それも真っ白な障子越しに外の光が柔らかく降り注ぐ座敷で板わさや炙った浅草のリ辺りを肴に酒を飲みながら互いの句を批評し合い、締めにもりそばを手繰る。
ボクらの句会・二合会がこのシチュエーションにこだわるのは、やはり俳句は洒脱さが命だと信じているからで、加えて粋であるべしと思い込んでもいるからでもある。
昨今はそうした洒脱さや粋を手助けしてくれる蕎麦屋自体が減ってしまってきているのがとても残念だが、そういう絶滅危惧種的な蕎麦屋が横浜の港近くにあって、昨年末の忘年句会に引き続いて初句会をこの蕎麦屋の2階で開いた。
座敷の半分がフローリングされてテーブルと椅子がデーンと置かれた部屋だが、そこは元座敷なので畳も残っているし、もちろんガラス戸の内側には障子がしつらえられているから、蕎麦屋の2階としては申し分ないというべきだろう。
古希に達した人間がメンバーの中心なのだから、畳に長いこと座るのも何かと不都合で、むしろ願ったりかなったりの部屋と言ってよい。
何より素晴らしいのは日本酒でも焼酎でもウイスキーでも、部屋にあるものは何でも飲んでいいという信じられない太っ腹な店であることだ。
ボクと数人は冷蔵庫に冷やしてあった宮城の「浦霞」を1本空にしてしまい、次に鳥取は米子のナントカというこれまた辛口の日本酒の栓も開けてしまった。
こうなると、何だ単なる飲み会をやっているのかと誤解されそうだが、さにあらず。
午後1時半から始めて5時を回ったところで「この部屋は6時からの宴会の予約が入っているからぼちぼち空けてくれないかしら」と女将に言われるまで、みっちり句を吟味し合ったのだ。
団塊世代の評判というのは他の世代から見るとあまり芳しいものではない部分もいろいろあるそうだが、我らを見たまえ、かくのごとく真面目で真剣であるぞ、と穏やかな口調で遠慮がちに言いたい。
で、午後6時前のもうすっかり夜のとばりが降りてネオンが瞬く巷に放り出されたメンバー数人は、まだ放出しきっていないエネルギーを燃焼し尽くすべく、飽きもせず杯を重ねたのだった。
そこでは句会の合評に仕方にもう一工夫あってしかるべきだなどという意見が出て、次回の「3.11」の日に設定した句会では今回の議論を生かそうということになった。
ボクなんか、もうちょっといい加減でもいいんじゃないかとさえ思うのだが、タジタジな気分である。
追伸。そうそう、今回は9人が出席したのだが、1人だけ欠席した80歳の元気印の大姉御が、「私、正月から事件(?)に巻き込まれて、その処理で体調がおかしくなり、精神がもうメロメロ。雪の飛騨行きのバス旅行に行って癒してきま~す」というメールを送り付けて休んでしまった。
一同あの元気印が……と絶句の思いだが、どうすることも出来ず、一番若い女性、と言っても還暦直前だが、彼女にそれとなく様子をうかがわせて、手を差し伸べる必要があれば白馬の騎士になろうぜと血判までは押さなかったが、心配なことである。
さて、ボクの提出句。兼題は「大根」。吟行は蕎麦屋近くの伊勢山皇大神宮と崖の上に立つ成田山新勝寺横浜別院境内で行った。
大根はセーラー服を纏いけり
「で~こん」をハフハフつつく屋台かな
崖の上節分会待つお不動さん(吟行)
警策の障子震わす初坐禅
毎年よ睦月がノロノロ遅いのは
節分会を待つ成田山新勝寺横浜別院の本堂
本堂前は空中テラスのようなものが張り出していて、宙に浮いているのだ!
3年前に崖の整備と本堂の建て替えが行われたというが、それまでは本当に崖にへばりつくように建っていて、今にも転げ落ちそうだった
隣は横浜港が開港された後に出来た伊勢山皇大神宮
こちらも真新しい本殿が
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