心のエステ    

心の痩身

(不要な感情解放、)

シータヒーリングの交換セッション

2012-02-25 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
シータヒーリングの交換セッションをしていて面白いことにきづきます。

その方が持っているものが、私とダブっていることが多くあるんです。


(1っ歩がなかなか踏み出せない)とかもありました。



また「昨日、タイタニックの映画を見て、、、」と言われた瞬間、

私は(楽隊だった)ことを思い出したんです。


中学生の時、タイタニックの本を見ていた時、

そうだ、私はタイタニックに乗っていた。

水かさがあがってくるなか、なぜか心はとっても穏やかに

笑顔を浮かべバイオリンを弾いていた。  ということを。



それで、その方に(タイタニックに乗っていた)をチェックしたら

そのかたも乗っていたんです。

その方はリアルに(息ができない)と苦しくなったりしていました。


もちろん、解決しました。


こうして、相手が持っているものが自分にもあるということが

よくわかります。



ある日は、やはりお相手の方と同じ(らい病)の記憶も。

一緒に解放したのでした。




交換セッションで気付いたこと

2012-02-22 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
先日、若い子とセッションしていて気付いたことがあって、

愛=愛情だったんです。



若い方に限らず、こう思っている人とっても多いと思います。


しかも範囲は彼氏(彼女)限定で、 愛=愛情=Se〇なんですね。



この結果、本人にとって邪魔な存在や都合の悪い存在を

作り出したりしている。

種をまいたのは自分だという事も忘れて。



今日もニュースで、あまりにも痛ましいわが子への虐待。

目を覆いたくなります。 (気付いて)と叫びたくなりますね。



愛は平等にあたえ、慈しみ育て、信頼しきることだったら

どんなに平和だろうな~と感じたところです。





もう一方違うケース、「豊かになりたいんです」って。


これって、「私は豊かではないですよ」と言ったことになります。


引き寄せの法則からすると、豊かではない現実を生むことになります。

そうは言っても、100%豊かでないのに豊かと思うのは無理がありますね。


じゃあどうしたらよい?  (笑)


ここで終わったら、文句がきそうです。


でも、終わりです。(爆)


その方には、こうしてみてって言っておきましたから、ご心配なく。



いとも簡単に、かなりな出来の思い付きがあったんです。

1昨日は思いついてしてみたら、見事に解放していたので、もうビックリ。

体のこと

2012-02-20 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
人間は、ほんらい果食動物だって知っていました?


チンパンジーと見分けがつかない程、消化器官がそっくりなんですって。


きっと皆さんが感じていらっしゃる反応とおなじに

3年前にはじめて聞いたときは、まだ受け入れられずに

「それ、ほんと?」っていう反応だったんです。 わたしも。




意志に沿って体も変化していくって、前に書いたように

やっぱり、すごく変わってきているんです。



自然に四足動物の肉が食べたくなくなったり、果物と野菜が

とっても幸せ気分になれるって実感したりと面白い変化を

楽しんでいます。




すごいスピードで人々の意識が上昇していくにつれ、自然に

身体も変化していくんでしょうね。

どの様にかって、自然に還っていくように思います。



30代の頃、ヨガの先生が食の事も教えて下さいました。

医食同源という言葉がありますが、食するものは身体の薬

で、私たちの肉体を育て、精神を育てるって聞けば、

よく学んで慎重に活用したいものです。




自然のサイクル、お日様とともに活動はじめ、日が沈むと

寝るまでの間は、落ち着いた静かな時を過ごし、


土に根を張る植物や実を食し、よく身体をうごかし、、、、、、




身体のサイクルを知って、体内に毒素をめぐらせない事も大事。

朝は排泄、昼間は摂取、夜は消化と知ると、必然的に食のサイクルも

みえてきますよね。




朝は排泄なら、食べてはいけないの? ではなく排泄を補う

ようなものを。

というのは、胃を働かせなくて済むような、水分たっぷりな

フルーツや、ベジタブルジュースなどが優秀な食材というわけです。


けっして、ベジタリアンを推奨するつもりはありませんが、

やがては、このように食事のあり方も変化していくのでは?

