やっと秋が来たようだ。
その証拠に夏の間、緑のカーテンを広げて心地よい日陰を提供してくれていたゴーヤの葉が気温の低下とともにチリチリになって枯れ出し、見るも憐れな姿をさらし始めた。
余り順調でなかったベランダのプランター栽培の野菜の中でひときわ豊作だったキュウリも終わりをつげ、ミニトマトはもうずっと前に実を付けなくなった。
そんな中唯一頑張ってもらうはずだったナスも期待どうりにはいかず、特に期待した秋ナスに至ってはリスに食べごろを持って行かれたりして、散々だった。
ボクは博愛主義者だから「秋ナスは嫁に食わすな」などというバカげた諺は完全無視で、山の神とともに秋ナスを堪能しようと楽しみにしていたのに…
特にリスに食べごろを持って行かれるなんてことは、これまでなかったことで、いくら博愛主義者とは言え、リスには分をわきまえろと言いたいが、来年以降も同様の被害が出るようなら殺生も含めて強い態度で臨む必要が出てくるだろう。
リスの勝手な振る舞いは今年限りであってほしい…と切に望むね。
退職を機に野菜づくりに目覚めた山形の友人が「今年は散々だった。タネを蒔けば発芽しない、何度目かにようやく芽が出たと思ったら育ってくれない」と白旗を上げていた。
夏が来る前のカラカラ天気、夏が来れば来たで異常高温にさらされたお陰で思うようにいかなかったらしい。
困惑しているのは彼一人ではなく、日本中の生産者が野菜の生育不足、ないしは不作に困り果てている姿が浮かんでくる。
その証拠に、わが家ではブロッコリーが食卓から消えて久しいし、キャベツだってネギだってボクの好きな野菜が不足気味である。
山の神に言わせれば「あまりに値段が高いので馬鹿らしくて買う気になれない。我慢してよ」と言われている。
青虫の生まれ変わりじゃないかと思えるくらいキャベツは大好物なのだが、新鮮なキャベツをバリバリ食べたいし、インスタントラーメンを作る際にはキャベツの葉を2,3枚、手でちぎって水を張った鍋に放り込んで煮出し、その煮汁を汁として使う"キャベジンラーメン"を好むのだが、それすら縁遠くなってしまっている。
これを人類の危機と呼ばずして何と受け止めるのか。
どこまで続くぬかるみぞ…なんて悠長なことを言っている場合ではなく、地球はあと何年持つかという切羽詰まった状態にあるというべきだろう。
ん…? 気付け薬を飲みすぎたかなぁ…
長谷の光則寺のミセバヤ
小さなアブが蜜を吸いにやってきてホバリング中♪
このさして大きくない岩の左下に咲いているのが上掲写真のミセバヤ
如何に小さな花かがこれで一目瞭然
近くに咲いていたゲンノショウコの赤花
こちらはゲンノショウコの白花
紅白揃い踏み
名前が分からない…
セセリの仲間が止まっていた
境内の一角でまとまって咲いている
こちらは青花=以上、光則寺境内で