北鎌倉にある臨済宗の円覚寺では毎月第2,第4日曜日に日曜説教坐禅会が開かれる。
第2日曜日に「説教」をするのは横田南嶺管長で、説教終了後は希望者だけ、坐禅会に参加できる。コロナ禍の前までの横田管長はこれ以外に第1、第3日曜日にも登場して古の高僧たちが遺した語録などの「提唱」もしてくれていた。
説教の方は開催時間が午前9時からということと暖房アリということもあり、年輪を重ねた善男善女が大勢集まるが、提唱の方は開始時間が午前8時からと1時間早いことと、暖房無しで坐禅をしながら提唱を聞かなければいけないという点でハードルが上がるのだろう、参加人数も100人に満たず、年齢的にも老人は数えるほどしかいないという特徴があった。
ボクはどちらかと言えば胴震いするような寒さの中で提唱を聴きながら坐禅をする方が好みだったが、コロナ禍とともに開催されなくなってしまったのが惜しまれる。
第4日曜日の説教も管長以外の坊さんの話は物足りなく、奇数日曜日の提唱が無くなって以降、こちらも通わなくなり、結局、毎週日曜日には必ず足を運んでいた円覚寺には横田管長が登場する第2日曜日しか行かなくなってしまった。
横田管長の登場が減ってしまったのは、京都の臨済宗の大学である花園大学総長を兼ねたり、全国から説教や講演の依頼も多く、しかも東京の白山にある寺の兼務住職を務めたりしている関係もあって、忙しすぎて円覚寺一か所に留まれないのが理由らしい。
コロナ禍以前の横田南嶺管長を"一人占め"に出来たころが何とも懐かしいのだが、それを続けるのは贅沢ということらしく、大本山のひざ元に住んでいるメリットはと言えば「境内は常にすぐそばにある」ということくらいか。
まぁ、月に1度でも直接話を聞けるのだから良しとしなければ…ということなのだろう。
と、自分を慰めるのだが、11月からその"月一"も休んでしまっている。
気温が下がるとトイレが近くなって、じっとしていると1時間持たなくなってしまったのだ。
模様してしまえば管長が説教をしている間でも席を立ってトイレに行かねばならず、人をかき分けて外に出るのは熱心に耳をそばだてているほかの参加者たちに申し訳ないし、話をしている管長にも失礼である。
そして、説教の後の坐禅も同じ。
こちらは20分に一度くらいで休憩が入るから、そのスキに行けばいいのだが、集中が途切れることは否めない。
そもそも坐禅の時は暖房が消されてしまうのだ。
厳寒期の大方丈の底冷えは半端ではない。
去年まではそれでも何とか参加を続けていたが、今年は糸が切れ、春まで休むことにしてしまった。
我、冬眠す…ってところ。
7年前に前立腺を患ったのが理由で、病気の方はすっかり治ったが、引き換えにトイレが近くなってしまった。
年は取りたくないものだとつくづく思う。
かくなる上は見栄を捨て「♫春よ来い、早く来い」と春を待ち焦がれるミヨちゃんのように、大人しくしているしかないのである。
仏殿と梅の花=円覚寺・臥竜庵から