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平方録

魚付き林が泣いている

昨夜の晩ご飯のおかずはブリだった。

大きな切り身で、普通、焼いて食べる時は照り焼きにするが、この日は妻の説明によればポン酢しょう油に切り身を一定時間浸した後、ペーパータオルできれいに拭き取り、フライパンに引いたオリーブオイルでこんがり焼いたところに、大根おろしにユズの絞り汁を加えたものをたっぷり乗せて食したのだった。
魚屋の店先では「トロブリ」という名前で売られていたそうで、その名の通り脂が滴るほどにたっぷり乗っていて、なるほどネーミングはダテや誇張ではないなと言うことが知れた。
大根おろしには一味唐辛子を加えるとさらにおいしくなるということだったが、生憎七味しかなく、七味でごまかしたのだが、それでも味がピリッと引き締まり、これはこれで結構な味になった。

普段のなかなかお目にかかれないおかずが食卓に乗ると話も弾み、それだけで食べ物も美味しくなるというものだ。
美味しければニコニコ顔になる。ニコニコ顔になるとどういう訳か舌は味を感じるだけの仕事に加え、言葉を滑らかにして会話を促進しようと、そちらの役割にもグンと力を入れる。
不思議な相互作用と言ってよいかもしれない。
だからこそ人は食事に時間を割くのだろう。

このトロブリは大分で水揚げされたものだというが、かつては相模湾もブリが大量に水揚げされる好漁場だったのだ。
「だった」と過去形でしか言えないのがはなはだ残念だが、相模川の西側から真鶴半島を挟み伊豆半島にかけての相模湾は駿河湾、富山湾と並んで水深が1000mを超す特異な海底地形を成していて、特に国府津から湯河原に掛けての沿岸一帯はブリの定置網が連なる一大漁場だったのだ。
真鶴半島や湯河原に掛けての海岸線は「魚付き林」と呼ばれた深い原生林が水際まで迫っていて、それが岸からいきなり深場に落ち込む水深の深い海と相まって、ブリの絶好の回遊場所になっていた。

それがある時期を経て急にブリの姿が遠のいてしまったのは、波打ち際に沿って作られた国道135号による光害のせいである。
夜中にこの道路を通る車のヘッドライトの光りが、道のくねりやアップダウンに合わせて射し込んだり離れたり、あるいは上下線を走る車に合わせて右から差したり左から差したりと、目まぐるしく動くものだから魚は落ち着いて眠れないという訳なのだ。
海沿いに時代を経た風格のある立派な屋敷が残っているとすれば、それはかつてブリ御殿と呼ばれたブリ漁盛んなりし頃を象徴する網元の家の名残なのである。

そんなわけだから、「寒ブリと言えば富山」などと一人占めを許すようなことはなかったはずなのが、いささか悔しい。
あの135号線さえ何とかなればまたブリも戻ってくるんじゃないかと思うのだが、海沿いを走る道路というのは観光道路として根強い人気があるし、何より135号は首都圏と伊豆半島の観光地を結ぶ重要なルートの一つだから簡単ではない。
魚付き林そのものは健在なのだから、なんとか生かす工夫はないものか。
このままでは、せっかくの遺産が宝の持ち腐れだ。





横浜イングリッシュガーデンでは未だに所々で「冬のバラ」が目を引いている
こちらは十月桜と共演中
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