改めて最初からもう一度見て、やっぱり映像が美しいし音楽が素晴らしいと思います。ただ私は、映画としては面白いと思うんですけど、そこまで感動しきらないというのが正直なところです。(以下ネタバレ)
■よくわからない主人公が逃げる理由と大人の機能不全
引っかかることは2点ありまして、ひとつは主人公の少年・帆高が、「大人(故郷や警察)からそこまで逃げる理由がわからない」という点です。島育ちで家出してきて、とにかく家に帰りたくないという気持ちがわかるエピソードがないため、なぜそんなに体制に背を向けるのかがピンとこない。
もうひとつは、「大人が機能していない」という点です。例えば、ヒロインの陽菜ちゃんのお母さんは病院で2人の子どもを残して亡くなります。子ども達は公的機関の世話になることなく、アパートで無理な生活を続けてしまう。引き取ってくれる親類もない、教師も気にしていない(しているのかもしれないけど対応していない)という状態です。母親は、突発的な意識不明なら仕方ないと思いますが、どんな事情か示されないのでもどかしい。身寄りのない子どもたちを残して死んでしまうからには、親だったら何かしらちゃんとしておいて欲しかったなと気になってしまいました。
小栗旬演じる須賀さんも、少年を拾ったような感じで1ヶ月くらい一緒に過ごすしますが、結局お金を渡して放り出し、最後まで面倒見きれない。クライマックスでは自分なりに行動したとは思いますが。そういう不甲斐ない大人達の中で、大人や公的機関から逃げ回る構図が悲しいしもどかしかったのです。帆高が終盤で故郷に戻り、なんてことなく日常をこなしていった様子にも拍子抜けでした。何がそんなに嫌で家出をしたのかわからない。
■サリンジャーを読み、言うだけ野暮なのかもという気持ちに
しかしこれを書いているうちに、周囲がそういう不甲斐ない大人たちだから、若者たちは背を向けるしかないのかな、という気がしてきました。若者特有のモヤモヤは、説明不要のものかもしれません。
それと、最近村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を買って冒頭だけ再読しまして、生い立ちなんて言うだけ野暮みたいな事柄だと言いたいのかなとも思いました。
映画の中で帆高は、この本を持っています。この有名な青春小説の冒頭、語り手である主人公は「生い立ちなんて語る気にならない」と言い切るところから始まります。
こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたとか、その手のデイヴィット・カッパーフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。でもはっきり言ってね、その手の話をする気になれないんだよ。(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J・D・サリンジャー/村上春樹訳/白水社)
だから思春期の息子には響くけど、平凡なおばさんである私には100%響かないのかも。大人なんだからこうすべき、と理屈で考えてしまうけど、実際には自分もだいぶ不甲斐ない人間なわけで、本当は偉そうに言えるものではないなと思い直してみたり。
■特典映像を見てからの、感覚
お話は、犠牲になりがちな主人公が多い中で、自己犠牲で終わらないところが良かったと思います。ハッピーエンドの方がいいなあって思っちゃいますね、私は。いまは、かな。
色々言ってますけれど、特典映像の制作過程を見ると、やっぱりすごく「突っ込まれどころ」を考え抜いている様子でした。大勢のスタッフ使って何年もかけて制作してるからには当たり前のことですね。だから私ごときが思うちょっと気になる面も、考え抜いた上でのこの物語なんだろうなと思いました。
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