信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

東京遠征

2019年11月25日 | 武道


11月23日(土)に東京武道館で開催された、第23回関東甲信越居合道大会へ参加して参りました。
参加された皆様、大変お疲れ様でした。
 
今年は長野県大会と今回の関東甲信越大会の2大会しか参加できませんでしたが、五段の部の個人試合で敢闘賞を頂くことが出来ました。
今年は交通事故や引越し、仕事などで、過去最少とも言えるくらいに自分の稽古に時間が割けませんでしたし、優秀賞は逃してしまったので、努力不足を痛感するところでありますが、それでも上手く時間を遣り繰りして稽古を続けた事に対する神様からのご褒美だと思って、今後も一層稽古に精進したいと思っています。
今回の課題としても…やはり間の取り方ですね。なかなか難しいものですが、本当にこれに尽きます。
特に稽古が足りていないと自分の思ったような間で動けないものです。
 
音楽も同じ譜面を使うのに、指揮者や奏者が違うと全く違う曲になりますが、居合もまさにそうですね。
やればやるほど迷宮入りしますが、それが居合の面白いところです。
簡単にマスター出来るものだったら、ここまで居合にのめり込まなかったでしょうから。
 
そして…ちょうど今回の東京武道館は、居合道のほか、弓道、空手が大会で使用していましたが、トイレを使用した際のこと…
空手の人達が多く使用しているトイレに並んでいましたが、待っている間にサンダルがぐちゃぐちゃになっていたのを揃えて置きました。
普通だったらサンダルが揃えてあれば、自分も揃えようと脱いだ時に思うはずですが、普段から親や道場の先生、先輩から言われていないのか、子供が目の前でぐちゃぐちゃに脱ぎ捨てたため、注意しました。
揃えさせて待っていたら、次は40代くらいの中年の空手の指導者か保護者が同じく脱ぎ捨てたため、こればかりは叱りました。
自分が子供に注意して聞こえていたはずなのに、また脱ぎ捨てて恥ずかしくないのか、大人がこんな心構えだから子供もそれに倣うのだと。

國士舘大學居合道部長であられた馬場欽司先生が仰っていた「武道家の履物の乱れは心の乱れ」とのお言葉の通り、履物が乱雑に置かれているのは見ていて不快ですし、何より後に使う人のことを考えていないという、武道を歩む或いは、武道を子供に習わせている者として言語道断の行いだと思っています。
練習中以外の道場内での振舞いをはじめ、家庭内や学校、日常生活、仕事など、ありとあらゆる場面が武道を歩む者の稽古であることを肝に銘じないといけないですし、子供に武道を習わせるのであれば、全て道場任せではなく、親自身の意識や行動を改める必要があると思っています。道場に丸投げしたら勝手に立派な人間になる…武道はそんな都合が良い万能なものではありません。
 
 
と、力説したところで…
さて、番外編…
 



やはり東京に行ったからには、長野県では食べられないものを…
ということで、都内でチェーン展開している牛タンのお店「ねぎし」で夕飯。
ここへ来たら、がんこちゃんセットにミニがんこちゃんをつけて、麦飯おかわり自由!大盛り3杯!これでちょうど腹八分目!
 
松本のイオンモールにも牛タンのお店があるのですが…やはりタンの厚みといい、テールスープといい、南蛮といい…都内のクオリティーには残念ながら及ばないところであります。田舎に出店した数少ない牛タンの店と、食うか食われるかの熾烈な競走で生き残っている都内の店では、同じような金額であっても差が生じてしまいますよね。
 
錦糸町駅前のねぎしに寄りましたが、店の前に崎陽軒の売店が!
焼売弁当を買って帰りたかったのですが、残念ながら売り切れ。
 
焼売弁当の中に入っている角切りのタケノコの煮物が好きなので、焼売単体ではなく焼売弁当じゃないと買って帰る意味が無いのであります。
もはや焼売弁当の焼売は2つくらいで良いので、あとは全てタケノコの煮物にして欲しいものです…タケノコメインで焼売は付け合せ…
 
旅の窓辺の思い出は~二人で開いたシウマイの~一つ一つの物語~あの焼売は崎陽軒~あの時の二人~今の二人~おいしい焼売崎陽軒♪
 
懐かしいですね。意外とこの歌は好きです。
 
そして…都心の一般道や首都高の渋滞でエネルギーを使ったため、お腹が減りました。
都心部の運転は、素早く正確に周囲の状況を判断して流れに乗るスポーツだと思っています。
 
なので…ねぎしでしっかり食べたのに、談合坂SAですた丼のメガ盛りを食べる!
 
