冷たい雨に降り込められた一日だった。
しかも、大雨。
午後3時過ぎには止んで晴れ間がのぞいたとはいえ、使えない一日となってしまった。
不思議なもので、天気が悪いと午睡を楽しむなんて気にもならず、ならば「雨読」くらいはできたんだろうと問われても、部屋が薄ら寒くて居心地の悪さも相まって、没入とまではいかなかった。
こういう時は温泉にでも浸りながら秋の句の一つもひねる方がよっぽど気が利いているが、稲村ケ崎にある温泉に行くのも「今日は休日で人が多そうだ」という理由で敬遠してしまう。
コタツを使う季節ならば"コタツ布団のシミ"になるのにちょうど頃合いの日だったと思うが、掘りゴタツもまだ未設置である。
かくして中途半端に時は流れ、秋はそそくさと暮れてゆく。
昨日の夕ご飯はクリご飯だった。
数週間前から「クリが出回り始めたねぇ」「秋だなぁ」「去年、ヒガンバナを見に行った先で田んぼ脇の細道で売っていたクリはおいしかったなぁ」などと、山の神に何度かナゾかけをしていたのだが、剥くのが大変そうだからと、それ以上は言わなかったのだが、ようやく重い腰を上げてくれた♪
やはり季節の味と言うものは一度は口にしたいし、実際、旬の素材をメーンに使った料理と言うものは、ただそれだけでおいしいものである。
春先のタケノコご飯に始まって、初夏のグリンピースご飯、秋のマツタケご飯にクリご飯…etc
よくぞ日本に生まれけり…という感すら抱く。
マツタケご飯はもう何年もわが口には入らないが、それ以外は年に何度かわが胃袋に納まり"口福"感を満たしてくれる。
クリご飯には忘れがたい思い出がある。
毎年夏になると、山の神の妹が嫁いだ志賀高原のホテルで何日かを過ごしていたが、そこへの道中で通過する小布施の町で食べるクリご飯の味である。
小布施はクリの産地としてお菓子にもクリが使われるなど、観光客にも人気の地である。
そして彼の葛飾北斎が土地の篤志家に招かれて何年か暮らした街で、残した作品を展示する北斎館も名高い。
その昔、高速道路がまだ未発達で、確か中央高速しかなかった頃、山梨県の須玉で高速を降り、JRの小海線沿いに清里、野辺山と八ヶ岳のすそ野に広がる高原の道路を小諸まで走り、そこから今度は険しい山懐に入って菅平を抜けると須坂に続いて小布施が現れる。
このドライブコースは今でも目をつぶりさえすればコースが目の前に浮かんでくるほど慣れ親しんだお気に入りのコースだが、菅平越えの曲がりくねった険しい山道を抜けた後に出現する小布施の町の落ち着いたたたずまいと、緊張感から解放されてホッとした気分で味わうクリご飯が美味しくないはずがない…
忘れられない味と言ってもいいくらい♪
わが家のクリご飯は普通のお米でたかれているが、小布施のクリご飯はもち米を使ったおこわなので、より美味しく感じられるのだろうが、あのドライブコースをたどって是非もう一度口にしたい味だと思っている。
わが家のクリご飯を食べながら、その気持ちがより強くなった。
あわれさもその色となきゆふぐれの 尾花がすゑに秋ぞうかべる 京極為兼
黄金の波と曼殊沙華と白銀に輝く枯れ尾花=近所の散歩道で
庭のシソ
シソの花は白いんだ
どこから飛んできたのか、ツルボがカツラの木の下で咲いていた
わが家のクリご飯