年初の1月8日に東京タワーで吟行を催し、すぐ近くのホテルの中国料理店で今年の初句会を開いて以来、半年ぶりの句会を鎌倉で開いた。
3月3日に開催を予定していたものがコロナ騒動で中止のやむなきに至り、その後再開のタイミングを計っていたのだが、まぁとにもかくにも自粛要請は解け、一部に残っているとはいえ行動制限もおおむね解除されたので踏み切った。
とは言え、平均年齢が古希の仲間ばかりが集うのだから、大人の態度を示さなくちゃならない。
ましてやクラスターを生み出してとあってはご先祖様に申し訳が立たないというものだ。あの世で厳しく折檻されるのは真っ平である。
でも、わが句会には滑舌を良くし、脳の回転を後押しする潤滑油、もしくは気付け薬としてのお酒は欠かせない。
しかも提出された句を批評し合うのだから黙っていればいいという訳でもなく、しゃべり、かつ食べ、かつ飲むという、コロナウイルスが好む唾液をまき散らしかねない条件が揃うとあって、慎重には慎重を期してマスクはもちろんフェースシールドなる新兵器を用意して臨んだのでありました。
Amazonで10枚セット2400円ナリ、(実際はポイントを使って1700円に割引)ってのをボクが買って用意して行ったのだが、皆初めてのフェースシールドにフムフムなるほど、これが巷で噂のフェースシールドなるものであるかと面白半分、興味半分…みなさん抵抗なく装着してくれたのでありました。
でも、食べ物を口に持っていく段になると、ついフェースシールドの存在を忘れ、顔の前面を覆っている透明なプラスチック板に箸がぶつかって、口元まで届かないうちに落としてしまったり、飲み物を飲むにも簡単ではないことも分かって「こんちくしょう、コロナめ ! 余計な手間をかけさせやがって」と悪たれの一つも垂れるのでありました。
句会の会処に使った店は鎌倉駅前の3階建てビルの3階の部屋で、ボクらがたびたび使わせてもらっている所なので、いつも3時間たっぷり貸切らせてくれ、「3密」などとは全く無縁の別天地みたいなところなのだが、今月いっぱいで改装のための休業に入ってしまう。
次にどこを会処にするかは重要問題だが、ここを上回るところはそうたやすく見つかるとも思えず、過大な期待は出来そうにない。
次善の場所としてどんなところを探し出してくるか…「天」の句をものした人が担うことになっている次期幹事の双肩にかかっている。
さてどうなるか…固唾を飲んで見守ることにしたい。
そんなこんなで半年ぶりの句会はソロリと動いたのだが、前回を欠席した仲間は
8か月ぶりくらいになるわけで、「句会ってこんなに楽しかったんですねぇ」という一言に一同深くうなずき、次回は梅雨明け後の7月28日に開くことを即決してしまった。
「文化的創造行為に関する若干の精神的飢餓状態…????」ってのも作用してるんだろと思うけれど、ボクたちも捨てたもんじゃないってことだよね。
文化的創造行為ってまさに不要不急の筆頭格のように見られているようだけれど、けっしてそうじゃないってことの証明でもあるんだよな。
ボクはこんな時だからこその必需品にも思えるけどね。
音楽然り、絵画・彫刻然り、歌舞伎・お能然り、演劇・落語…etc
第2波、第3波ってのがやってくるのは間違いないようだけど、不要不急の意味を見直すとか、精神的飢餓状態に対する処方箋とか、そういう意味の専門家を集めて知恵を出し合ってももらいたいものだね。
経済だけが国を回し、動かしているんじゃないってことだよ。
その辺は案外重要なカギかもよ。
ヤレヤレと胸をなでおろしてボォ~ッとしてる場合じゃないってことさ。…
毎度恥ずかしながらボクの提出句
青梅や秘めたる毒のアッカンベェ
コロナ禍や干し梅に秘力あるのかも
サングラスマスクまでする夏の街
ドクダミの八重花咲いて自粛かな
初夏の森スクランブルするイトトンボ
つるバラの「伽羅奢」と一緒のアーチに絡ませているのだがバラが終わった後に咲き出したクレマチスの「ロウグチ(籠口)」
洒落たシルクハットの4連装
空気の流れは良く、前後左右の人との距離もそこそこに確保された空間で食べ、かつ飲みながらの会処光景
食事をするのでマスクは外したがフェースシールドはつけたまま
窓外に見えている鳥居は鶴岡八幡宮の二の鳥居