日曜日の円覚寺の坐禅会の後、県道を挟んだ反対側の東慶寺に寄り道した。
2度の元寇に立ち向かった執権・北条時宗が両軍の戦没者追悼のために円覚寺を開いたのに対し、東慶寺は時宗夫人の覚山志道尼によって建てられている。
夫唱婦随のような寺と言うべきか。
女性から離婚できなかった時代に東慶寺に駆け込めば離縁が出来たことから、女人救済の「駆け込み寺」「縁切り寺」として明治に至るまでの600年間、その寺法が守られてきたことで知られる特別な寺である。
奥の墓地には西田幾太郎、和辻哲郎、岩波茂雄、小林秀雄、高見順、織田幹雄ら多くの著名な人々が眠っている。
明治期に30代の若さで円覚寺管長に就き、西欧に禅を紹介した釈宗演は円覚寺を退いた後、衰退した東慶寺を立て直したことでも知られるが、この人物もまたここに眠っている。
釈宗演に背中を押されて多くの著作をあらわして禅の思想を世界に広めた鈴木大拙の墓もここにある。
庭の手入れがとても行き届いている寺で、季節季節に咲く花が美しい。
5月のイワタバコの群落は見事だし、特に本堂裏手の崖一面に生えているイワガラミの花が咲く6月には期間を限って特別公開されるので、一見の価値がある。
寄り道をしたのはよく手入れされたウメの咲き具合は如何に、と思ったのだが少し早かった。
円覚寺が南に開けた谷戸に伽藍が展開されているのに対し、ここ東慶寺は円覚寺に向き合っているせいか、北に面した谷戸に建てられている分、ウメの便りは幾分遅れ気味である。
お陰で観光客の姿もまばらで、先駆けて咲いているわずかばかりのウメの香を嗅ぐには絶好と言ってよかった。
(この辺りはちょっと負け惜しみ気味だが…)
写っている下駄ばきの雲水は円覚寺から行儀よく縦1列になって歩いてきた
正面奥の山に円覚寺の伽藍が広がっている
まだチラホラ
白壁にウメの枝ぶりが映える
どこかウキウキしている ?
白梅の後の大きな梢はハクモクレン だいぶつぼみが膨らんできている