ヒトには誰でも食べ物に関して忘れられない思い出がいくつかある…と思う。
ボクの場合は苦い思い出が少なくとも2つ。
楽しい思い出もあると思うけど、なぜかすぐには思いつかない。
苦い方の一つは芋けんび。
小学生の4年生頃のこと。あれが大好きで、たまたま1人で留守番をする羽目になった時、芋けんびの袋を見つけてつまみ食いをした。
別のお菓子で「やめられない、止まらない」ってテレビ広告があったけれど、芋けんびだってそうで、だれも止める人がいない家でボクは結局1袋を空にしてしまったのだ。
ポリポリポリポリポリ…
それから大して時間はかかっていないと思う。むかつきと吐き気が同時にやって来て、さっき食べたものをすっかり吐き出す羽目に陥った。
昔のことだから悪い油を使ってたんだろうね。
衣服は汚すし、多分他も汚れたと思う。その後どう云う具合に処理されたのか覚えていないが、人目を盗んでつまみ食いをしたバチがあたったのだ、天罰ってあるんだと、大いにしょげたものだった。
天罰はその場限りではなく、いまだに芋けんびを見るとむかつきが襲ってくるから相当なものだと思う。
あれ以来口にしていないが、駄菓子で良かったとつくづく思う。
もう一つ記憶しているのは目玉焼きの黄身。
これも小学生の頃の話で、多分1、2年生のころのこと。大勢の親せきが集まった席の夕食に目玉焼きが出た。
いとこたちと大いにはしゃぎながら食事をしていて、大好物の目玉焼きは黄身の部分だけ箸を付けずに大事に取っておいた。
いつもそうしていて、最後の最後に食べるのだ。大好物は一番最後というルールがボクの中では確立されていたんだ。
そしてついに、大事に大事にとっておいた目玉焼きの黄身の番がやってきた。
黄身の方もお皿の上でボクをニッコリ見返している ♪
あぁ、坊ちゃん、やっと私を食べて下さるのね、ウレシイ…ってなところだと思う。
相思相愛の感動場面のはずが、どうしたって箸が伸びない。
あれほど愛し合っているのに…
お腹がパンパンで、どうやらリミッターが振り切れてしまったとしか思えない。
その光景をみて周囲の大人たちに大笑いされ、ボクはボクで大好物を残してしまったという悔恨にさいなまれ、悔しくて悔しくて、情けなくて情けなくて…
あれ以来、ボクは大好物を一番最後に回すという〝結びの一番偏重主義〟から脱却し、随時適当なところで箸の向くまま気の向くまま(ん ? )に〝好取組尊重主義〟に変更したのだった(なんのこっちゃ)。
こんな話を急に思い出して書いたのは、ボクと同い年の「ノザキのコンビーフ」の缶詰が、生まれながらの衣装を捨てて新しくするというニュースを読んだのがきっかけなのだ。
あのコンビーフ缶は胴体部分に巻かれた特殊な帯を、これまた備え付けの特殊なカギのようなものを使ってくるくる巻き取ってパカッと開ける独特なものだった。
キャンプとかカヌーの川下りに持って行って焼きそばに入れたり、ジャガイモと一緒に炒めたり、エネルギー充填に重宝したものだった。
台所のパントリーで確か1個見かけたな ♪
それにしても
川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず…だねぇ。
渚を走る湘南海岸自転車道脇にこんな花が咲いていた
見出し写真はこの花のすぐ近くにいたテントウムシ
つぼみをせん定して花瓶に生けて置いたら咲いたわが家の「ノリコ」
こちらもわが家のゼラニューム