コレは生活習慣病系男子まっしぐらじゃないですかね~?
大会で消費したエネルギーの倍以上栄養を摂ってしまいましたね。
 
 
で…


談合坂SAで、お弟子さんが会社へのお土産として東京ばな奈を買って帰ろうとしていましたが、どこを見渡しても無い!
 
あるのは東京ばな奈の類似品とヒヨコや人形焼とか。
店員さんに聞いてみたら、東京ばな奈は置かなくなってしまったそうな。
 
「東京 バナナの恋人」…東京ばな奈の恋人だとしたら、もはや他人ですし、白い恋人にネーミングは似せているけど形状等が全く違う!
 
「談合坂で東京ばな奈を買っていけばいいや」と思っている山梨県や長野県の皆様、ご注意くださいませ。
 
さて!


「ありあけの~ハ~バ~」学生時代に都内に住んでいた時、TVKでよく流れていましたね。
妹が神奈川寄りの都内沿岸部に住んでいるため、たまに正月などで行き合う際に買ってきて貰っています。
なぜかたまに食べたくなります。
 
 


既に閉店後でしたが、31アイスクリームでとんでもない物が売られているらしい…
ソフトクリームをメロンパンで挟む…甘い物を甘い物で挟むなんて、甘党にはとても魅力的かつ暴力的な食べ物ですね。
 
 
場所は移って双葉SA…


桃のソフトクリームを買い食い…
 
さて…ここまで暴飲暴食の休日を過ごしましたが…本日風呂上がりに体重を計ったところ、見事に2.5キロ増えていました。
仕事の時にヘルメットの顎紐がキツイように感じましたが、気のせいではなかったようです。
 
体重93キロの自分にとっては誤差の範囲ですし、代謝がめちゃくちゃ良いので、たぶん水曜日には元に戻っています。
筋肉こそ正義!

まぁ…そろそろ代謝が落ちてくるお年頃なので、ちょっと気を付けないとかなぁ…

つたの湯 ~道の駅 信州蔦木宿にある温泉~

2019年11月19日 | 温泉




埼玉へ帰省した先週のこと。

夕方、長野県に向けて車を走らせつつ、どこか温泉に入りたい気分…

当初、秩父から雁坂トンネル経由で山梨に抜けて、ほったらかし温泉に行きたいな…と思っていたのですが、飯能市街に用があって圏央道経由で中央道に乗ってしまったため、わざわざ勝沼ICで降りて…というのも面倒。

小淵沢ICを降りてすぐの「道の駅 小淵沢」にある「スパティオ小淵沢 延命の湯」が頭をよぎりました。

多くのミネラルによって黄色っぽいお湯の温泉で、確か自分がバイクの免許を取ってすぐの頃に一度行きました。

が、結局行ったのは「道の駅 信州蔦木宿」にある「つたの湯」…

以前から下道で山梨や埼玉へ行く時に通過していたものの、一度も寄ったことが無かったので気になっていました。

ギリギリ信州の温泉です。

 




結構遅くまで営業していますし、料金も700円なのでまあまあ。

いざ浴場に入ってみたら、若干塩素のにおいが気になりました。

とはいえ、ジャグジーがあったり、そこそこ広い露天風呂もあって何より露天風呂の湯加減がちょうどよく30分程寝ていました。

木曽の開田高原にある、やまゆり荘の露天風呂を彷彿させるちょうど良い湯加減でした。

先述した小淵沢の温泉より薄いものの、若干黄色味を帯びているかな?

泉質は普通な感じ? お肌ツルツルになる感じではなかったですね。





そしてお風呂上がりはビンのコーヒー牛乳!

