久しぶりに歴史小説を読みました。
”93歳の関ヶ原”の著者、近衛龍春さんの
”家康の血筋”という歴史小説です。
家康の息子たちのうち、5人を主人公とした
5つの物語で構成されていました。
まず第1章から読んでみました。
第1章は、長男、信康が主人公の話です。
信康くん、大河ドラマに登場しています。
先週は、幼いながら信長の娘と結婚して、
喧嘩ばかりしている、というシーンでした。
喧嘩の原因がお饅頭とはカワイイなぁ~。
この後、信康くんはこの夫婦関係が悲劇を
呼び込み、21歳で切腹を命じられます。
ドラマの中で、信長の娘、五徳が言いました。
「それなら、お父様に言いつけます…!」
これ、子供同士の喧嘩でよくある言葉です。
でも、大人になって再び、五徳はお父様に
言いつけた…!五徳から信長への書状が
”信康くん切腹事件”に発展するのです。
家康の長男、信康が切腹させられたのは、
歴史上の事実です。事実なんだけれど…。
夫婦関係、”五徳の告げ口”だけでなく、
その背景は、思ったより複雑なようです。
これまでに伝えられてきた話としては…、
家康は、居城を岡崎城から浜松城に
移すのですが、岡崎城を任せた息子、
信康が成長するとともに、父、家康と
微妙に意見の食い違いができてきた…。
家臣同士も対立…。浜松城に移った家臣と
岡崎城に残った家臣の間に溝ができた…。
それが、”信康の切腹”を導いてしまった
…とも考えられるようです。
また信康とその母が、敵である武田のものに
密かに調略されていたという説もありました。
家康がそれを知ってしまった。怒りのあまり、
自ら信康に切腹を命じた説があります…。
また、信康の切腹を命じたのは信長…。
家康は信長の命令に逆らえず、やむなく
家を守るため、信康を切腹させた説も…。
本当はどうだったのでしょうか…?
近衛さんの歴史小説”家康の血筋”では、
どのように描かれるのでしょうか…?
また、大河ドラマ”どうする家康”では、
どのように描かれるのでしょうか…?
では”家康の血筋”を読んでみましょう。
第1章は、関ヶ原の戦いのシーンで
始まりました。家康がつぶやきます。
「倅がおったらのう…。」
”倅”とは、次男の秀忠のことではなく、
切腹させた、亡き信康のことでした。
それだけ父、家康にとって信康は
大きな存在だったのでしょうか…。
読み進むと、中間の大きな見せ場…。
武田方との戦い、”長篠・設楽原の戦い”が
描かれます。すさまじい戦闘シーン…!
圧倒的な信長&家康軍の勝利でした。
一方、岡崎にやってきた歩き巫女の話も…。
歩き巫女は、全国各地を歩き回って、
祈祷したり、呪術を行って生活する者です。
それだけでなく、遊女のようなことをしたり、
敵地に忍び込み、状況を調べて報告する
スパイ活動をしたりする者もいたらしい…。
”家康の血筋”では、歩き巫女の集団が
岡崎の築山稲荷にやってきたシーンが
描かれていました。そして歩き巫女は、
この近くに住む家康の正室、信康の母、
築山殿のもとに、うまく入り込むのです。
それとともに、唐人の鍼灸師も現れます。
彼は体調不良だった築山殿を治療して、
築山殿の厚い信頼を得ていきました。
歩き巫女と唐人は、築山殿を度々訪れます。
ある日、歩き巫女は、築山殿に託宣しました。
今川義元の霊(?)を呼んで、義元からの
メッセージを伝える…、という展開でした。
「このまま武田と戦い続けると、徳川は滅びる。
そなたの息子を武田の味方にするように…。」
今川義元の霊(?)は、築山殿に語ります。
築山殿はそれを信じ込んでしまいました。
そうしているうち、息子、信康にも築山殿より
武田方と関係を持つ側室が送り込まれます。
信康は影響され、段々、武田との和平調停を
望むようになる。その結果、家康の怒りが…!
歴史小説では、このように描かれていました。
歩き巫女たちは武田のスパイだったのです。
なるほど…。面白く描かれていました。
大河ドラマにも歩き巫女、登場しましたね。
あまり詳しく書くとネタバレになりますので、
ここまでにしておきましょうか…。
大河ドラマ”どうする家康”では、このあたりが
どのように描かれるか…?とても楽しみです。