と思ったりします。

あなたの為のカード

2012-02-13 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
自分癒しの為に、ヒーラー、セラピストさんの手を借りていた頃、

何人かの方に石やカード、アロマを扱ったら良いと勧められたんですけど

私にはワクワクするような気にもならず、まったく関心が湧かない事だったんです。


何故と問われても、いつも私の答えは「私には必要ないようです」って言ってました。

さらに何故の問いに、いつも口を付いて出る言葉「この身だけあれば十分」って。



一体なに様? な返答です。(爆)



でもこれは、私の思考がはたらく前に、さきに口をついてでてくる言葉。

いつも(私は守られている)という絶対が、私の心に灯をともし続けている

ことを小さい時から感じていて、唯一この(私は守られている)

という思いが私を勇気づけていました。



口を付いて出てくる言葉や、湧き上がってくる思いも、言葉も

この灯からだってことも知っています。

だから、何だかわからなくても即座に答えることができたし、しかも

それも、ゆるぎない自信をもってです。(笑)




それは、私の特異な特徴?  ではなく全ての人の心に宿っている

ソースの分身だとおもっています。



随分横道にそれちゃいました。

今日は、カードのことについてです。(笑)


で、カードに関心を持てなかった理由は、自分の力を補充してもらうもの

という捉え方をしていました。


ところが、プレゼントして頂いたカードをソースに繋がってひいてみて

びっくりしました。

「こんなにジャストなタイミングでアドバイスが頂けるんだ~」と

今頃、感心したわけで、だったら、読者の皆様に(今日の勇気)を

1枚ひいて載せることにしました。

お楽しみに。

自分を癒す。

2012-02-10 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
思いっきり泣き叫んで、わめいて、言いたいことを主張する。


これ、小さい子供だけの特権?





特権って言ったのは羨ましい程、その場ですぐ解放しているからです。



誰でも怒りの感情もかなしみも、憎しみも時にはあったりするでしょ。


幼い子のように、その感情が発生した時点で、泣いてわめいて叫ぶ事が出来たら

少なくとも自分を責め、うっせきすることは免れそう。





かといって、今さら幼子の真似はできない。



私たちも幼子だった時、泣いてわめいて主張して、精一杯自分を守れたのに、

いつからかしら、生きていくうえで1番大事な(自分を守る)ことを放棄して

しまったのは。




ある日弟が生まれ「お兄ちゃんなんだから」と言われて我慢せざるを

得なかったのでしょうか。


近所の子とけんかして、年上のその子に従わざるを得なかったときでしょうか。


学校で傷付くことを言われ、「学校に行きたくない」といったら、

事情も聞いてくれずに、行かない事を激しくおこられたときでしょうか。




その時のくやしさ悲しさの感情に充分浸り、もういいと思うまで感情のままに

まかせて解放するのも一案です。





気のすむままに。




怒鳴ってわめいて、泣くだけ泣いて



そして洗われて。




それが、自分を守るという一番大事な基本のようにおもえる。

少し自分を感じられる方は、その感情に浸っている時の身体に

出ている反応を見つめると、思わぬプレゼントが有るかもですよ。(うふっ)





色々な感情のまっさかりにある時、内部にあるから引き寄せているとか、

納得いかないまま手放したところで、それは解放ではなく

ただ、ふたをして閉じ込めた状態。



いつしかその場面を思い出してはその感情が噴き出してくる。



本当は、「もう手放していいよ」というサインで噴出しているのに、

そんなこと忘れて感情におぼれて乱れてしまう。






何故今日こんなことを書いたかというと、20代の頃だったかしら、

そんな子を見た時、(いいな~私もあんなに出来たらどんなにいいかしら)

と私の中のインナーチャイルドが感じていたことを、昨日ふっと思い出したので。



感情が、その後の人格形成や生活環境に影響されていくとしたら、自分を癒すって

だいじですね。

個々のその下を垣間見て。

2012-02-05 | 学び、癒し、希望、生活、メンタル、心身、
私の関心を、大いにそそる(生きる姿勢)で生活されている方に

昨日あってきました。




思った通り、スケールのちがう大きさだったんです。



この方が屋久島から出てこられ、今ご家族と旅をされてます。




宿泊施設ではなく(地球人家)という大家族として、迎える側も、

久々に里帰りする家族を待ち望む様に、誰もが宿を食を提供し合える。

そんな生き方です。




そこには、お互い様の精神が根付いていました。


何だか、ひと昔、あるいはふた昔の日本人の心だったように感じます。



そして昨日の宿に、お邪魔して来ました。



一人、場違いのように参加した私でしたが、そんな感情は不要だったことの証拠に、

またたく間に、心地よくその場になじんでいました。



当たり前のようにハグしあって、老いも若きも、国籍も職業も何の隔たりもなく、

集まった誰でもが存在そのものを尊重して受け入れて、集うもの皆家族のごとくに、

(みんなが繋がっている)エネルギーを充分に感じさせてもらいました。





心理学を学んで知ってはいたけど、個々のその下は全てがつながっている。



一人一人のように感じていた底の、皆繋がっているその部分を垣間見て感じてきました。


意識が変化しているのを自分の深くが喜んでいた。




生きることに真剣に向き合って、そして存分楽しんでいる人々が集っていた。


そして、何より人の為に出来る事を模索しながら生活をしていた。



私が望む生き方がそこにはあったのです。


そして意識するしないはともかく、深い部分では皆が望んでいること。