いわく、この社会で尊敬されるのは天才ではなく、指導者や才人、博学者、巧みな製品を生み出せるアイディアマンであり、
――天才はこれらの人たちに比べて、あまりにも野暮であり、異常である。社会に適応できぬ非常識な人間である。
なんておっしゃるところも面白い。能才や才人たちは天才を軽蔑するだろうが、”天才は独自の境地をひらいて人類文化に貢献する人間”として、人類に必要だと持論を展開しています。なので、難解な計算が異常に早いというだけでは、天才とは言えないそうです。なるほどな。
* * *
それで、また『友だち幻想』(菅野仁/ちくまプリマー新書)のなかの主張を思い出しました。「個性教育よりもまずやらなくてはならないこと」という章で、教育現場で先生が、わざわざ個性的な存在や天才を見いだそうとしたり、「ノーベル賞をとれるような存在を育てる」なんて目標を掲げなくていいという話です。
天才というのは、隠しても普通にしようとしてもどうしても飛び出してしまって、むしろそれをコンプレックスにしている子どももいる。周囲との生き辛さを抱えがちな子に対して、その人が潜在的にもつ能力が損なわれないように、社会生活を営むための最低限のルールを教えたりやるべきことを支えるのが先生の仕事です。
と諭しています。天才は人類の役に立つもの、でも、本人はうまく支援してあげるべき存在、ということですね。
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