平方録

〝牛若ジジイ〟の衝撃

そこは垂直の崖にはしごを立てかけたような急階段である。
高さは16、7メートルくらいだろうか。
この日は普通の速度でよどみなく上り切ったのだが、足は鉛が詰まったように重くなり、ゼイゼイと息も切れたので階段の頂で振り返って海を見ながら呼吸を整えていたんである。
すると階段の下に現れた一つの影が、こちらをチラッと見上げたかと思うと、音もなく、あっという間にボクの立っている脇を、息も切らさずに涼しい顔をして通り過ぎて行ったのだ。

帽子を目深にかぶった散歩姿の男の横顔がチラッと見えたが、若い男ではない。
火曜日の午前中に散歩のできる身分だとすると、多分ボクと同じ境遇のはずである。ボクはすでに60代後半だが、その男もおそらく60代なんだろうと思う。ひょっとすると前半なのかもしれないが、いずれにしても世代的な差はそう開いてはいないはずである。

この男、急階段を2段跳びでリズムよく駆け上がってきたのだ。
何という強靭な足腰であることか。
何という柔軟なバネの持ち主であることか。
何という心肺機能の強さであることか。
まるで牛若丸、いや〝牛若ジジイ〟ではないか。

ボクだってちょっと前ころまでは体力には少しばかり自信があったのだ。
それだって、この階段の前に来て2段跳びでぴょんぴょんスイスイと飛び跳ねながら上がるというようなことは考えたこともなかった。
考えたところで、出来っこない。足をもつれさせて階段を転げ落ちてしまうか、ひざや足首を痛めて動けなくなるだけだったろう。
それを涼しい顔でやってのける…。ひょっとしたら名のあるアスリートだったのかもしれない。
そう思いたくなるほどの、風のような振る舞いだったのである。ジジイにも様々いるものである。
完敗である。脱帽である。オソレイリマシタ。

その男が通り過ぎるのを唖然とした思いで見送った後、4、50メートルほど距離が離れたところで、後をついていったが、歩き方も普通ではない。
見る見るうちに引き離され、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
オレっていったい何なんだろう。

正月のことである。何日か泊まりに来た小学2年生の孫娘と一緒に風呂に入っていて「ねぇ、ジイジのお尻がプルンプルンしてるよ」と言われて、軽いショックを覚えたものである。
確かに孫娘の観察眼は鋭い。自分自身でもそれは自覚していたのだった。
今冬の寒さもあって、身体を動かすことがめっきり減っているため、尻の筋肉に弛みが来たのである。はっきり言って運動不足なのである。
尻の肉などと言う部位は、怠惰な生活を送るとてきめんに緩んでくるのだ。

まぁ、この時の孫娘の指摘は、春になって暖かくなれば鍛えなおすさ、というつもりで聞き流したのだが、事態はもう少し深刻なようなのである。
この日も牛若ジジイに出会うより前の散歩道で、3、400メートルも続く上り階段と上り坂の連続に息も絶え絶えになって、歩みはカタツムリのようになり、休み休み上らなければ前に進まなかったのである。
こんなことは以前には考えられないことだったのだ。
尻の肉の弛みに加えて、下っ腹も出っ張ってきているのである。ゴム風船と違って元に戻すのは簡単ではない。
由々しき事態なのである。



散歩の途中で見かけたタイワンリス。最近は個体数が減ってきているようだが、逃げもしないでしきりに何か食べていて、可愛気がないのだ
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