ハナの花

そのときどきの出来事や見聞について記します。

旅先の光景;夏目漱石のゆかり(4) 大分県 宇佐八幡宮

2021-09-09 10:53:05 | 漱石ゆかりの地
 引き続き、漱石の明治32年1月の旅から紹介します。今回は、1月2日の宇佐八幡宮での句を何句かあげてみます。
〇兀(こつ)として鳥居立ちけり冬木立
 *〈兀〉は山などが高く聳えていて上が平らな様子 
  を言いますが、ここでは鳥居の高い様を言ったも 
  のと思います。
〇神苑に鶴放ちけり梅の花
〇ぬかづいて曰く正月二日なり
〇南無弓矢八幡殿に御慶かな
 *宇佐八幡神宮の一之御殿に祭られている八幡大神 
  (応神天皇)は、弓矢にゆかりの神でもあります。漱
  石は弓を嗜んでいて、松山から熊本へ赴任する際 
  も弓矢を自ら持参したと言われています。〈御慶〉
  は、ここでは新年のご挨拶です。また、〈南無八 
  幡大菩薩〉という語があるように、八幡は神仏習
  合の象徴的な存在です。

宇佐市観光協会のHPから転載しました。↓

 
*ご覧くださりありがとうございます。



旅先の光景;夏目漱石のゆかり(3) 大分県 耶馬溪 守実 漱石句碑

2021-09-05 09:33:59 | 漱石ゆかりの地
 明治32(1899)年1月、漱石の旅の一コマです。
 漱石第五高等学校教職時代、同僚の奥太一郎とともに、宇佐・耶馬溪・日田・久留米と回りました。

 今回は、1月5日守実(もりざね)に泊まったときのことを詠んだ句の記念碑を紹介します。守実では旅宿業で郵便局の河野謙吾宅に泊まります。

 句碑は、山国町(やまくにまち/現・中津市山国町)守実の大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ/大歳祖神社)境内にあります。河野家は当時この神社に隣接していたとのことですが、確認し得ませんでした。

句碑 句は「せぐゝまる蒲団の中や夜もすがら」。句意は、〈夜どおし蒲団の中で背を丸めて寝ることだ〉といったものでしょうか。寒さで十分に熟睡できない情景ですが、自分を客観視していて、ややユーモラスな印象も受けます。



時が経って多少字が読みにくくなっていました ↓

山国町教育委員会の説明も丁寧です。 ↓


句碑のある大歳御祖神社(大歳祖神社) ↓


 漱石は、「守実に泊まりて〔三句〕」として次の句を記しています。
〇たまさかに据風呂(すえぶろ)焚くや冬の雨
〇せぐゝまる蒲団の中や夜もすがら
〇薄蒲団なえし毛脛(けずね)を擦(さす)りたり・・・・前回紹介した中にある句です。

 そして、更に下に掲げる句を加えていますが、その前書きに、
 「家に婦人なし之を問へば先つ頃身まかりて翌は三十五日なりといふ庭前の墓標行客(こうかく/旅人)の憐(あわれ)をひきてカンテラの灯の愈(いよいよ)陰気なり」と記しました。
〇僧に似たるが宿り合せぬ雪今宵

 河野氏は妻を亡くして間のないころだったのでした。折しも僧に似た様子の人が泊まり合わせていたというのです。初句の字余りに漱石の沈んだ気持ちが出ているように思いました。
 翌朝、漱石たちはそこを発ち、日田に向かいます。

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旅先の光景;夏目漱石のゆかり(2) 福岡県うきは市吉井歴史民俗資料館横 漱石句碑

2021-09-03 09:44:54 | 漱石ゆかりの地
 前回(1)で紹介した近くにも漱石の句碑が建っています。なかなかよい恰好の石です。

 句は、「なつかしむ衾(ふすま)に聞くや馬の鈴」(明治32年1月)。「吉井に泊りて」という前書きがあります。前回(1)の句碑にも登場していたものです。  
 私は、馬の鈴の音をなつかしむ、とこれまで思っていたのですが、今では衾[夜具・布団]をなつかしむという意味ではないかと思うようになりました。漱石は1月1日に熊本を出て、宇佐・耶馬溪・日田を廻り川を下って吉井に上がっています。雪の中で馬に蹴られて倒れ、「漸(ようや)くに又起きあがる吹雪かな」という句を詠んだり、泊めてもらった家で「薄蒲団なえし毛脛(けずね)を擦(さす)りけり」という冷寒な思いをしたことを句に詠んだりしています。吉井でやっと暖かい布団にもぐりこみ、馬の鈴も眠気をいざなうように快く聞こえたのではないかと思う次第です。



漱石はこの頃詠んだ句を東京の正岡子規に盛んに送っています。下の句の筆跡も子規宛の書翰中のものだと思います。↓

句碑の裏面には、「平成七年三月吉日建立 ふる里創生一環事業」とあります。なつかしい一億円事業名ですね。「一環」とあるので一億円をここ以外の複数の事業にも使ったことがわかります。 ↓



旅先の光景;夏目漱石のゆかり(1) 福岡県うきは市吉井町足跡句碑

2021-08-25 12:48:47 | 漱石ゆかりの地
 うきは市吉井町の白壁交流広場内にある漱石の句碑です。
 漱石、熊本五高時代、明治32年1月1日に五高の同僚と熊本を出発しました。
 宇佐八幡宮→四日市→耶馬溪→日田→吉井→久留米→熊本と回ったようです。吉井には舟で筑後川を下り1月5日に一泊したとされています。この句碑の説明で、泊まった宿についてはっきりしないという記述に賛嘆しました。
 この広場もまさに広場というにふさわしく、気持ちのよい風が吹いていました。
 句 〇新道は一直線の寒さかな
   〇なつかしむ衾(ふすま)に聞くや馬の鈴



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