意識が高い、意識高い系というのは多義的な言葉だと思いますが、一種揶揄するニュアンスを持つ言葉として使われることも多いと思います。なぜでしょうか。当記事はそんな話題です。
字義通り解釈すると、幅広い問題意識を持っている、近視眼的でなく大局的な視点での問題意識を持っているくらいの意味になるのかなと思います。そうすると、意識が高いことはすばらしいことだし、意識が高いことを表現すること
(そういった問題意識を表現すること)もすばらしいことだと思います。
ただ、安易に意識が高いことを表現すると(意識が高いわけでない)相手を否定するメッセージが伝わってしまう。このことが意識が高いことが揶揄される要因になっているのかなと思います。
例えば、あなたが企業の採用選考が前倒しになっているので、学生は就職活動の準備を早く始めるべきという問題意識(当該問題意識は的を得ている面があると私は思いますし、問題意識を持つこと自体すばらしいと私は思います)を持っていたとします。でも、あなたが当該問題意識を共有していない友人に就職活動の準備を始めるべきと説いても、友人が就職活動の準備を始めるどころかうざがられる可能性さえあると思います。問題意識を有していない友人を否定するメッセージが伝わってしまう可能性があるからです。
じゃあどうすればいいのか。まずは、問題意識を有していない他者(友人)を認めることから始めるといいと思います。問題意識を持たない生き方を認めるといった感じです。友人との接し方もOB、OG訪問を設定したから一緒に行こう、といった自分も汗をかく感じになると思いますし、OB、OG訪問後も「また、興味があったらOB、OG訪問設定するからまた連絡して」といった感じで押し付け感がなくなると思います。
他者を認めるということが就職活動時期においても円滑なコミュニケーションの一歩かなと思います。
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