こんにちは、半次郎です。
芝居や小説も素晴らしいですが、半次郎の愛する“落語”も負けず劣らず素晴らしいものです。
“落語”ときくと大抵の人は単なる“笑い話”だと思うでしょうが、さに非ず、落語にはいろんなジャンルがあるのです。
『滑稽噺』『人情噺』『芝居噺』『艶噺』…などなど。
名作の多い古典は、笑いもさることながら、作品としてもよくできています。
特に人情噺など涙が止まりません。
半次郎は、落語を通して、『善人とはこういうもの』とか『悪人とはこういうもの』という定義を学んできました。
勿論、“本当の”という言葉が前に付きます。
つまり、法に触れる訳ではなく違法性はないものの、自分のことばかりを優先し、周りの人のことを考えない人は“悪人”で、逆になけなしの金をはたいてでも人を助けようとするのが善人だと。
…でも、落語はそういう人たちを“良い”とも“悪い”とも言いません。
ただ登場人物の一人として噺の中に登場させているだけです。
それをどのように演じ分けるかは、噺家次第です。
つまり、そこで名人上手が決まる訳です。
そこが落語の面白いところです。
同じ噺でも演者が違うとニュアンスが違ってきたりします。
時には、後味まで違ってきますから重要です。
半次郎の好きな“人情噺”は、ホロッとさせられ、いつ聴いても泣けます。
但し、繰り返しになりますが、同じ噺でも演者が違うと“ハナシ”になりません。
そんな人情噺を上手に表現してくれる噺家が好きです。
テクニックもさることながら、噺家さん本人が、人情の機微を理解していなければ語れません。
半次郎の好きな立川談志家元は、最後の名人なのかも知れませんね。
from 半次郎
芝居や小説も素晴らしいですが、半次郎の愛する“落語”も負けず劣らず素晴らしいものです。
“落語”ときくと大抵の人は単なる“笑い話”だと思うでしょうが、さに非ず、落語にはいろんなジャンルがあるのです。
『滑稽噺』『人情噺』『芝居噺』『艶噺』…などなど。
名作の多い古典は、笑いもさることながら、作品としてもよくできています。
特に人情噺など涙が止まりません。
半次郎は、落語を通して、『善人とはこういうもの』とか『悪人とはこういうもの』という定義を学んできました。
勿論、“本当の”という言葉が前に付きます。
つまり、法に触れる訳ではなく違法性はないものの、自分のことばかりを優先し、周りの人のことを考えない人は“悪人”で、逆になけなしの金をはたいてでも人を助けようとするのが善人だと。
…でも、落語はそういう人たちを“良い”とも“悪い”とも言いません。
ただ登場人物の一人として噺の中に登場させているだけです。
それをどのように演じ分けるかは、噺家次第です。
つまり、そこで名人上手が決まる訳です。
そこが落語の面白いところです。
同じ噺でも演者が違うとニュアンスが違ってきたりします。
時には、後味まで違ってきますから重要です。
半次郎の好きな“人情噺”は、ホロッとさせられ、いつ聴いても泣けます。
但し、繰り返しになりますが、同じ噺でも演者が違うと“ハナシ”になりません。
そんな人情噺を上手に表現してくれる噺家が好きです。
テクニックもさることながら、噺家さん本人が、人情の機微を理解していなければ語れません。
半次郎の好きな立川談志家元は、最後の名人なのかも知れませんね。
from 半次郎
談志師匠は、今は“ガラガラ声”ですが、若い頃はいい声でした。
世間の“生意気”というイメージも作られたもので、寄席の高座に出るときの嬉しそうな人懐っこい笑顔は最高でした。
座布団に座ると例の生意気な口調になりますが・・・。
今は、寄席には出られないので、ホール落語でしかお目にかかれません。
先ほど、TBSテレビで柳家権太楼師匠の『芝浜』をやっていましたが、なかなか良かったですね。
でも、談志師匠の『芝浜』は絶品です!
噺の中の女房が、とても素敵に描かれています。
・・・名人ですね。
>深みのある人間性~
誉めていただいて光栄です。
まだまだ浅いですョ。
人生の楽しみ方がやっと分かりだしたところです。
まだまだ、これからです。
落語がお好きなのですね。
立川談志師匠。。。ガラガラ声が印象的です。
演者によって違う・・・全く同感です。
半次郎さんの日記は、本当にジャンルが広いですね。
深みのある人間性を感じています