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赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。よろしくお願いします。@^-^@ノ

⓫名将「本多忠勝」、名刀「村正」ゆかりの地を征く

2021年11月01日 06時00分00秒 | 近鉄ウォーキング

令和3年10月15日(金)

近畿日本鉄道主催  きんてつハイキング てくてくまっぷコース

名将「本多忠勝」、名刀「村正」ゆかりの地を征く」の続きです。

 

鳥居の前まで来ました。

ここは東海道五十三次の桑名宿

 

七里の渡しです。

桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約二十八キロ)あることから、

七里の渡しと呼ばれました。

七里の渡しは、ちょうど伊勢国の東の入り口にあたるため、伊勢国の「一の鳥居」が天明年間(1781~1789)に

建てられました。

七里の渡しの西側には舟番所、高札場、脇本陣、駿河屋、大塚本陣が、南側には船会所、人馬問屋や丹羽本陣があり、

東海道を行き交う人々で賑わい、桑名宿の中心として栄えました。

昭和三三年(1958)、七里の渡し跡は三重県指定史跡となりました。

昭和三四年(1959)には伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました。

現在では、七里の渡し跡の前に堤防が築かれたため、七里の渡し跡の風景は、江戸時代とは異なる表情を見せています。

 

だいぶ整備されて、綺麗になっておりますが。。。

 

今でも船の出入りが出来るようになっているようです。

 

小舟がいっぱい停泊している。

ハマグリ漁の船かな?

 

七里の渡しから遊歩道を進んで来ると、櫓のような建物がありました。

 

なんだろうねぇ?

 

建物の向かいに、宝暦治水の案内板がありました。

薩摩藩のお話ですね。

 

あ!

空いている@@

ここは入ったことが無いので見学しようとしたら、

そばで草引きをしていたおじさんが、どうぞどうぞと案内してくださいました。

 


階段を上がって、2階へやってきました。

蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)です。

蟠龍とは、天に上る前のうずくまった状態の龍の事を言います。

渡し舟が無事に航海できるよう、ここに櫓が築かれたのだと思います。

 

窓からの眺めです。

龍の形をした瓦が川を見張っている。

 

1806年(文化3年)刊の「絵本名物時雨蛤」という書物に

「臥龍の瓦は当御城門乾櫓上にあり、この瓦名作にして龍影水にうつる。

ゆへに海魚住まずといへり」とあって、桑名の名物の一つにこの瓦を挙げているそうです。

 

おじさんが、ここから写真撮ってと教えてくれました^ー^

 

初めて中を見ました。

小さな櫓でしたが、重要な拠点だったのですね。

ありがとうございました。

 

蟠龍櫓を後にして、コースを進めていきます。

 

三之丸水門

揖斐川から水門を通って、水路へ続きます。

 

コースは水路の方へ続いているので、こっちへ行ってみます。

 

池かな?

周りでは、除草作業をしていました。

 

柿安コミュニティーパーク

心地よい風が吹いています。

ここでちょっと休憩しました。

 

桑名城三之丸御殿(新城)及び桑名紡績工場跡

いろいろと歴史があるのですね。

 

元々は桑名城のお堀だったようです。

 

これから九華公園の方へ入って行きます。

 

橋の手前に、いきなり大きな像が現れました。

本多忠勝の銅像です。

 

あの兜は鹿の角ですね。

燃え盛る炎のように見えてきて、凄い勢いを感じます。

 

コースは、九華公園へ行かずに、こっちへ続いています。

九華公園へはまた今度訪れたいと思います。

 

長くなりましたので、続きはまたにします。

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