寒さで目を覚ましたら午前2:00を少しだけ回った時刻だった。
掛けていたはずのタオルケットはベッドの片隅でくしゃくしゃになっていたので、トイレから戻ってきた後、今度は逃げないように腹の周りに巻きつけて目を閉じた。
目覚ましのラジオが律義に午前4時に声を上げ始め、タオルケットが腹に巻き付いたままだったのに軽く満足する。
しかし、半袖の下から露出している腕やひざ下の足はすっかり冷えてしまっていて、急にこんなになってしまうのかと、いささかがっかりする。
パソコンの前に座ってデジタル温度計を見ると「28℃」と表示されていたのは昨夜来の熱気が抜けていないからで、ベランダに出るとやはりひんやりとした空気に全身を包まれた。
パソコンを開いて「アメダス辻堂」の実況を見ると、ボクが床に就いた22:00時点での気温は24.5℃。
これに対して目が覚めた2:00も24.4℃で横ばいだった。寝る時に暑ささえ感じていたのはやはり部屋にこもった熱気のせいだろう。
2時間後の午前4:00になると23.7℃と若干下がっている。この時の寝室はだいぶ熱気が引いていたはずである。
辻堂アメダスはわが家から直線距離で6km。最も近い気象庁の観測拠点だから、ここでの記録イコール、ボクの家付近の気象記録と捉えて良いと思う。
それにしても月が替わった途端に一挙に23度台まで下がっちゃうのかい…
ニンゲンにはこういう手のひら返しをする手合いはいるが、自然界までそうなるんですかい、いやはやどうも…って気分だ。
乱暴が過ぎるね、革命じゃないんだから。
穏やかな温帯モンスーン地帯地方の気象らしく、なんとなく…とか、徐々に…ってな具合にはいかないんですかい。
古の歌人が「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風のおとにもおどろかれぬる」と、とても細やかな神経や感覚を働かせて詠んでるってことを知らないんだろうか。
世の中が余裕を失い、ぎくしゃくしてしまっている空気をまねる必要なんかこれっぽっちもないんだけどねぇ。
あすから3~4日の南関東の海辺の町では最低気温が20℃まで下がるってんだから何をかいわんやだ。
今夜からは厚い毛布か薄い掛け布団を用意しておかなくちゃならない感じだ。ヤレヤレ…
そうそう、こんな歌や句があった。
おしなべて物をおもはぬ人にさえ 心をつくる秋のはつかぜ 西行法師
普段は季節なんかに無頓着な人でも、夏の暑さの中でふと感じる秋風には感じるものがあって、何となくしみじみしちゃうものなのだと西行さんは言いたいんだろ。
木のまよりもりくる月の影見れば 心づくしの秋は来にけり よみ人しらず
「心づくしの秋」ってのが特にいいな。
折もよき秋のたたきの烏帽子魚 かま倉風にこしらえて見ん 雀酒盛
烏帽子魚はカツオの異名。秋は戻りガツオが美味しい季節でもある。江戸時代は鎌倉が戻りガツオの本場と言われたそうな。
何といっても、これからいろいろのものが美味しくなる季節でもある ♪
最近富士山が見えない日々が続いているが…
にょっぽりと秋の空なる富士の山 上島鬼貫
期待したいもんだよ。
どの歌や句をとっても、強引に力づくで、しかも手のひら返しのようにやってくる秋には生まれっこないものばかりなんだよなぁ。
(見出し写真は白いタデの花蜜を吸うアオスジアゲハ)