ノーラ・エレン・グロース著/佐野正信訳『みんなが手話で話した島』(早川書房)
20世紀初頭までの200年余り、「住民が全員手話で話せた」というマーサズ・ヴィンヤード島を調査、論文を著した人類学者のノンフィクション。
感想と読書会のはなし。長いのでわけました。こちらは後編です。【前編】
※太字は読書会で出たご意見です。
***
忘れてならないのは本書の学術的な意味の大きさで、読書会でも「フィールドワークはこうあるべき」と讃えた人がいました。
「歴史から始まって、島にどのくらいろう者がいるか、手話文化の成り立ち、島民に対する聞き取りに対する労力にまず驚いた」
「ただ、調和がとれた社会的空間だったけれど、現状はもうなくなっている。なくなっていくものをどうにか残しておきたいという情熱や使命感で取り組んでいたのではないか。ここまで情熱を傾けられたことがある意味羨ましい」
これが単なるルポとは違う点は、著者はあらゆる公的な文書を確認し、証言の裏付けを取り、系図をつくり、島の成り立ちや産業などあらゆる観点からみた調査・分析結果を示しているところです。
しかしそれだけに、興味深くはあるのですが淡々としていて、私はなかなか読み進められない部分もありました。とくに遺伝子関係の詳細な検証・考察部分は眠くなってしまい、読書会ではそれに共感の声もありました。
しかし一方で、「どうしてこういう集団が形成されたのかという部分が面白かった」という声も。
しかし一方で、「どうしてこういう集団が形成されたのかという部分が面白かった」という声も。
「一種類の障害を持った人が多くて、何世代にも渡って外部の介入がなくあまり変動しないで暮らしてきたのは、すごいレアケース。文化人類学的にかっこうの研究材料になる」
「著者は文献と現地のリサーチをちゃんとやっている。(それまでの学者は現地に行かずに議論していたという話も出てくる)学問としてちゃんとやったというのが貴重な本」
「著者は文献と現地のリサーチをちゃんとやっている。(それまでの学者は現地に行かずに議論していたという話も出てくる)学問としてちゃんとやったというのが貴重な本」
確かに、ひとつの共同体が時代背景も影響しながら成り立ってく過程には、さまざま興味深い点がありました。
発明家のグラハム・ベルが学者でもあり、この島に聾者が頻出する理由を調査をしていた時期もあったと初めて知りましたし。しかしこれは、差別や危険な優生思想のもとになってしまったこともあり、本書の著者がその間違いを多く指摘していたのも印象的でした。
障がい者福祉の観点では、読書会で自分の身近で起きたことを思い出したという人も。子供のころに途中で特殊学級ができて、問題行動があった子が目の前にいなくなったことで「関係ない感じになってしまった」と語っておられました。それにも関連して
「障がい者を分けるのではなく、包摂的な教育をしていかないと社会の中で一緒になっていけないんじゃないかと読みながら考えた」
という方も。「障害は社会のしくみによってもたらされる」という声は確かにそうで、皆さんのコメントに共通していたかな。
「少数者に対して、社会のほうがどうあるべきか」という命題をいろいろ考えずにはいられない読書会でした。ぜひ多くの人に知ってもらいたい一冊です。
***
【その他関連本として挙がっていた本】
『わたしが人間であるために――障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』
『神様は手話ができるの?―先天性難聴のわが子に』(絶版のようです)