平成最後、73回目を迎えた終戦の日…八月十五日、靖國神社へ参拝して参りました。
九段坂下をはじめ、至る所に機動隊が配置された物々しい雰囲気でしたが、大東亜戦争にて戦死した曽祖父をはじめ、近現代国家日本の礎となられた246万6千余柱の英霊に対し、心からの感謝と哀悼の意を伝え、今後の日本の平和と繁栄、武運長久をお祈り申し上げた次第です。
また、大村益次郎公の像横で開催されていたフォーラムを少し拝見致しました。
開会に当たり、終戦の詔書の玉音放送を拝聴致しましたが、たった73年前の同じく日射しが強いこの日、宮城外苑や最前線の特攻基地などで、悔し涙を流し拝聴された先輩方の御心を察するに、鳥肌が立って身震いし、大変胸が詰まる思いを受けました。
その先輩方が持ち続けた「臥薪嘗胆」の思いが戦後、経済で世界トップの国にまで這い上がる原動力になったのでしょう。
本当に先人達には感謝の念が募るばかりです。
この日本民族の名に恥じぬよう、私も気を引き締め、自身の正しいと思う道に邁進したいと決意するものであります。
また、正午の黙祷は、能楽堂近くの桜の木の陰で行わせて頂きましたが、開始直後に無風だった境内に突如風が吹きました。
それも都内の蒸し暑いものではなく、信州の高原のような、とても涼しい風であり、英霊の御霊が鎮まれているのかと感じて目頭が熱くなった次第です。
普段のお社と違うところは、まず参道を埋め尽くさん程に、多くの参拝者が訪れていたことは然ることながら、何より子供連れの若い御家族や若い女性が多く見受けられたといったところでしょうか。
これはとても素晴らしい事だと思います。
国家繁栄の源は、子供への正しい教育であることは歴史が物語っておりますが、その教育の根幹である幼児期の教育、躾、具体的には常識等社会性の形成は、何より母親…即ち女性に起因するところが極めて大きく、女性の教育こそ、最も重要であると私は考えております。
現に、十代、二十代の若さで散華された英霊の遺書においても、特に母親が掛けてくれた慈愛に対する感謝と決別の悲しみが多く綴られており、それを物語っているのではないでしょうか。
母親という存在は、時に優しく、時に父親とは比べ物にならない程厳しく躾ける事ができるものですし、その根底には、これまた父親では出来ない程、母親自身のありとあらゆる物事を犠牲にしてまで、子に尽そうとする愛情が存在しているからなのでしょう。
私も母が生きていた頃、非常に腹が立つことや理不尽を強く感じて常に反発していましたが、今この年になって思うと、感謝に尽きない事があります。
しかしながら母には、お盆などで帰省した際、仏壇に向かって手を合わせて気持ちを伝える事しか出来ず、生前に何でも良いからとにかく「ありがとう」と言っておけば良かったと、非常に後悔しております。
おそらくそれを含めて、母親の強さだったのかと思うものでありますが、あくまでそれは私の言い訳であって、埋め合わせることが出来ないこうした後悔が残っております。
話が逸れてしまいましたが、兎にも角にも、戦後の学校教育は、まさに自虐史観、反日思想、社会主義的に極端な平等主義、人間愛の徹底といったことの植え付けであると思いますが、少なくともこれら何れに対して疑問を持たれている方が大勢いらっしゃることは、非常に喜ばしいことです。
一方、全国戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉に於いて、四年連続して「深い反省」と仰られたことは、素直に申し上げると憤り…むしろ怒りすら感じました。
確かに戦略、戦術に於いて反省する点は多々ありますし、とてつもない犠牲が出てしまった事は事実ですが、主語が抜けて誰のどのような反省なのかも分からないお言葉で「反省」の文言を用いてしまうと、日本は悪事を働き、陸海軍将兵や国民はその悪に加担したと仰っているように読み取れてしまいますし、少なくともマスコミはそう解釈しています。
僭越ながら、今上陛下の本心はそのマスコミと同じなのでしょう。
宮城の目の前に鎮座される靖国神社すら御親拝出来ずして、パラオやサイパンには行かれる…単にバカンスへ行く口実に「慰霊」をつけているとしか考えられません。
GHQや特定の日本に巣食う民族、カルト宗教などの影響があるのは分かりますが、皇室も地に堕ちた…これが私の率直な見解です。
そもそも大東亜戦争の大義、そしてその結果について少なくとも私は、白人至上主義だった地球上の全ての人類が、ようやく同じテーブルに着くことが出来るようになった、極めて意義のある戦争だったものだと確信しております。
従って「反省」の言葉以上に、尊い命を危険に晒しても尚、日本のみならず有色人種の解放、独立に先駆けて散られた英霊に対する「称賛」と「感謝」の言葉が先んずるべきであると考えます。
この頃のトランプ大統領がトルコに掛けている難癖を見れば気付くでしょうが、あのような圧力をかけ、摩擦を起こして相手国から開戦に踏み切らせる事が、昔も今もアメリカ等白人国家の常套手段です。
当時は戦争になるハードルが今より相当低かった時代ですから、そこで白人の主張を飲んで言いなりになり、傀儡、奴隷となるか、負ける可能性が極めて高くても民族の自存自衛のために戦うかの選択に迫られたに他ならず、そうした当時の人々の勇気を讃え、苦労に感謝せずして、どうして今日の日本人が日本人として在り続け、天皇陛下が天皇陛下として君臨されていられるのか、御考えが至らないものでしょうか?
また、インドや東南アジア、果ては当時の敵であった白人の人々までもが靖國神社へ御参りし、遊就館を見学して涙されているているにも関わらず、未だ日本人の中にも靖國神社の存在に否定的な者がいることは、非常に恥ずかしいことだと思います。
そうした方々は「靖國神社は軍国主義の象徴」、「遊就館は戦争賛美のプロパガンダ」と主張していると聞きますが、一体どこにそのような印象を受ける所があるのか疑問に思います。
さらに、帰宅してネットのニュースで見たら、色々な怪しい団体が九段周辺でデモをしていたようですね。
それで機動隊が配置されていたのかと納得しましたが、近年あらゆる所で行われているデモには、言論の自由、思想信条の自由を盾にして、全く責任が無い主張や行動が目立つように感じます。
こんな無責任な人を英霊が天からご覧になったらどう思われるか…そもそも左右いずれの団体にも日本人ではない特定の民族の人達が多いようですが、かつて「皇土」と呼ばれたこの島国がこうして穢されているのは目に余る所があります。
前回の関東甲信越居合道大会の翌日に御参りした時は、遊就館を6時間ほどかけてゆっくり見学出来ましたが、今回は見学者が多かったため、4時間程で廻ってきました。
それでもまた新たに感じるものがあり、何度訪れても胸に響くものがある、たいへん尊い施設です。
遊就館については、また後日記載したいと思います。
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