日本に生まれて来てよかったと思える瞬間ですね。

自分にはエジプト人の友人がいるのですが、安定陸塊のエジプトにはもちろん温泉が無いそうな。国によって多種多様な文化があるわけで、日本の温泉文化…今後も永く続いて欲しいものです。

 




既に閉店後だったので買えませんでしたが、道の駅ではソフトクリームが…美味しそう…

蔦木宿の道の駅から塩尻までは下道で帰りました。

深夜の国道20号線は大型トラックがビュンビュン飛ばしているのでちょっとおっかないですね。

 

途中、八王子JCT付近でナビに事故/故障車マークが幾つも表示されていましたが、どうやら上り線で多重衝突事故があったようですね。

その影響で夕方の上り線渋滞は大抵、小仏トンネル~上野原辺りまでですが、大月JCTまでの大渋滞になっておりました。まるでGWやお盆休みの渋滞…

さらに双葉SA真下の上り本線上でもステーションワゴンのような車が単独事故。

本当に事故には気を付けたいですよね。

自分も平成最後の日にもらい事故を食らって、仕事を辞めない限り二度と無いであろう10連休を台無しにされたので(過去記事「平成最後の日にもらい事故」)事故は本当に嫌です。

今回の自分の事故でまだ救われたのは、愛車のSJフォレスターにかけていた車両新価特約が使えて、新型のSKフォレスターに変わったという点でありますが、相手方のイー〇ザイン損保の企業体質か担当者の杜撰さかは不明ですが、治療についての対応はとにかく酷いものであります(現在進行形)まあ…自分の保険、損保ジャパ〇日本興亜も後ろから撃たれかけたのでアレですが、とりあえず新車に乗り換えられたのでこっちは良しとします。

これらについてもいずれ記事として書こうと思います。

 

以前ラリードライバーの人が言っていましたが、サーキットやラリーコースより一般道の方が障害物、歩行者、慣れない運転者などがいて運転が怖いそうな。

また、フォレスターなどの車体剛性が高く排気量の多い車ではついスピードを出したくなりますが、「空気抵抗=空気抵抗係数×前面投影面積×速度の二乗」ですから、一定速度よりスピードを出せば出すほど空気抵抗が増えて燃費が落ち、タイヤの減りも早くなるうえ危険度は上がる…全く良いことが無いので、流れに乗って安全運転で走りましょう。 

 

これからの時期は温泉が恋しくなりますよね。

今年はどこの温泉に行こうかとワクワクしてきますね。


吾野の鉱山索道遺構

2019年11月14日 | 故郷の思い出



吾野の鉱山遺構…アズサズ林道の中腹にある鋼管鉱業吾野事業所跡(地元民が言うところの「鋼管の山」)は、ネットで意外と多くの方が紹介されていて、とても懐かしく、さらに故郷を知って貰えて嬉しく思います。

そしてさらに何名かが紹介してくれている索道跡の滑車…山の中に突如現れる錆び付いた索道のプーリーですが、コレをネットで最初に紹介したのは、実は自分なのであります。
約15年前の高校生の頃に開設していたブログで紹介したのですが、思ったより多くの方が見ていらしたのでしょうか?
「今は閉鎖してしまったブログで存在を知った」と書かれている方がいらっしゃり、そのブログは間違いなく自分のものでしょう。

吾野にある索道跡…かつて祖父から聞いた話ですが、吾野の南に位置する名栗に白岩地区という石灰石を採掘している(いた?)があるのですが、そこから吾野鉱山まで引かれていた索道の跡であります。

トップ写真のプーリーは多くの方が紹介されていますが、実はその延長線上、吾野駅側斜面に鉄塔も残っているのです。
木に紛れて分かりにくいため、これは初出だと思います。












写真のセンスが無いので、イマイチな感じですが…上手いカメラマンが撮ったら、山に遺された人類の遺構が自然に飲み込まれて行くような、凄くノスタルジックな画になるのでしょうね。
芸術的なセンスが乏しくすみませんねえ。

鉄塔にもしっかりプーリーが残っていますね。
タラップもあるのですが、さすがに錆び付いており、いつ破断するか分からないですから昇るのは絶対にやめましょう。

ちなみに、この鉄塔を間近で見たい場合は、プーリーが置いてある稜線から降りるより、行きの斜面を注視しながら歩き、見つけたら直登した方が安全です。



自分も鉄工の仕事をしていますが…リベット留めの構造物ってワクワクしますよね。

フルのリベット留めではなく、アングルとプレートは予め麓でリベット留めしておき、ここまで部材を担ぎ上げてからボルト取りして組んだということでしょうか?
さすがに山の中にリベットを焼く火床やコークスを持ってきて…ってのも大変でしょうし、リベットはカシメてしまったら動かないけど、ボルト取りだったら組む時に融通が効きますからね。

