見出し画像

平方録

やっぱり 寅さん さすが 寅さん

「男はつらいよ お帰り 寅さん」を観てきた。

主役の寅さんは旅に出ちゃってるのに、山田洋次監督はどうやって映画を作ったんだろうと興味があった。
妹のさくらは当然のことながら随分とおばあちゃんになったし、リリーは相変わらずきれいだが、やっぱり寄る年波は隠せない。
そう言えばリリーは「ダメよ、帰っちゃ ! すぐに戻って来るから」と言い残して、起きてからもう8回目だとぼやきながらトイレに行ったきり…

老けたり、呆けたり、衰えが顕著だったり…それはしょうがない現実だけど、そこから目をそらさないところも監督はさすがだが、それだけじゃぁシリアスな老いのドラマになってしまう。
そうならないで楽しめているのはどうしてだろうと、上映中不思議に思えたのは、やっぱり監督の力量だろうと思う。
一緒に映画を見た妻が帰り道「山田監督って、人に対する眼差しがとても温かいのね~」としみじみ感心していたが、ボクも同感で、だれも差別しない、だれも排除しない、どんな境遇、境涯にいる人にも分け隔てのない温かなまなざしを注いでいるからだってことしか思い浮かばなかった。
その典型というか象徴が車寅次郎の人懐っこい四角い顔とした2つの小さな目であって、都会で一人ぼっちで働きながら心細い思いを抱き、辛くても悲しくても、その背中を押してくれる寅さんがいてくれたから頑張れた人がたくさんいる。

そう思えた瞬間、はたと思い当たった。
こんな主役不在の映画を蒸し返して、何が狙いかと思っていたが、単なるノスタルジーじゃなかったんだ。
そうか、山田監督はそれが言いたかったんだと確信が湧いた。
いつのころからか、気が付けばボクらの周りは差別と排除の論理ともいうべき、ギスギスした理屈と行動が優先する社会になってしまっている。
金持ちのところにはどんどん金がたまり、3度の食事にも窮する子供、着るものもロクに与えられない子供、勉強したくても本も買えない子供が大勢いるかと思えば、家族を持ちたくても非正規労働を強いられ、一人で暮らすだけで精いっぱいという人たちであふれている。
こういう歪はほんの一端であって社会全般至る所に蔓延しているから、いちいち挙げればきりがない。

頼りと頼む政治は弱い人たちを助けてくれるどころか、ますます強いものの見方で、大金持ちの財界の言うことにだけ耳を貸し、自分たちの考えに賛成するひとだけを仲間に加え、それ以外の人とは口も利かないし、目を合わせようともしない。
正に寅次郎たちとは対極の人間たちがチョウリョウバッコしてしまっている世の中に、こういう温かな眼差しにあふれる人たちが暮らす社会があったんだ、忘れちゃったの ? 忘れちゃだめだよ ! って、監督は言いたいんだろ。

「忘れちゃったの ? 忘れちゃだめだよ ! 」ってセリフこそ、あまりの変りようを心配した寅さんが遠い旅路の果てから監督に送って寄越したメッセージなんだね。
寅さんのあの流れるような下町口調でさ。
そのイメージ通りに作った映画だったってわけだ。
どおりでなぁ…


男はつらいよ お帰り 寅さん

コメント一覧

heihoroku
gooでこんにちはさん コメントありがとうございます。
ふむ 既成とかポピュラーっていう概念・枠にとどまっていられないご一家ってことですか。
それもまたヨロシ。
gooでこんにちわ
バター
写真を撮る時のことば
暫く家族で流行っていました
懐かしい記憶です

突然すみません
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事