相変わらず、漱石明治32年1月の旅の話です。
1月5日、漱石と奥太一郎は、耶馬溪の守実(もりざね)を発ち峠を越えて豊後日田に向かいます。
守実の日田往還中津街道の標識です。↓
そのときの句に、
〇隧道の口に大なる氷柱(つらら)かな
とあり、この隧道(ずいどう)は大石峠隧道(おしがとうずいどう)と言われているものでしょう。今では使用されていないのではないかと思います。読みづらい名称です。漱石はほかにも句を詠みました。
〇かたかりき鞋(わらじ)喰ひ込む足袋の股
〇炭を積む馬の背に降る雪まだら
こうした漱石の句は、実感に基づいて素直に詠んだ写実的なもので、ひねくり回していない点が好きです。
峠を下っているときの出来事を漱石は句にしました。
「峠を下る時馬に蹴られて雪の中に倒れければ
〇漸(ようや)くに又起きあがる吹雪かな 」
大変な目に遭ったものです。ただ、漱石には気の毒ながら、何となくユーモラスな感じもします。
この時のことを漱石は親友の狩野亨吉(かのうこうきち)宛の手紙に書いています。
「豊後と豊前の国境何とか申す峠にて馬に蹴られて雪の中に倒れたる位がお話しに御座候」
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