それにしても、100mmと75mmのアングルで組まれた鉄塔ですが、機械ではなくみんなでヨイショして荷揚げしたはずです。
本当に昔の人達は凄いですね…







高校生の頃、自分がここを発見した時は、鉄塔の真下に写真の木箱があり、中には油が入った缶と、同じく写真の底が抜けた油差しが入っていましたが、長年の風雨等で地表共々下へ流れておりました。

それにしても…山の中に突如現れるこの遺構…
初めて見つけた時は、もの凄く驚きました。

回想すると…

当時我が家の一員だった、柴犬のさくらさんと山に行くことが休日の楽しみでしたが…



ある日さくらさんと、吾野駅の裏山から道を登り、子の権現まで散歩に出かけました。
さくらさんも散歩が大好きだったので、休みとなれば大高山や子の権現まで散歩していました。



吾野駅裏山の、土砂崩れ跡のてっぺんより少し上にある、トロッコのレールが杭として打ち込まれている怪しい道…
前々から気になっていました。
野生児の勘で、コレは何かあるんじゃないか?と。

ハイキングコースは、この杭が続く坂の途中で左に折れて行きますが、そのまま杭がある獣道を真っ直ぐ進むと、山の稜線に出ます。
(ちなみに鉄塔は、この稜線に出る手前の山側にあります。足元と山側をよく見て登ってみて下さいね)

そのまま稜線を登って行くと、行き着くのがトップ画像のプーリーです。



最初は戦車が打ち捨てられているのかと思いギョッとしましたが、よくよく見たら、索道のプーリーでした。
よくスキー場のリフトを吊っている鉄塔にこんな装置ありますもんね。

「吾野の山にこんなものが…」と思いつつ、とりあえず写真を撮ったので、帰宅して祖父に見せたら、とても懐かしがっていました。

以上、回想終わり。



意外とまだベアリングが生きていて、クルクル回ります。
ちゃんと注油されていたのですね。

在りし日の索道には、ドラム缶を縦に半分に切ったようなゴンドラがぶら下がっていたそうな。
先述の通り、その索道で名栗の白岩地区や鋼管の山から石灰石を運んでおり、最終的には吾野駅山側の所にあったホッパーへ石灰石を運搬していたようです。



子供の頃、吾野駅の貨物扱いの遺構(写真)より山側の所にホッパーのようなものがありました。
このコンクリートの構造物は、どのように使われていたのか不明です。
何か設備があったのでしょうか?
祖父が生きていた頃に聞いておけば良かったです。

そしてその索道…
定期的に点検員がゴンドラに乗って、プーリーに注油していたそうな。
今では貨物用の索道に人間を乗せたら労働基準監督署が黙っていないでしょうが、安全は二の次の時代だったでしょうからね。
安全帯なんてカッコ悪いから着けないという職人さんが普通にいた時代です。

それにしても、吾野から名栗まで索道を通すなんて…よくそんな発想が出来たものだと驚きますし、部材の運搬やワイヤーの編み込みなど、作業者も凄い力持ちかつベテラン揃いだったのでしょう。
今では道路が発達しているので考えつかない運搬方法でしょうが、当時は索道による鉱石の運搬はごく普通に行われていたようです。
秩父の日窒鉱山にも索道の鉄塔が遺っていますが、秩父鉱山から小鹿野を経由して三峰口駅までを結ぶ、当時東洋一の長さを誇った索道もあったようなので、案外珍しいものでは無かったようですね。

とはいえ、設置にも相当な費用がかかるうえ、ランニングコストは洒落にならない額だったのではないでしょうか?
ワイヤーが切れたら…全員で担いで結線していたのでしょうかね?やってらんないですね。

まあ、当然道路事情の改善や自動車の発達によって、索道は姿を消しました。

祖父は身長160cm程の小柄ながら、若い頃は外麦の俵を5俵担いで貨車に積み込みしていたと話していましたが、昔の人は現代人とは比べ物にならないような力があったので、こうしたこともやってのけたのでしょう。
自分も現代人の中では怪力の部類に入ると自負していますが、昔の人達の中だったら、そこそこ力持ち程度だったかもしれないです。


ちなみに






(合流地点)

