「今日も」と「も」を重ねなければならないところに今年の夏の特徴がある。
昨日も1日中雨だった。そもそも雨の終戦記念日というのはほとんど記憶にないくらいだし、甲子園の高校野球も2度目の中止になった。
振り返ってみれば、成層圏にまで届くような真っ白で力強く沸き立つ入道雲をまだ一度も見ていない。
そんな半人前の夏のくせに暑さだけは一丁前で、と言ったって悪徳商人が不純物を混ぜて売りつける品物のように、湿気ばかりをテンコ盛りにして膨らましたような、まがまがしい空気を送ってくるから、南や北で大雨を降らして大災害を引き起こし、それ以外のところには不愉快な蒸し暑さを押し付けてきている。
ったく太平洋高気圧はいったい何をさぼってるんだ! お前さんがもっとデンと構えていたらこんなことにはならないだろうに、いい加減にしろと! と胸ぐらをつかんで発破をかけたい気分だ。
でも、もう多くは望めないだろう。奴は何に怖気づいたのか、すっかり弱気になってしまっている。
来週こそ太陽が戻ってくるというのが気象予報士とやらの見立てだが、ちょっと待てよ、何で来週まで待たなきゃなんねぇ~んだ! って気分である。
今日はまだ水曜日だぜ。まだぐずぐずと雨を降らせるつもりか…
「過ぎ去った夏の思い出…」なんていういささかセンチメンタルな追憶の仕方もあるけれど、今年ばかりは趣向を変えて「やって来なかった夏を偲んで…」なんていう切り口はどうだ?
それっきゃないだろうよ。
やけっぱちの気分だが、俳句で偲んでみる。
暑き日に娘ひとりの置所 武玉川
薄着で寝そべったりもできなかった江戸時代の娘たちは大変だった。
真処女(まおとめ)や西瓜を喰(は)めば鋼の香 津田清子
一方でスイカってのは生臭い匂いもかぎ取れるんじゃなかったっけ。艶めかしさを感じるけど「はがね」を考えると「若さの張り」ってところを強調したいのかね。
蟵(かや)に寝てまた睡蓮の閉づる夢 赤尾兜子
先ごろ亡くなった大岡信は「一見優雅な夢想をえがいているようだが、内実はむしろ戦時下日本の外的現実に対する拒絶として、内向的な孤独世界を築いていたのだとみられる」と評している。
ならばこの句も。
夏の海水兵ひとり紛失す 渡辺白泉
金魚売買えずに囲む子に優し 吉屋信子
ボクの子どもの頃は夏になると金魚売のおじさんが天秤棒に金魚の桶をぶら下げて売り歩いていたのを思い出す。
美しき緑走れり夏料理 星野立子
夏料理の真髄は目に涼しくて味はさっぱり。
涼風(すずかぜ)の曲がりくねって来たりけり 小林一茶
江戸の町の裏長屋にはまっすぐに風は届かないのだ。今年の夏は曲がりくねるどころか、そよとも吹かなかったんじゃないか。
次はうだる町中から一気に清流へ。
山の色釣り上げし鮎に動くかな 原石鼎
水ふんで草で足ふく夏野哉 小西来山
夏山の大木倒す谺(こだま)かな 内藤鳴雪
向日葵の大声で立つ枯れて尚 秋元不死男
くもの糸一すぢよぎる百合の前 高野素十
最後に好きな句を2つ。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 松尾芭蕉
蟻の道雲の峰よりつづきけん 小林一茶
夏ってのはいい。夏は大好きなのだ。
雨の中、ハナミズキの枝にシジュウカラが何か咥えてたままやってきた。足で押さえてしきりに突っついていたが、どうやらセミのようである。弱ったセミでの捕まえたのだろう。
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