平方録

記憶に残る年賀状

あれこれ思い悩んでいた年賀状だが、図柄だけは決めておこうと一気呵成に作り上げた。

と言ったって別に彫刻刀を持ったり絵筆を握るという訳ではなく、パソコンのキーボードを指でたたくだけだからどうってことはないのだ。
素材だって今年は撮りためた写真の中から傑作の—―というのはもとより自分だけの勝手な思い込みだが――1枚を引っ張り出してきて適当にトリミングして文章を添えただけのお手軽バージョンである。
味わいなど求めるべくもないが、取り澄ました冷たい美人くらいの佇まいにはなった。
世間はこんな類の紙っぺらをやり取りしてなにがしかの精神の安定を得ているのだろうが、所詮は血の通わぬ会釈程度のものなのだ。

去年の夏、慌ただしく旅立ってしまった北陸の友人がその年の正月にくれた年賀状が手元にある。
北陸の同業者でお互いに江戸家老をしている時に知り合ったのだが、雪の積もった自宅の庭の写真に添えて「小さな庭の四季に一喜一憂し、生き物たちのしたたかな営みに苦戦しつつ、感動しつつ」と印刷され、さらに金釘流の文字で「岸壁のバスで飲み会。また連れて行ってください! 」と添えられていた。

ボクより少し年下で、この時は還暦を少し過ぎたばかりだったから、さぁ大いに遊ぼうぜと約束しあっていたのだが、この年賀状を見て「そうか、時間があると庭に出て手入れなど楽しんでいるんだナ。そんなことは一言も聞いたことがなかったから、今度会ったら聞いてやろう」と思っていた矢先の発病と訃報だったのだ。
それくらいのスピードで逝ってしまった。

その前の年に彼から届いた年賀状も記憶に残っているのだ。

汽車にのって
あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭りの日傘をくるくるまわし
陽が照りながら雨のふる
あいるらんどのような田舎へ行こう
窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり 隧道(トンネル)をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう

という詩が印刷されていたのだ。
ボクはこれが丸山薫の「汽車にのって」という詩であることを知らず、てっきり友人か奥さんかどちらかが作ったものだろうと思い込んでしまったのだ。
へぇ~、こんな感性の持ち主だったんだ、と痛く感心し、感動もしたんである。
その後ひょんなことでその話になり、いつアイルランドに行ったんだと聞くと「やだなぁ、あれは合唱曲になってるんですよ。カミさんがあの詩を気に入っていて…」と面食らったような答えが返ってきた。

丸山薫はボクの妻の大叔父なんである。
縁というものは思わぬところに転がっているものだなぁという思いを強くしたのだ。
そして、さらに縁というものがどこでどうつながっているか、その不思議さを思い知らされることが起きた。

山形で旧県庁の石造りの建物を再利用した博物館兼郷土資料館の「文翔館」を見物している時に丸山薫のコーナーがあることを発見したのだ。
妻が見入っていて、その後合流した友人に話したところ、「えっ 親戚だったの! 月山のふもとの岩根沢ってところに記念館があって、その記念館づくりに尽力したのがうちの叔父だぜ」。
思わぬ展開にお互いにびっくりし合ったのだが、世の中というのはかくも狭いんである。
話が脱線してしまった。丸山薫のことはいずれ改めて書きたいと思う。

かくして、こういう記憶に残る年賀状というものもあるにはある。
電子メールではこうはいかないと思う。
しかし、こういうのはまれな例である。やはり大部分は紙くずなのだ。

心温まるような年賀状なら受け取ってみたい。しかし、こちらが手抜きの見本のようなものを差し出しているのだから、それを望むのも虫が良すぎる話ではある。



今年のわが家のバラ庭・初夏その2




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