プーリーの稜線をさらに登って行くと、前坂、大高山、子の権現方面に行くハイキングコースと合流します。








そして、先述のレールの杭がある道から索道の稜線と合流する道の中間に「りゅうがい山」という山へアクセスする道があります。
「りゅうがい山」とは「要害山」が転訛した地名で、字の通りかつて岡部六弥太忠澄という人物が治めていた山城がありました。

今でも堀切などの遺構が現存しております。

麓の旧坂石尋常小学校跡~白髭神社付近には屋敷跡もあります。

大学生の頃に、ここの研究をしておりましたが、その論文がどこへ行ってしまったやら…

これら吾野の山…自分にとっては庭であり、足腰や腕力などを鍛えてくれた先生でもあります。

剣道着姿に草履を履き、自作の木刀を持って獣道をさくらさんと走り回っていました。
トレイルランの出で立ちの時はハイキングコースを走っていましたが、道着姿の時はハイカーの方の迷惑、恐怖になるので、獣道か自分で作った道を走っていましたね。
当時は丸刈りでしたから、風貌はまさに西郷さんでしたし。

そして山が鍛錬してくれた自分の体は、未だ健在であります。
山こそ草履で歩くことによって、母指球に力が入り、指で地面を掴むように歩くため、体の内側の筋肉を鍛えられる最高の場所だと思います。
今回の帰省時にココを見に行った時も、もちろん草履で行きました。

とはいえ…草履は歩き方を間違えると滑ってかなり危ないですし、鼻緒が切れて裸足で歩いた場合、足裏を切って破傷風というリスクもありますから、全くおすすめはしません。むしろ絶対に真似しないで下さい。
吾野駅から子の権現まで山をショートカットして、45分で行けるような野生児だったからこそ問題無かったですが、普通の人だったら怪我や遭難するのが関の山です。

そして最後に…


ゴミは必ず持ち帰りましょう。
ビニールやビン缶は土に還りません。
本来自然に無いものを自然に捨てる行為は、自然で遊ばせてもらっている者がするべきで行いではありません。
当然のことですが、その当然のことが出来ない人間が山に来る資格は無いと考えます。



長野県の里山ではあまり見かけない、ほぼ針葉樹の山…
かつて林業で栄えた西川地域の山の姿であります。
これが自分の故郷の山であり、庭であり、友達であり、先生であります。

今回ご紹介した遺構に立ち寄って頂ければ、ハイキングのちょっとしたアクセントになる事でしょうし、都市部からのアクセスも良く、比較的簡単な山域なので、安全に注意して頂いて吾野の山を楽しんで貰えれば、出身者として非常に嬉しいことであります。

埼玉へ帰省

2019年11月11日 | 故郷の思い出


埼玉の実家に用があったため、日の出と共に塩尻を出発。

前回の帰省はGW中でした。
が!道中の山梨県内で貰い事故を食らって酷い目を見ましたね。
今回は無事辿り着きました。

「ああ、えーちゃん久しぶりだねー帰ってきたのー?」と、ご近所の人達から言って貰えるのは嬉しいものですね。

用を済ませたら時間はちょうどお昼。
父親とどこかメシでも…
ということで、埼玉に来たからには埼玉らしい物を食べたい。しかもガッツリと!

埼玉の名店。そしてガッツリといえば…言わずもがな悦楽苑ですよね?

ちょっと写真の撮り方が良くなかったため、ボリューム感がイマイチ伝わらないのですが、味噌チャーシューの「並」で既に形は富士山です。

もやしの量が半端なく、もやしを食べ終わる頃には麺が伸び始めている感じではありますが、それがこの店のアジであります。

チャーハンやカツカレーなど、他のメニューも量が半端ないので、学生の頃からお世話になっております。
高校生の時に仲間数人と行って全員味噌チャーシュー大盛りを頼み、地獄絵図と化していたのも懐かしい思い出です。

ここの店主はモータースポーツ好きであり釣りも好きなので、帰省した時は同じく釣り好きの父とよく行くのであります。





そしてオリジナルTシャツが販売(2,000円)されていたので、迷うことなくお土産に買って帰りました。



次! 埼玉のB級グルメといえば「みそポテト」…

じゃがいもの天ぷらに甘じょっぱいタレがかかっている逸品です。
芦ヶ久保の道の駅では、出来たてのサクッとしたみそポテトを食べることも出来ますし、お土産で持って帰ることもできます。
「ちちぶ餅」も売られていたので、もちろん両方ともお土産に。

秩父に来たら是非ご賞味あれ!

