面倒までみてくれるわけではないし。

そんな訳で、やっと私は会社から解放されることになりました!


最新の画像もっと見る