No.27と同じ日に歩いた別のコース。
大阪あそ歩 No.129 大正区
朝鮮通信使も通った唐人澪
~水都遊興の地・尻無川の過去と現在~
「江戸時代、尻無川は商都・大坂の玄関口として発展しました。春は潮干狩り、秋は櫨(はぜ)の紅葉などで賑わい、
「浪花百景」や「摂津名所図絵」にも記されるほど大坂庶民の遊興の地として有名でした。
また秀吉の朝鮮出兵で国交が断絶していた朝鮮との交流が幕府の努力によって再開されると、
尻無川は「唐人澪」と呼ばれ、華やかな国際交流の舞台となり、平和への玄関口ともなりました。」
スタートは 木津川口遠見番所跡
1 木津川口遠見番所跡 (前出なので説明は省く)
2 大正橋 (前出なので説明は省く)
3 三川合流の地
「尻無川・木津川・道頓堀川の三川が合流する様子が眺められる珍しい場所です。
大正区・浪速区・西区が交わる地点でもあります。」
4 大地震両川口津波跡
「嘉永7年の大地震で水上なら安心と小船や茶船に乗って遭難する人が数多くいました。
ところが大坂湾に海嘯現象(河口に入る潮波が垂直な壁となって河を逆流する)が発生して
多くの人が波に呑まれ、甚大な被害を及ぼしました。石碑は惨状と教訓を後世に残すべく、
地震・津波時の心得を記しています。」
5 岩松橋と岩崎運河
「豪商・福西岩松が架橋したので岩松橋と名づけられました。
橋下を流れるのは岩松運河で、これは大正9年に開削されました。・・・・」
大阪アドプト・リバー・プログラム
「地域の団体等に河川の一定区間の美化活動を継続的に行っていただくもので、
河川管理者、参加される団体、および地元市町村の三者で、参加団体の美化活動の内容や、
河川管理者、市町村の協力、分担内容などを定めて協定を結ぶものです。」(大阪府HPより)
紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。
Mameshiba
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