そして…

台風19号の爪痕が至る所にありました。

中央道も所々、法面にブルーシートや擁壁で養生されていましたし、国道299号線は高麗川に沿って流れているため、越水してゴミや水圧により曲げられたガードレールや陥没した歩道などが散見されました。

故郷のでも…




橋へ行く道が通行止めになっていたので、何があったのかちょっと見に行ってみると…




あれまぁ…

赤く塗られた鉄板の橋が架かっていたのですが、橋台は抉られ、半分より手前は橋桁ごと流されてしまっていました。

よく我が家にいた柴犬のさくらさんと渡った思い出の橋で、川向うの河原でもよく遊びましたが、諸行無常とでも言いましょうか…

実際のところ、自分に利害があるわけではないのですが、少しずつ変わっていく故郷の姿に何か悲しさの様なものを感じました。

いつの間にか開いていた坂石町分トンネルのように、より良くなった変化ではなく、後退した変化だったからでしょうか?

吾野のが繁栄していた頃の面影といえば…
それはまた今度書きたいと思います。

帰りは17時過ぎ頃に故郷を出発し、圏央道経由の中央道コース。
雁坂トンネルを通って帰ろうとも思ったのですが、道大丈夫?と思ったので無難に高速ルート…

八王子JCTの中央道上り線のナビ上に事故車/故障車のアイコンがいくつも出ていたので気になりましたが、どうやら多重衝突の事故があったようですね。
いつも夕方に長野方面へ向かって走っていると、対向の上り線では小仏トンネルから上野原or談合坂SA付近までよく渋滞していますが、昨日は大月JCTまで渋滞していたので、GWやお盆休みレベルの渋滞でしたね。




お夕飯は談合坂SAで…昼もラーメン、夜もラーメン…
すた丼を食べようと思ったのですが、かなりの行列が…

サービスエリアのフードコートは子供の頃から大好きです。
あのワクワク感は一体何でしようか?

甲府の夜景を横目にひたすら走っていたら、双葉SA真下の上り線でまたもやステーションワゴンのような車が180度向きを変えて事故…

自分の事故のように、自分が気を付けていても突っ込んでくる時もありますし、笹子トンネルのように飛来物、落下物、や自然災害など、どうする事も出来ない事故もありますが、「よそ見さえしなければ…」や、「スピードさえ出さなければ…」などと、自分の不注意が招く事故もありますから、せめて後者の事故だけは起こさないように努めなければなりませんね。

また次回の免許の更新もゴールド免許で書き換えられるよう、安全運転で走りたいものです。



初霜

2019年11月06日 | 信州の暮らし



昨日の朝は、やけに寒いと思いつつ家を出ましたが、畦の草が真っ白に…
ついに初霜が信州にも来ましたね。

天気が良い日は健康のために自転車通勤を心掛けております。
同時に車通勤では気付かない季節の移ろいも感じられるので、毎日の通勤が楽しいです。

” 面白き こともなき世を 面白く すみなすものは 心なりけり ”

「面白いとは言えない世の中を面白いと思えるか否かは、自分の心持ち次第だ」といった意味になるこの歌を詠んだのは、幕末の尊王攘夷の志士、高杉晋作であります。(一説によると下の句は野村望東尼が詠んだらしい)
自分が好きな歌の一つです。

疲れていたり悪い事が起きたりして、心に余裕が無くなってくると、つい悲観的になったり周囲の人達を恨めしく思ってしまったり、マイナスの感情が働くものですが、悪い状況下でネガティブ思考になると、さらに負のスパイラルに陥って余計悪い方へと事が運んでしまいますよね。
一難去ってまた一難と…
だから悪い事は続くというのでしょう。

一陽来復とは言うものの、悪い事象が身の上に起きて、毎回「これはとても良い事が起こる兆候だ!」と喜べるか…?
そこまで人間は強くないと思いますし、恥ずかしながら自分も然りであります。

そんな時にはこの高杉晋作が詠んだ歌を思い出して、自身を奮い立たせるよう努めております。

大変な時であっても、なるべく悲観的になったりせず、常に自然が見せてくれる表情に喜びを感じていられるような人間になりたい。
そのように思うものです。