これは、孔子の門弟の有子(ゆうし)の言葉です。「れいはこれわをもってたっとしとなす。」〈礼の実践は調和がとれていてこそ貴いのだ。〉
(「礼の用は和を貴しと為す」という読み方もあります。)
〈礼〉は、祭祀や儀式に典型的に表れるように、形式と秩序を重んじるものです。ただ、全体として調和がとれていないとそれは価値の高いものではないと有子は言っています。例えば、卒業式という式をとってみても、一つ一つの式次第がきちんと秩序だっていても、全体としての調和がないと、人々の心には響きません。校長の式辞が長ければ、来賓が多少祝辞を短くするとか、話し方を柔らかくするとかいった工夫も必要でしょう。
聖徳太子の「十七条の憲法」は、その第一条が「和を以て貴しと為し(わをもってたっとしとなし)」で始まります。〈礼〉についての文言ではありませんし、内容も有子の言葉の趣旨とは違いますが、その表現は『論語』のこの部分を意識したものだと言えるのではないでしょうか。
「十七条の憲法」では、第一条の続きに、〈いろんな党派や考えの違いがあっても、上に立つ者も下の者もよく議論していけば道理は自ずから通って事が成就する〉という意味のことが書かれています。和は、違う意見や立場を認めながら、なおかつ議論の次にある道理の実現を目指したものかと思います。
これからの世界では、こうした考え方、態度はいっそう重要ではないかと思う次第です。
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