平方録

春の魚を手に入れた

82.8メガヘルツの地域のコミュニティーFM局を聞いていたら、突如、流れていた音楽が途切れ、何事かと思ったら自治体の放送に切り替わった。
多分、市の職員なんだろう、男の落ち着いた声で「たった今、防災無線で流したことを繰り返すが、この地方に暴風警報と波浪警報が出されたので十分注意するように」と言う。
決まった時間に行政の行事やお知らせなどを伝える時間があるのは知っていたが、こういう使い方をすることがあることを初めて知った。

おそらく地震や津波などの大災害が起きた後に、安否確認やらこまごました生活情報などを発信する情報源の一つとして活用が期待されているのだろう。
最初は、何だよ、気象の警報くらいで! と思ったが、いざという時に住民にあまねく情報を伝えるための手段は、行政として複数持っていてもよいだろうというように思い直した。
行政のため、というよりは住民のためだと思うからである。

3日前の金曜日に待望の春一番が吹いて喜んだのもつかの間、昨日の昼下がり、今度はさらに強い風が吹きまくり、こういう放送に出くわしたというわけである。
昨日は午前中に車の12か月点検をするべく、近所にあるディーラーの許に車を運んだ後、田圃道を歩いて家に戻ろうとしたら向かい風にあたる南寄りの風が強まり始め、結局隣町まで吹き飛ばされてしまった。
で、仕方なく床屋によって散髪し、〝春二番〟も吹き始めたことだから、これまでの冬魚に加えて春の魚も登場して、さぞや魚種も豊富だろうと期待して魚屋の店先をちょいと覗いたら、期待にそぐわぬ大漁振りで大いにうれしくなってしまった。

この湘南のターミナル駅近くにある地下の魚屋は、デパートやスーパーの魚売り場と違って、切り身ももちろん売ってはいるが、丸物といって、何も加工もしないまま、それも数匹単位にざるに入れてゴソッと山盛りにして売っている昔ながらの魚屋で、気に入っているのだ。
そんな店だから、周辺の居酒屋の板前やら料理人やらが物色に来ていたりするのである。
もっとも、最近の若いお母さんたちの中には、魚をさばく以前に、触ったこともない人、触れない人が増えているようだから、こういう店は絶滅危惧種の一つでもあるんだろうが、頑張ってもらいたい店の一つなのである。

で、初ガツオなんてものもあったが、あれこれ迷った挙句、やはり春を感じさせる魚に目は行くものである。
ひとつはメバル。これは根菜類と一緒に煮付けにするとおいしい白身の魚で、青森産のその名も「春メバル」。これは4匹で750円ナリ。
そしてもう一つが、針のように細長くとんがった口先を持つ銀色の鉛筆のようにスマートなサヨリである。
こちらは5匹で700円。
買った後に産地を確認したら「韓国産」と小さく書かれていて、ちょっとがっかりした。
メバルもサヨリも目の前の相模湾でも獲れる魚だが、タイミングよく手に入るというわけでもないところが悩ましいというか、思うようにはいかないのである。
大量に獲れる旬ではなく、初物とか〝走り〟の魚種を求めるということは、季節を先取りするわけだから、贅沢は言えない。そういうものだと思って口に運ぶのである。

サヨリは刺身にしたが、透き通るような透明感のある身はほんのり甘みがあって、まさに春の味だった。
普通の人はこれで終わりだが、わが家では身をそいだ骨は油で揚げて骨せんべいにし、皮は身からはいだ後、竹串に巻き付けて少しばかり塩を振ってガスコンロの火に炙るのである。
どちらも酒のつまみとしては上等だが、わけても串に巻き付けて炙った皮は日本酒に合って実にオツなものである。

これは今から3、40年も前のことになるが、わが街の昔ながらのすし屋で教わった食べ方である。
おそらく同じの店のことだと思うのだが、後年読んだ直木賞作家の高橋治のエッセーに「サヨリを注文した後に職人が、引いたばかりの皮を竹串に巻いて炙ったものをさりげなく、どうぞと言って出すようなところがホンモノのすし屋である」書いている。
ここ何年も回るすし屋にしか入ったことがないが、今もこの店は昔のまま、川端康成旧邸近くの信号の脇に存在しているし、他でもこういうオツな食べ方をさせてくれるところがあるはずである。

自分の手で、という選択肢ももちろんオツである。捨てるところが無いっていうところは、もっとオツなのである。





左上から時計回りに、サヨリの皮を竹串に巻いた炙り焼き、骨せんべい、刺身、メバルの煮付け
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