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平方録

光があふれ出し、芽生えたばかりの緑が輝き始める

普段見過ごしている景色の中に、ある日、思いがけないきらめきを発見して息を飲むように立ち尽くし、訳もなく懐かしさがこみあげてくるような、もっと欲張って言えば、「あぁ、ボクはこの景色を眺めるために今日まで生きて来たのか!」などと説明のつかない感動に包まれることが、たまにある。

昨日、山の神に誘われて4キロ離れた繁華街まで歩いた。
もうサクラは散ってしまっていて葉ザクラだし、新緑にはちょっと早いだろうな、などと思いつつ、途中、里山の風景を残した自然公園を通り抜けている時に思わず「アッ!」と感じたのが見出し写真の光景だった。

咲いているのはハナモモで、周囲の様々な濃淡の新緑の中で異彩を放って自己主張するわけでなし、かと言って埋没してしまう訳でもなく、見事に周囲と調和しつつ存在を際立たせている。
背景に点在している掘立小屋の一つは炭焼き小屋を復元したものだそうだが、それもこの光景の中の‶脇役〟として、名優のようないい味わいを出していると思う。

つまり、この景色は取り立てて珍しいものでもないし、かつてボクが幼少期から少年期を過ごした昭和20年代~30年代にかけては、大都会はいざ知らず、一歩郊外に出ればこういう光景ばかりで実にありふれたものだった。
昔の懐かしさに思いがけずに触れたので、思わず「アッ!」と息をのんだということも確かにあるだろう。
でも、それだけでは説明のつかないものが、この光景の中に確かにある。

多分、「光」…じゃないかと思う。
時間にすれば午後2時ころの快晴の下に広がる光景である。
真夏の光線の強さには及ばないが、その片鱗を感じ取ることのできる‶意思を持った光〟が降り注いでいた。
その光が生まれたばかりの芽生えの緑をあまねく照らしている。
そして、照らされる側も照らす方も、浮かび上がるすべての光景があらん限りに明るく光り輝いている ♪

印象派の画家たちはこういう光の濃淡や強弱に敏感に反応したんだろう。
そのことが頭の片隅にふっと浮かんでくるくらい、光にあふれている。


何種類かの緑色の中にひとしずく垂らされた薄桃色


空の青さともよく調和している

ハナモモの先にはありふれた田んぼのある光景が残る

畔の草も背後の山も緑、緑、緑…


足元の草むら…

緑のパッチワーク


あっちもこっちも…

八重桜とカツラの新緑 カツラのこの緑は明るい印象的な緑だった
日本語には様々な緑にそれぞれ洒落た名前があてがわれているが、このカツラのこの時期の緑色にはどんな言い回しが使われているのか知りたいところだ

ポプラ? いえ、ケヤキです


ムサシノケヤキという園芸品種で枝が直立し、箒状の樹形を形作る ので比較的スペースのない所にも植えられるというメリットがあるそうな


よく見かけるケヤキ(写真の左右共に)は確かに枝を大きく広げるから、屋敷内に植える場合は相当広い敷地がなくては無理だものね…

かくして、寒さの中でウグイスの初音に聞き耳を立て、花を探し、追いかけているうちに、アッという間に新緑の季節が巡ってきてしまった ♪
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