願った通り雪にはならず、その代わり1日中冷たい雨が降り続いた。
ベランダのガラス戸をちょっと開けて外の空気に触れてみると凍える寒さで、よくこれで雪にならないもだとヒヤヒヤした。
何もすることがないので、午後からはコタツのシミになって過ごす。
巻き上げ式の障子のような質感の光を通すカーテンを「雪見障子風」に巻き上げ、座った位置の目線のところだけ開けて庭の様子を眺める分には雪の方が風情があるのだが、後先を考えればやはり雪は面倒くさい。
それに、立春が過ぎて初めての雨だし、待ち望んだ「春雨」である、しみじみと楽しみたいではないか♪
好きな句がある。
春雨やゆるい下駄借す奈良の宿
与謝蕪村の句だが、京都とは一味も二味も違うゆったりとした時空の中に時を刻んでいる奈良と言う古い都を、細かな説明なしに「あぁ、なるほどね、言われてみれば…」と納得させてしまう句だと思う。
高校を卒業したばかりの3月、奈良に1人旅をし、多武峰のユースホステルを出て明日香村まで一人で山道をたどってテクテク歩いた時だった。
村にたどり着くまで人っ子一人すれ違いもせず、いささか心細くなったころに野犬と鉢合わせしてお互い立ち尽くし、どうなる事かと思ったり…
あの時も時々弱い春雨が落ちてきていて、はるか遠方に小雨にけぶる明日香村の家々が見えた時はホッとしたものだった。
記憶が飛んでいるのか、山道を降りたところから石舞台がすぐ近くだった気がする。…と言うよりなにより、山道の途中から石舞台が良く見えていて、疲れ気味だった足取りが軽くなったのを覚えている。
春雨と聞くと必ずあの時のことを思い出す♪
蕪村には春雨を詠んだ句が少なくない。
物種(ものだね)の袋ぬらしつ春のあめ
春雨や小磯の小貝ぬるるほど
春雨の中を流るる大河かな
春雨に下駄買う初瀬の法師哉
春雨や人住ミて煙壁を洩る
正岡子規のこの句もまた印象に残る。
あたたかな雨が降るなり枯葎(かれむぐら)
かたまって枯れている庭先の雑草に降りかかる雨の、どこか春めいてうるんだ感じ…
わかるんだなぁ…
カラッカラだった庭にたっぷりの水分がしみ込んで、植物は息を吹き返し、より一層元気に成長していくことだろう。
それがなによりだ♪
良い春雨になった。わが養生中のバラたちもホッと一息ついているんだと思う♪
浄智寺のウメとロウバイ