東海道線の茅ヶ崎駅から横浜線の橋本駅を結ぶ33.3キロの単線である。
十数年前に電化され、4両編成のアルミ製の電車が軽快に走っている。
去年も突如、そうだ相模線に乗ろう! と思い立って乗ったのだが、路線ほぼ中ほどの、なんでこんなところにと思うような畠のど真ん中にある無人駅の佇まいが気になって、降りたのはいいが、辺りを散策してみたものの、あまりにも何もないのに唖然とした覚えがある。
食べ物にもありつけず、駅に戻ってどっち方向でもいいから最初に来た電車に乗ろうと思ったら、出発地に戻る電車がやってきたのでそのまま戻ってきてしまったのである。
あれは去年の2月10日のことだから、相模線からのお誘い周期というのは1年ごとらしい。
今回は、残してしまったその先を尋ねるのが目的である。
電車からは川面が見えないが、相模川に沿って北上する路線なので、進行方向左手には富士山と丹沢山塊が付き添ってくれる。
視界を遮る大きな建物など全くないので、眺望は広い空が広がって見える分、清清している。
昼前の時間帯だから車内は空いているし、天気も良いのだから駅弁でもつまみに缶ビールでも飲みながら行くのが「鉄道の正しい乗り方」なんだと思うのだが、通勤電車と同じベンチシートが向き合っているだけなので、そういうわけにもいかないのが物足りないところだ。
IR東日本はソコントコロをどう考えているのか。国会あたりで追及してもらいたいものである。
これから先も、仕事をしないで暇を持て余す高齢者が増えていくんだろう。そういう連中には、鉄道を使った日帰りの小旅行なんてのは知的好奇心を満たしたり、もっと砕けた表現を使うなら、暇つぶしにうってつけなんじゃないの、ということである。
それとも電車の中が駅弁とアルコールの匂いで充満してしまうのを避けようという魂胆なんだろうか。
アルコールの匂いが充満するなんて、そんなわけないに決まっているが、よしんばそうであったとしても、弁当が売れ、アルコールの消費量が増えたりして、そういうものの積み重ねが経済の活性化を呼び込むなら結構じゃないの。
アベノなんちゃらとかいう、呪文を唱えるばかりで成果の上がらない経済政策よりよっぽどましだと思うんだけれどね。
そんなことをぼんやり考えているうちに、電車は相模川左岸の河岸段丘を上がっていく。
やがて段丘の最も高いところに到達したのか、進行方向左手の車窓に線路から離れて山梨方面に向かって流れを変える川面が、ちらっと光る。
この辺りから眺める丹沢山塊は湘南海岸から見る山塊の形とは全く異なる上に、山塊が近づいてきて衝立になってしまうので、富士山の姿は見えなくなる。
この川の上流にある障害者福祉施設で惨劇が起きたのは去年の7月のことである。
入所者ら46人を殺傷した犯人の鑑定留置が続いていたが、刑事責任能力アリという結果が出たようで、殺人容疑で起訴される方針が決まりそうだというニュースが流れた。
しかし、惨劇のあった園の建物を現地で建て替えるのか、それとも別の場所に移転新築させるのか、などなど、事後処理ひとつとっても知事が突如トンチンカンとしか思えない理由で怒り出したり、依然として迷走状態が続いているようである。
事件で初めて知ったことだが、そもそも障害者を施設に集めるという従来の政策を改め、地域の中で健常者たちと触れ合いながら一緒に暮らしていくことが望ましい、という方針を厚生労働省が打ち出していたんだそうだが、そんなものは掛け声とお題目と相場は決まっていて、実際にこんな惨劇が起てしまったというのに、さあどうしよう、と肝心な時に行政はうろたえるばかり。
ならば国会で議論を活発にして行政の尻を叩いたらどうなんだと思うのだが、頼みの「選良」たちは期待外れだし、憲法改正とアメリカの45代大統領のポチになることしか念頭にないアベなんちゃらも知らんぷりである。
かくして、🎵川の流れのよ~ぉにぃ~と、みんな川の流れに捨て去って、結局残るのは惨劇の犠牲者を慰める小さな慰霊碑ぐらいが関の山になりそうである。
そういう国なんだよなぁ……
茅ヶ崎駅を出発して寒川駅を過ぎるころ辺りから、富士がやたら大きく見える見事な景色に出くわす
海老名駅を過ぎる辺りから富士山は見えなくなるが、広々とした景色の中を電車は進む
相武台下駅と原当麻駅あたりの河岸段丘を上り始めると川面がちらっと見えるところがある。この辺りから線路に沿っていたはずの相模川は西に折れ曲がって山梨方面へと向かう
相模線の終点の橋本駅は横浜線と相模線のマイナーな接続駅だが、ここにリニア新幹線の新駅ができることになり、一躍脚光を浴びているのだ
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事