気持ちとしては穴が開けばツギを当て、それこそすり減りボロボロになるまで着たって一向にかまわないのだが、妻はそんなことをする手間暇が面倒だし、安くてしっかりした衣料品はいくらでもあるのだから、新しいものに買い替えればいいと主張する。
それも確かに一理はある。
靴下の指先がちょっとほつれたくらいなら自分で針と糸を持ってやればやれないことも無いのだろうが、それも面倒くさい。
かかとがすり減って穴が開いてしまったものもあって、こちらはさすがに素人目にも買い替え時だなと思う。
そういう買い替え需要に便乗して店の中で良さそうなものを見つけると、さして切迫してもいないのにそれに手が伸びてしまうということも、往々にしてあるのだ。
今回はフリースを買ってしまった。
靴下に関していえば1000円出せば好きな色と柄の中から好みのものを3足選べる時代だ。
だから買い替えに躊躇する理由もないのだが、じゃぁモノを大切にするってのはどういうことよ、と考え込んでしまうのだ。
大量生産、大量消費の時代はもう終わりかけているんじゃないか。
果たしてそのまま続けていいものかどうか、まだはっきりとした総括は行われていない気がするし、日常のあちこちにはまだ大量生産、大量消費の残滓はいくらでも残っている。
ボクの信条からすれば、少し割高であっても気に入ったものを購入して出来るだけ長く使い続けたい、と思う。
3年前に13年も乗り続けた車を買い替えたのだが、車自体に不具合が生じたからではなく、時代の進歩に見合う新しいテクノロジーに目がくらんだからだた。
着ているものも気に入ればくたびれきってヨレヨレになるまで着つぶす。
妻は気に入っているならよそ行き用に取っておけばいいのにというが、それでは何のために気に入ったものを買い求めるのかとボクは意に介さない。
シーカヤックを楽しんでいた今から30年も前に買った外国製の速乾性がウリの短パンは色こそ褪せてきているが、未だに健在で、夏になれば愛用しているくらいだ。
10年前に同じメーカで買った薄手のダウンジャケットは表面のつなぎ部分の一部がはがれてしまい、大のお気に入りなので修理を頼んだら、もう修理は不可能なので店にある新品と無料で交換させてくださいと言われ驚いたが、物を大切にするメーカーが身近に存在したことに感激もしたのだった。
そういうポリシーを持った企業というのも厳然として存在する時代なのだ。
個人としてならもっと小回りを利かせながらモノを大切にしていけるだろう。
そういうマインドが、ひいては海の中に積もり続ける廃プラスチックの環境汚染など、あまり目に触れないような環境汚染の類にも着目する視点に結びついていくはずなのだ。
たかが靴下一足、肌着一枚の話なのだが、そこが大事で、原点と言ってもよいのではないかと思っている。
去年の暮れに庭に定植したネモフィラが蕾を開きかけたままの状態で年を越し、今日に到っている。まるで冷凍保存状態!
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